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百十 狡猾なりハンベエ(その三)
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秘密を打ち明けられ、守ると約束してもらったから・・・・・・と云うわけでも無かろうが、奇妙な事にエレナのハンベエに対する蟠りは刻一刻と氷解して行き、一夜明けた時はほとんど無くなってしまっていた。
改めて考えると、エレナは自分の方こそハンベエに対し負い目があるのだと思った。
元々、ハンベエは一介の風来坊。このゴロデリア王国とは全く無縁であった人物を今日の内乱と結び付けたのは、タゴロローム守備軍への入隊であった。そして、それを勧めたのはエレナ本人なのだ。
ハンベエの側から見れば、エレナの奨めが無かったら、タゴロローム守備軍に入隊しなかったかと言えば、ガストランタを戦場で討ち果たす腹のハンベエだ、どうだったか分からない。
とは云え、エレナにしてみれば、ハンベエ推薦の紹介状まで書いた身である。しかも、良く良く考えれば、ハンベエとバンケルクの不仲は、その推薦状が発端では無いかとさえ思えて来るのである。
蟠りが消え、憎しみが去って見れば、
(私は随分と酷い態度を取ってしまっていた。)
と思わずにはいられない。
バンケルク滅亡後、度々ハンベエに我慢仕切れず感情をぶつけ、その度に後悔の念に苛まれて来たエレナではあった。だが、今回はそれまでの後悔とは少し違っていた。
妙に心が凪いでいた。
(償えば良いのだ。償おう。)
静かな心でそう思った。
(ハンベエさんは、ハンベエさん達は私を守る為に戦おうとしてくれているのだ。それなのに人が死ぬとか自分が犠牲になりさえすればとか、綺麗事ばかり言って、自分だけいい子になろうなんて、なんて我が儘だったろう。例え、私の為に多くの血が流れ、怨嗟の声を浴びせられても、この身が血塗れに汚れようとも拒むまい。そうして、彼等と一緒に生きて行こう。生きて行きたい。)
地獄に堕ちてもいい、とさえエレナは思った。
さて、ここで又水を差すような事を書いてしまわなければならない(本当にウザイ作者だね、ごめんなさいね)。ロキやイザベラは純粋にエレナの事を思っての行動なのだろうが、ハンベエにはガストランタ打倒と云う目的がある。勿論、エレナを守ろうと云うのは嘘ではあるまい。しかし、エレナを守ろうと云うのが本命なのか、それとも、己の目的の為、エレナを利用しているのか、判然としないのである。意外にハンベエ自身、解っていないのかも知れない。
まっ、作者の与太はともかく、エレナは漸く迷いを振り捨て、ステルポイジャン達と戦う事を心に決めた。そして、ハンベエを訪れて、決意を告げたのであった。
ハンベエは翌日、タゴロローム陣地の広場に守備軍将士全員を集めた。
学校の朝礼台ではないが、いや朝礼台どころか、高さ五メートルもの階段付き台座を設け、その上から布告した。
「既に聞き及んでいる向きも有るかも知れないが、守備軍兵士全員に告げる。ゲッソリナにおいては、国王バブル六世が崩御され、新たにバブル七世が即位した。バブル六世の死去は隠れ無き事実であるが、バブル七世の即位は不審極まりない話である。」
ハンベエの話を守備軍兵士は騒ぐ事無く聞いている。根回しと云うか、口コミで既に広まっている話なので、驚きもしない様子である。
「宰相ラシャレー閣下を追い落とし、太子であるゴルゾーラ王子を差し置いて、僅か十六歳の王子を武力を背景に国王に祭り上げたる事、近頃珍しき曲事にて、天、人、共に見逃し難し。又、その曲事なることバスバス平原における虐殺に見ても明々白々。」
「余つさえ、王位に全く関心有らざる王女エレナ姫を捕らえて抹殺せんとした事実有り。」
