兵法者ハンベエの物語

市橋千九郎

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二十八 嗚呼、憧れの軍隊生活(後編)

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 ルーズはいかにも狡賢そうな雰囲気のする男で(タゴロローム守備軍に爽やかな人物が果たしているのやら?)、ハンベエは一目見ただけで、好感の抱けない人間と判断してしまった。
 しかしながら、うろんな奴だから斬ってしまおうか、と考えるには、ハンベエも経験を積み、多少思慮が深まって来ていたので、短絡的過ぎると思うようになっていた。山を降りた当初はとにかく、誰でもいいから斬って経験を積もうと血眼になっていたようなところがあったが、イザベラとの闘いの後、自分の強さがある程度確認できた事もあり、多少とも心にゆとりのようなものができてきたようだ。
(そう言えば、何人斬った事になるのかな?・・・・・・ハナハナ山の闘いの前までに斬った人数は七十九人だが、ハナハナ山で斬った人数をどう考えるか。・・・・・・取り敢えず、現在の斬殺数をキリのいいところで、百人とするか。)
 ハンベエはルーズについて行きながらこう考えた。経験値百を得て、ハンベエのレベルが上がった。思慮が深まり、知力が上がった・・・・・・らしい。

「ここが、宿営だ。」
 やがてルーズが立ち止まって、手で示した。
 みすぼらしいほっ立て小屋というべきか、まあ、建設現場の仮設住宅をボロっちくした物を想像いただければ、あながちハズレていないだろう。
 ハンベエが中を覗いてみると、何十人分かのベッドが組まれていた。あるのはそれだけである。要は寝るだけのための施設らしい。合理的ではある。
「貴様の寝床はそれだ。」
 ルーズがその中の一つを指差して言った。
「了解です。」
「よし、ここで立っていろ。しかし、貴様いい刀を持っているな。」
 ルーズはジロジロと舌なめずりするように、ハンベエの剣を見た後、去って行った。
 かなりの時間立ったまま待っていなければならなかった。ルーズが三人の男を連れてやって来た。三十代の、どれも一癖ありそうな奴らだ。三人はベルク、ハルク、トーマと名乗った。
「ハンベエです。よろしくお願いします。」
「挨拶も終わったところでハンベエ、貴様のその腰に差している剣。下っぱ兵士風情の持ち物にしては立派過ぎる。でだ、中隊長殿のお耳に入れたところ、喜べ、ありがたい事に中隊長殿がお使い下さる事となった。」
 会釈をしたハンベエにルーズが言った。
 ハンベエは思わず、こいつ何言ってるんだ、という顔をした。ルーズはその表情を見て、
「分かりの悪い男だな。有り難くも中隊長殿が貴様の剣を気に入ったのだ。名誉な事だぞ。献上せい。」
 と頭ごなしに言った。
(・・・・・・何だ?・・・・・・軍隊ってのは、強請りたかりの集まりかい。)
 ハンベエは怒りを通り越して、半ば笑えてきてしまった。しかし、笑ってばかりはいられない。このままでは、大事な大事な『ヨシミツ』が取り上げられてしまう。
「返事はどうした。」
 班長のルーズはかさにかかるように言う。
「分かりました。では、中隊長殿に献上したいと思いますので、会わせていただけますか?」
「中隊長殿に・・・・・・。」
「自分から直接お渡しするのが筋でしょう。」
「なるほど、いい心がけだ。直ぐに行こう、付いて来い。」
 ルーズは納得して、ハンベエを中隊長のところへ連れて行く事とした。
 全く、あっちに行ったりこっちに来たり、慌ただしい事ではある。
 少しばかり歩くと、天幕を張った前に床几に座った人物を紹介された。第五中隊中隊長である。歳は三十二歳、名はハリスン。中肉中背のスラッとした男でのっぺりとした伊達男風である。背後に雲をつくような巨漢が控えていた。ハリスンの部下であろうか。ハンベエも体の小さな方では無いが、その男は背の高いハンベエよりさらに一回り大きく骨太で筋骨隆々たる体躯をしていた。
