兵法者ハンベエの物語

市橋千九郎

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七十七 懐中の蝮

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 ハンベエがバンケルクを撃ち破って、死に至らしめたという報は、戦勝の四日後にはゲッソリナにもたらされていた。
 王宮の宰相ラシャレーの執務室では、いつもように『声』の報告をラシャレーが受けていた。
「ハンベエめ、やはりやりおったか。そうならぬようにハナハナ山に転進させたが無駄に終わったのう。」
「驚きいった次第になりましたな。私もハンベエという男がここまで剣呑な人物だとは、思っても見ませんでしたな。しかし、今回も先にバンケルクの方がハンベエ討伐の軍を発してますな。形としては、ハンベエは自分の身を守るためにバンケルクを討ったと言えそうですな。」
「その方、随分とハンベエに肩入れするではないか。」
「おやおや、ハンベエやロキに肩入れして来たのは宰相閣下の方では無かったですかな。ハンベエは同じ風呂好きとして、ロキは健気な少年として、どちらも閣下の気に入る人物ですからな。」
「馬鹿め、今回は最早大目に見る事はできんわ。ゲッソリナにおける憲兵隊長ベルガンとハンベエの争いとは規模も違えば、王国に与える意味も違う。」
「しかし、閣下はステルポイジャン大将軍がバンケルク将軍を軍法会議にかけると言った時は、バンケルク将軍が反乱を起こすと反対したではないですかな?」
「確かに、反対した。だが、今度は話が違う。ハンベエはゴロデリア王国の将軍ではない。ただのあぶれ者じゃ。そんなどこの馬の骨とも分からぬ者がゴロデリア王国の軍司令官を撃ち滅ぼしたのだぞ。放っておけば、国の秩序はどうなる。」
「ハンベエに適当に箔を付けて誤魔化せばいいのでは、例えば、宰相閣下の養子にでもしてしまうのはいかがですかな。」
「何と馬鹿な事を申すのじゃ。・・・・・・何処の馬の骨とも分からぬ浮浪人をわしの養子にだと。第一、それこそ痛くもない腹を探られるわ。」
「馬の骨、馬の骨と言われますが、ハンベエは伝説の武将フデンの弟子との事。まことフデン将軍の薫陶を受けたとならば、我等軍事関係者にとっては、馬の骨どころか千金の駿馬と云えますな。」
「フデンの弟子というのは本当の事なのか?」
「さあ、それを確かめるすべは最早ありませんが、閣下が危惧されたようにハンベエはタゴロローム守備軍を飲み込んでしまいましたな。私の方はまさかと思っておりましたな。この結果を見れば、フデンの弟子と言われて疑う理由も有りませんですな。しかも、タゴロロームでは独りで二百人もの守備軍兵士と闘って殲滅せしめたとか。とんでもないエリート武人ですな。ボーンがビビるのも無理有りませんな。」
「いや待て、思い出したぞ。いつぞや、王宮の庭で剣の鍛練をしていたハンベエの姿を見かけたが、あの時あやつの背中に差していた剣、妙に見覚えが有る気がしたが、あれは『ヘイアンジョウ・カゲトラ』ではなかったか? とすればまごうこと無きフデンの弟子。・・・・・・いやそれよりも、タゴロロームで二百人もの守備軍兵士を殲滅した話、掛け値無しのまことの話なのか?」
「ファーブルが、現場にいて、見て来たと言っておりましたな。疑いようのないハンベエの実力ですな。」
「恐ろしい男じゃ。フデンの弟子と云うのも、わしの記憶が誤っておらねば本当の事のようだしの。敵には回したくはないものじゃが。」
「では、閣下の養子になさいませ。同じ風呂好き同士でさぞかし気の合う事でございましょうな。」
「だから、馬鹿な事を申すなと言うておる。それにハンベエに王国への忠誠は期待できんわ。あやつは恐らく、自分にのみ従うたちの人間だ。」
「しかし、ロキが言ったではありませんか。ハンベエには信義があると。今回のバンケルクとの争いも、故人であるコーデリアスとの信義を貫いたと考えれば、実に筋の通った男に思えますな。」
「その方、まるでハンベエの信奉者のように肩入れしているのお。」
「いや、被害を少なく、事を収めるための意見を上申しているだけですな。ハンベエは敵に回すべきではないですな。」
「良い、分かったわ。その方の考えも頭に入れておくわ。だが、王国の秩序の問題もある。甘い顔ばかりは見せておられぬわ。これ以上の口出しは無用ぞ。」
 ラシャレーは厳しく言って、話を締めくくった。