ハンベエの布告は途中から嫌に堅苦しい言葉使いになっている。己の意を伝え、兵士の心を掴もうと生の言葉を使う普段のものとは少しばかり違っている。アガっているのだろうか? それとも、わざとやっているのか。
兵士達の方は何やら、お経でも聞いているような気分になっている。もっとも、既に口コミを通じて何度も耳にした事柄なので、言わんとする事は分かるようだ。
「姫におかせられては、危難を避くるため、このタゴロロームに身をお隠し有られたが・・・・・・ふーっ、何だか、大仰な言い回しに舌がくたびれちまった。」
ハンベエは突然そう言うと首を振り頭をかいた。
兵士達は一様に苦笑してしまった。吹き出してしまう者まで出る始末である。
「皆には、今まで隠していて悪かったが、実は姫様を匿っている。そこへ、一昨日、『おととい来やがれ』ってわけじゃないが、ステルポイジャンからの使者が現れて、姫様を引き渡せと言って来た。姫様の身の安全は保障すると言ったが、嘘八百に決まっている。何せ、向こうにはモスカ夫人がいる。前王妃の忘れ形見である王女をそのままにしておくなどとは、赤子が聞いても信用しないだろう。」
突然砕けた口調にハンベエは変えた。再びハンベエが喋り始めると兵士達は騒めくのをやめた。
「窮鳥懐に入れば猟師もこれを殺さずだ。まして慈悲深い王妃レーナ様のお姫様だ。みすみす殺されると分かっていながら、引き渡すなど人として忍び得ないところだ。」
風来坊ハンベエにとって前王妃など無縁の存在であるが、ゴロデリア国民が彼の故王妃に抱いている心情をボーンやモルフィネスから聞き、その名を出す効果も計算の上である。
「更に云えば、憚りながら、当方男の端くれであれば、佞臣に追われ、身の置き所無き困窮を我が身の安全に代えるなど、古今東西話にも聞き及ばず。」
窮地にある王女を引き渡すなど男のする事じゃねえ! とハンベエは兵士に宣言したのであった。言い方が又もや堅苦しいものになったのは照れ隠しのようだ。
「使者の王女を引き渡せと言う要求は、すっぱり断った。そしたら、使者の奴、タゴロローム守備軍は滅亡するぞと脅し文句を言って帰って行きやがった。ゲッソリナのステルポイジャン達は敵になったから、そう覚悟してくれ。」
ゴクリと生唾を飲む兵士がいた。兵士達に驚いた様子は無かった。根回しの効果なのだろう。来るべきものが来たと云う雰囲気であった。
「それでだ。お姫様がお前等に言いたい事があるらしいので、静粛にして聞くように。」
ハンベエはそう言って台から降りた。
エレナの番である。黙々と階段を登って台座の上に上がった。
衣服はハンベエの用意した金色の甲冑と龍の鉢金である。踵まで届く薄地の白絹のマントを肩留めして軽やかに靡かせている。
折から、中天高く昇った日輪の陽射しが、遮るものとて無くエレナの鎧に跳ね返り、兵士の目に痛いほど眩く映じた。
目も眩むばかりとはこの事である。そのあまりの輝きは、兵士達に何かこの世のものとも思えないほどの鮮やかさを印象付けた。
(おお、眩しいぜ。)
とハンベエは美々しい王女の鎧の輝きに少なからぬ満足感を抱いていた。
何せ、この男、王女の着衣に先立ち、その甲冑一式をイシキンと一緒になってせっせと磨いたほどなのだ。
エレナは自分の身に纏う鎧に結構必死になって磨きをかけるハンベエを見て、何やら失望したような、ちょっと軽侮の混じった面映ゆい顔をした。甲冑とは云え、女の身に付ける物を真剣に磨くハンベエの似つかわしくない姿に、ハンベエさんともあろう者が、と好感度が急落した模様であった。
しかし、ハンベエは必死であった。ハンベエの頭では、今日の甲冑の光り具合が兵士達のエレナに対する印象を決定付けると大真面目に考えていた。少しでも神々しく、出来れば女神かなんかのように兵士達にエレナを仰がせる事はハンベエの戦略には重要な事であった。