「中隊長のハリスンだ。まことに良さそうな刀だのう。」
 ハリスンは嬉しさを隠しきれない様子である。『ヨシミツ』はまだハンベエの腰にあるのだが、もうすでに手に入った気になっているのだろう。
(どいつもこいつも気に障る奴ばかりだ。俺がおとなしい人間だからいいようなものの、他の人間だったら、とっくに血の雨が降ってるぜ。)
 ハンベエは胸のうちで呟いた。いやいやハンベエ、あんた今まで十分血の雨を降らせて来てますって。
 ハリスンに直ぐにでも献上させようと手を出さんばかりのルーズを無視してハンベエは言った。
「さすがお目が高い。確かに、自分の持っているこの刀は中々の名刀です。中隊長殿に献上するのはやぶさかではありませんが、どなたにでもお渡しできるというものでもありません。と申しますのも、自分はとある高名な武人の弟子でありまして、この刀はその方より免許皆伝の際に授けられたもの。この刀に相応しい方に渡すのでなければ師に対して自分も申し訳が立ちません。」
「さっ、さっきは献上すると言ったじゃないか。」
 ハンベエの言葉にルーズが不快そうに言った。
 ハンベエはルーズの振る舞いに、こんなくそ野郎が班長で俺の上に置かれてるのかよ、と反吐が出る思いであったが、いずれこの馬鹿は片付ける事としてと言葉を続けた。
「無論、中隊長殿に献上しますよ。中隊長殿がこの刀に相応しい方でありさえすれば。」
「ぐずぐず詰まらん事を言ってないで、さっさとお渡しすればいいだろう。小わっ端が。」
 無理矢理にでもハンベエの刀を中隊長に献上させて点数稼ぎしたいのであろう。ルーズは権柄づくに言い募る。ハンベエはルーズの方を卑しい生き物を見るかのように侮蔑の一瞥をして、黙ってハリスンを見つめた。
「まあ待て、ルーズ班長。で、どうすれば、このワシがその刀に相応しい人間と認めてもらえるのかな。」
 ハリスンはルーズを制して言った。こいつはちょっとはましっぽい人間のようだ。まあ、中隊長という立場上、ルーズのようなスリすっぱく郎的な態度は取れないのであろう、とハンベエは思った。
「そうですな。自分と武術の腕比べをしていただくのはどうでしょう。中隊長殿ともあろうお人なら、自分のような下っぱ兵士を捻るのはわけのない事と思いますが。」
 ハンベエはこの中隊長程度なら、わけも無く捻れるのは俺の方だ、と思いながら言った。
「なるほど、確かに武芸の腕前を確認するには、それが一番のようだな。・・・・・・が、しかし、わしは中隊長、その方は平兵士、直接勝負するのは差し障りがある。」
 何の障りがあるのやら、ハリスンは勿体ぶって言った後、わざとらしく腕組みをした。そして、いかにも名案を思いついたかのように手を打って言った。
「そうだ。わしは直接その方と闘うわけには行かぬが、わしの部下と競わせるのなら問題ない。この男はドルバスという。わしの代わりにドルバスが闘う事としよう。それならば、どちらが勝っても、統制に影響はない。」
 ハリスンはそう言って、後ろの巨漢に目をやった。その岩のような巨漢はドルバスというらしい。
「そうだな。勝負はケガ人や死人が出てもいかんから、相撲にしよう。うむ、それならば、何の問題も起こらん。よし、その方、このドルバスと闘ってみよ。ドルバスがその方に負けるようなら、わしはその刀には相応しくない者としてあきらめよう。」
 とハリスンはさらに続けた。
 ハンベエはドルバスを改めてみたが、ローラウンドゴリラより腕力がありそうである。しかも、勝負は相撲である。一撃必殺の剣の闘いなら、相手がでかかろうが、怪力だろうが、怯むようなハンベエではないが、相撲では明らかに分が悪そうである。勿論、ハンベエも腕力には相当の自信があるが、客観的に見て、ハリスンの背後にいるゴリラには勝てそうにないと感じた。
「ルーズ班長、お前も良い考えだと思うであろう。」
 ハリスンはルーズに話を振った。
「まことに良い考えだと思います。中隊長殿。」
 ルーズはここぞとばかりにハリスンに賛意を表した。