 やれやれ、思わぬ展開である。てっきり、ラシャレーが激怒し、ハンベエ処罰の厳命が直ぐにでも発っせられるものと思いきや、『声』がハンベエ弁護の役を買って出ようとは。人の心ばかりは計り難い・・・・・・ん? いや待てまさか、『声』はひょっとしたら、ハンベエ処罰の方針となった場合、自分の統帥するサイレント・キッチンにハンベエ処分のお鉢が回って来ると考えたのだろうか。
 成る程、有りそうな話ではある。その場合にサイレント・キッチンが被る被害を計算すれば、事を穏便に済ませたいと考えても不思議は無いのかも知れない。
 『声』を去らせた執務室に、文官がラシャレーを呼びにやって来た。国王の御前でハンベエに係る一件を打合せるので、早急に罷り越すようにとの伝達であった。発議を起こしたのは、またしてもステルポイジャンであった。
 ラシャレーは衣服を整えると、直ぐに指定された国王バブル六世の御座(王の病は全く快方に向かう気配が無いため、今回も王の寝室である。)に向かった。
  寝室の警護の兵が、室内にラシャレー到着を告げるや、ラシャレーは直ぐに部屋に入る。
 そして、寝台の上に侍医に支えられて辛うじて半身を起こしている国王に恭しく一礼した。
「国王陛下には尊顔麗しく・・・・・・。」
 とラシャレーは型通りの挨拶をしながら、王の顔色を見て、一瞬言葉を呑んでしまった。
 幽鬼・・・・・・かと思われるほど、国王の顔には生彩が無い。元々、長い病で顔色は良くなかったが、今日見る国王の顔には死臭すら漂っている。
(何とお痛わしい姿か。前回、お見舞い申し上げたのは一週間前、かほどに病状が悪化しようとは)
「ラシャレー、世辞は良い。ステルポイジャンから、バンケルクとハンベエの争いについての処置について、発議があった。既にあらましは大将軍から聞いている。そして、大将軍の提案はハンベエをタゴロローム守備軍司令官に任命して、タゴロロームを治めさせる事だ。そちの考えが聞きたい。」
 言葉に詰まっているラシャレーに、バブル六世が、途切れ途切れ、苦し気に言った。
 ハンベエをタゴロローム守備軍司令官に。・・・・・・ステルポイジャンの提案を聞いて、ラシャレーはこの政敵の顔をまじまじと見つめた。
「随分と大胆な提案じゃな。ついこの間一兵卒になったばかりの者をいかに武勇の士とは云え、いきなり軍司令官に、それでは軍紀が保てないのではないか?」
 ラシャレーはステルポイジャンの方を向き、その表情を窺いながら、ゆっくりと言った。
「軍紀か。タゴロローム守備軍の軍紀なら既に朽ち果てておるではないか。それもこれも、バンケルクが原因だ。」
 ラシャレーを見返して、ステルポイジャンは言った。
「ふむ。しかし、だからと言ってハンベエの為した事を許すわけには行くまい。あやつのやった事は反乱じゃ。」
「反乱だとはわしは思わん。国軍を乱した不埒者を誅戮ちゅうりくしたのだと、わしは考える。」
「誅戮、罪人はバンケルク将軍か?」
「ではないか。バンケルクには幾つもの罪がある。一つ、アルハインド族との戦いにおいて、許されれざる戦術を使用して、兵士の国家への忠誠心を消滅させた。一つ、ハナハナ山における接収財産額を虚偽報告して、私腹を肥やした。一つ、タゴロロームにおいて、売春宿等からマイナイを受けて私腹を肥やした。一つ、ゲッソリナ行政府の命令に逆らって、第五連隊討伐をしようとした。罪人なる事、明々白々ではないか。」
「いやに詳しいの。」
「わしにも目や耳があるからのお。そもそも、前回の会議において、バンケルクの更迭、軍法会議を決めておれば、今回の事は起きなかったはずである。」
「むっ。わしの処置が誤っておったと言われるのかの。」
「違うと言えるか。」
「結果を見るに、わしは誤ったのであろうの。バンケルクの愚か者めが。」
 ラシャレーは苦虫を潰したような顔を作り、己の非を渋々認めながら、心の内では全く別の思案をしていた。
 何故にステルポイジャンは、これほどまでにハンベエの肩を持つのか。先程、『声』もハンベエを擁護する内容の意見を言った。しかし、ステルポイジャンの発言は同列には扱えない。ハンベエとステルポイジャンの間に何等かの密約でもあるのか?
 そもそも情報では、ハンベエはフデンの弟子であり、それに絡んでステルポイジャンの右腕であるガストランタと敵対関係にある。どうやら、ステルポイジャン陣営はその事を知らぬようであるが。