女の纏う物とか、そんな余念を抱く余地も無く、刀を磨く如く、王女の鎧を丹念に磨き込んだハンベエであった。流石に、エレナの着替えにまでは手を貸さなかったが。
因みに、イザベラ不在の為、エレナは独りで甲冑を身に纏わなければならなかった。それは結構な難事業であった。
「王女のエレナです。タゴロロームの兵士の皆さん、始めまして。」
エレナはこう言って話を切り出した。
兵士達は身じろぎもできず、その姿に釘付けになっている。
陽射しは飽くまでも強く、空気は少し湿気を帯び、汗ばむような陽気に、時折緩やかな風が吹いて涼を与える。その中、兵士の眼には輝くエレナの姿がゆらゆらと揺れ、時に霞みそうになる。兵士達は息が止まりそうな静寂の中でその声を聞いていた。
「国王陛下の死後、ステルポイジャンは、まだ年若いフィルハンドラ王子に国王を僭称させ、国政を壟断。早くも近衛兵団とその一族何万人もを虐殺し、暴政を恣にし始めました。今、ゲッソリナでは市民が恐怖に恐れおののき、夜も眠れぬ有様と聞きます。私は、王位にひとかけらの関心も有りませんが、このステルポイジャンの専横を捨て置くわけには行きません。東には太子ゴルゾーラ殿下が彼等に屈する事無く対峙しています。私もステルポイジャン達と戦いたいと思います。どうか力を貸して下さい。」
そう言うとエレナは階段を降りた。少々紋切り型であったが、王女の威厳と人柄の真面目さは伝わったようだ。何より、そのキラキラとした姿は眩しさに正視できないほどで、兵士の目を幻惑して放さなかったようだ。
その背後で、
「おおーっ。」
と言う声が兵士達の所々で起こり、続いて夢から覚めたかのように、兵士の大部分が『オオーッ』と声を挙げた。
「王女様、万歳。」
「王女様、万歳。」
「万歳、万歳。」
余計な事であるが、最初の掛け声はハンベエが仕込んでいたものだった。ハンベエは親衛隊となった旧第五連隊兵士を目立たないように兵士の間に点々と潜り混ませ、頃合いを見て声を挙げるよう言い含めてあったのである。
(七分咲きと言ったところか。)
ハンベエは兵士の様子を冷やかに観察していた。ふと見ると、モルフィネスがこれまた氷のような佇まいで兵士達の様子を窺っていた。
ハンベエは再び台座に登った。
「王女様の挨拶の後に又何か言うのも間の抜けた感じで、気が引けるんだが。」
とハンベエが言うと、兵士達から『確かにその通り、何がしたいのよ。』と冷やかしの声が出た。
ハンベエ、苦笑。
「姫様が言い忘れた・・・・・・と言うか、高貴なお人柄ゆえ口に出来なかった事が有ってな。姫様に王位への野心はないが、この戦、勝てば褒美は望み放題だ。」
「おおー。」
現金なもので、兵士達から一斉に歓声が挙がった。飛び上がった奴もいた。
ハンベエは、王女エレナの兵士達への挨拶が終わると、明くる日から兵士達に調練を命じた。と同時に、各中隊長を通じて兵士達に戦術についての改良意見の考究を命じた。
ここにも、ハンベエの詐略が有る。兵士達の眼をどうやって戦うかと云う方向に向けさせ、何故戦うかと云う方向に向かわないよう先手を取ったのである。
その一方で、王女エレナには兵士達の調練を謁見するよう勧めた。
エレナは吹っ切れたように、ハンベエの勧めに従い、金の甲冑を纏い、白馬に跨がって兵士達を見て回った。
やっとここまで来た、とハンベエは一息つきたくなったが、慌てて表情を引き締めた。
(勝負はこれからだ。)
だが、その顔に些か精彩が増して来たのは、どうにも隠しきれない事だった。
改めて考えると、エレナは自分の方こそハンベエに対し負い目があるのだと思った。