 マズイ・・・・・・と思いながらも、ハンベエはこれを断るわけには行かなくなった。断れば、この二人は何やかやとこれ以上の難題を吹きかけて来るであろう。
「そうですな。その御仁には勝てそうもないですが、万一自分が勝つような事があれば、それはもう天の意思、この刀は全く中隊長殿には相応しくなく、反って中隊長殿に災いをなす物かも知れないという証にもなりますから、やってみましょうか。」
 ハンベエはそう言って、ドルバスを注意深く見つめた。どこかに付け入る隙はないか窺うかのように。
 その岩のような男ドルバスはチラリと見たが特に気負う事もなく、帯剣を外し、 コキコキと体をほぐし始めた。
 その辺にいた兵士達が、見物に集まって来た。そして、地面に円を描き、即設の土俵を作った。相撲は何とかの国の国技とか言われているが、どこの国にも似たような格闘技はある。ハンベエ達の行う相撲のルールも極めて簡単、相手を円の外に出すか地面に倒せば勝ち。噛み付き以外は何でも有りの素手の闘いであった。
 ハンベエはドルバスから目を離さず、『ヨシミツ』と『ヘイアンジョウ・カゲトラ』を外して、そっと地面に置いた。それから、手裏剣も懐から出して、その横に置いた。
 二人は黙ったまま、円の中央に進んだ。ハンベエは左右の足元を確かめるように見た。それは、立ち会いを右に変わるか、左に変わるか、思案しているかのようであった。
 ドルバスは小憎らしいほど落ち着いた表情でハンベエを見ている。ハンベエは足元に視線を落として、できるだけドルバスの目を見ないようにして、大きく息をした。両者は膝を落とし、やや前屈みになり、片方の肩を突き出すようにして構えを取った。
「始めっ。」
 頃は良し、と見たのか、ハリスンが開始の声をかけた。
 ハンベエが大きく動いた。右に飛ぶのか、左に飛ぶのか、・・・・・・だが、ハンベエは大きく後ろに飛んでいた。相手と一旦距離を取ったのである。
 落ち着いて、ゆっくり前に出てくるドルバスに対し、ハンベエは助走をつけて、凄まじい速度で突進した。
 ゴンッ、円の中央で岩と岩とがぶつかるような、鈍くて恐ろしい音がした。ハンベエが頭から突っ込んで、自分の頭をドルバスの頭にぶち当てた音である。恐らく、両者とも目から火が出る思いをした事であろう。頭をぶつけると同時に、ハンベエは右肘を固め、上半身を捻りざま、ドルバスの顎に肘打ちをくれた。瞬間、ドルバスの身体が揺らいだように見えた。間髪を入れず、ドルバスの足首目がけてハンベエ渾身の蹴たぐり。
 ドルバスの巨躯が宙に浮いたように仰のけざまにひっくり返った。
 見物人達はしばし息を呑み、信じられないものを見たかのように静まり返っていた。
 ドルバスはひっくり返ったまま、ピクリとも動かない。目を回してしまったようだ。
 ハンベエも凍り付いたように円の中央に立ち尽くしていた。頭からはいつの間にか血が流れ、恐ろしい顔付きになっていた。その顔付きの恐ろしさは、周りで見ていた見物人が目を合わせた拍子に、くびり殺されるのではないかと首筋に寒気を覚えたほどである。
 しばしの静寂の後、ようやくハンベエは思い出したかのように、大きく息を吐き出した。それから、地面に置いた物を身に付け直した。
 頭が痛みでくらくらしていた。どうしても、負けられない闘いであった。もし、背負っているものが無かったら、ハンベエは自分の頭突きの衝撃で失神していただろうと思った。噴出したアドレナリンの量で勝ったような闘いであった。
 懐から布を出し、頭から流れる血を止めながらハンベエは、
「まことに残念ですが、中隊長殿とこの刀は縁が無かったようですな。」
 と努めて穏やかな口調で言った。口調は穏やかだが、形相は凄いし、闘いの余韻か、殺気が全身からほと走っているし、ちょっと近寄りがたい雰囲気である。
 ハリスンはハンベエから目を逸らし、
「この役立たずめ。」
 と忌々しげに倒れたままのドルバスの体を蹴った。
 ハンベエは不快げに背を向けて自分の宿営に足を向けた。
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