 そう云えば、コーデリアスの側近が遺書を持ってステルポイジャン陣営に飛び込んだのであったな。或いは、それもハンベエの指示か?
 ハンベエめ、ステルポイジャンとこのわしの両方によしみを通じておく腹だったのか?
 思案の内に、ラシャレーは目を閉じてしまっていた。
(ステルポイジャンはハンベエを味方に取り込める、或いはそうでなくてもバンケルクのように敵に回る可能性は低いと考えているようだな。元々、コーデリアスはステルポイジャンの下にいた男。ステルポイジャンとしては、コーデリアスの仇を討ったとも思えるハンベエに好意を寄せてもおかしくはない。おかしくはないが、肩入れし過ぎではないか。)
 ラシャレーの頭の中で、様々な思惑が渦巻いた。だが、何故か、どうしてもステルポイジャン側に与するハンベエの姿が想像ができないでいた。
「何を考えている?」
 と、眼を閉じたままブスッと黙り込んでいるラシャレーに、業を煮やしたかのようにステルポイジャンが言った。
「いや、ハンベエでタゴロローム守備軍が治まるものかと考えていた。」
「治まるとも、そもそも兵士達が軍司令官であるバンケルクからハンベエの下に奔った事を貴公は何と考えているのだ。ハンベエという人物が並々ならぬ将器であり、兵士の支持を得る人物だからだろう。兵士の事は兵士に任せろだ。兵士にとってハンベエは頼りになる信頼に足る人物だという事だ。その辺の機微は貴公よりわしの方が良う知っている。」
「だが、ハンベエに果たして、ゴロデリア王国に対する忠誠心が有るかどうか? それに軍功という点においても・・・・・・。」
「聞くところでは、アルハインド族の撃退にもハンベエの活躍が大いに功が有ったやに聞いている。それに、ハンベエの忠誠心が心配なら嫁でも持たせれば良かろう。」
「嫁?」
「そうだ。恐れ多い事ではあるが、王族に連なる適齢の娘御を探してハンベエに娶せれば、元々は風来坊の身分低き人物、感奮して王国に尽くすであろう。」
 この言葉を聞いた瞬間、ラシャレーは俄かに僅かながら愁眉をひらいた。
 別にステルポイジャンの考えを妙案だと思ったわけではない。ステルポイジャンはハンベエという若者を全く理解していないと確信したからである。
 ラシャレーの見るところ、ハンベエは王家の者を嫁に貰って感激するような人間では決してない。ないと云えば、銅貨が月がに取って代わる事があろうと決してないと思われる。このような発言が出てしまうという事は、ステルポイジャンがハンベエという人間を良く知らない証左である。ハンベエとステルポイジャンは通じてはいない。
 先程、国王の顔色を見たラシャレーの心には微妙な変化が生じていた。国王の死もそう遠くない。そうなれば、ステルポイジャンはフィルハンドラを擁して必ず牙を剥くであろう。事を起こした暁には、タゴロローム守備軍軍司令官となったハンベエをステルポイジャンは抱き込む事ができると考えているのだ。だが、ガストランタを敵とするハンベエがステルポイジャンの側に付く事は有り得ない。むしろ、敵方に回るであろう。間違いないはずだ。
 味方のつもりで敵を育てるという、ステルポイジャンの自分自身の首を締める提案に、渋面を作りながら乗ってやるのも悪くはないな、とラシャレーは満腔の嘲笑を抱きながら思った。そして、苦々しげに言った。
「わしは既に前回失敗っている。貴公がそこまで言うなら、ハンベエをタゴロローム守備軍軍司令官に任命するという提案に賛成しよう。国王陛下、私めもステルポイジャン大将軍の意見を致し方無しと考えます。しかし、大将軍よ、ハンベエをあまり買い被らん方が良いぞ。」
 ラシャレーの賛成を聞き、国王は無言のままステルポイジャンに頷いた。ステルポイジャンの意見がバブル六世に採用されたのである。

 何というラシャレーの底意地の悪さ。

 何という運命の皮肉、反乱者としてゴロデリア王国と敵対するどころか、ハンベエはバンケルクに取って代わる事になろうとしていた。
 敵対するラシャレーとステルポイジャンの思惑による摩訶不思議な産物とはいえ、ハンベエという男、如何なる星の下に生まれて来たのやら。
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