元々、ハンベエは一介の風来坊。このゴロデリア王国とは全く無縁であった人物を今日の内乱と結び付けたのは、タゴロローム守備軍への入隊であった。そして、それを勧めたのはエレナ本人なのだ。
ハンベエの側から見れば、エレナの奨めが無かったら、タゴロローム守備軍に入隊しなかったかと言えば、ガストランタを戦場で討ち果たす腹のハンベエだ、どうだったか分からない。
とは云え、エレナにしてみれば、ハンベエ推薦の紹介状まで書いた身である。しかも、良く良く考えれば、ハンベエとバンケルクの不仲は、その推薦状が発端では無いかとさえ思えて来るのである。
蟠りが消え、憎しみが去って見れば、
(私は随分と酷い態度を取ってしまっていた。)
と思わずにはいられない。
バンケルク滅亡後、度々ハンベエに我慢仕切れず感情をぶつけ、その度に後悔の念に苛まれて来たエレナではあった。だが、今回はそれまでの後悔とは少し違っていた。
妙に心が凪いでいた。
(償えば良いのだ。償おう。)
静かな心でそう思った。
(ハンベエさんは、ハンベエさん達は私を守る為に戦おうとしてくれているのだ。それなのに人が死ぬとか自分が犠牲になりさえすればとか、綺麗事ばかり言って、自分だけいい子になろうなんて、なんて我が儘だったろう。例え、私の為に多くの血が流れ、怨嗟の声を浴びせられても、この身が血塗れに汚れようとも拒むまい。そうして、彼等と一緒に生きて行こう。生きて行きたい。)
地獄に堕ちてもいい、とさえエレナは思った。
さて、ここで又水を差すような事を書いてしまわなければならない(本当にウザイ作者だね、ごめんなさいね)。ロキやイザベラは純粋にエレナの事を思っての行動なのだろうが、ハンベエにはガストランタ打倒と云う目的がある。勿論、エレナを守ろうと云うのは嘘ではあるまい。しかし、エレナを守ろうと云うのが本命なのか、それとも、己の目的の為、エレナを利用しているのか、判然としないのである。意外にハンベエ自身、解っていないのかも知れない。
まっ、作者の与太はともかく、エレナは漸く迷いを振り捨て、ステルポイジャン達と戦う事を心に決めた。そして、ハンベエを訪れて、決意を告げたのであった。
ハンベエは翌日、タゴロローム陣地の広場に守備軍将士全員を集めた。
学校の朝礼台ではないが、いや朝礼台どころか、高さ五メートルもの階段付き台座を設け、その上から布告した。
「既に聞き及んでいる向きも有るかも知れないが、守備軍兵士全員に告げる。ゲッソリナにおいては、国王バブル六世が崩御され、新たにバブル七世が即位した。バブル六世の死去は隠れ無き事実であるが、バブル七世の即位は不審極まりない話である。」
ハンベエの話を守備軍兵士は騒ぐ事無く聞いている。根回しと云うか、口コミで既に広まっている話なので、驚きもしない様子である。
「宰相ラシャレー閣下を追い落とし、太子であるゴルゾーラ王子を差し置いて、僅か十六歳の王子を武力を背景に国王に祭り上げたる事、近頃珍しき曲事にて、天、人、共に見逃し難し。又、その曲事なることバスバス平原における虐殺に見ても明々白々。」
「余つさえ、王位に全く関心有らざる王女エレナ姫を捕らえて抹殺せんとした事実有り。」
ハンベエの布告は途中から嫌に堅苦しい言葉使いになっている。己の意を伝え、兵士の心を掴もうと生の言葉を使う普段のものとは少しばかり違っている。アガっているのだろうか? それとも、わざとやっているのか。
兵士達の方は何やら、お経でも聞いているような気分になっている。もっとも、既に口コミを通じて何度も耳にした事柄なので、言わんとする事は分かるようだ。
「姫におかせられては、危難を避くるため、このタゴロロームに身をお隠し有られたが・・・・・・ふーっ、何だか、大仰な言い回しに舌がくたびれちまった。」
ハンベエは突然そう言うと首を振り頭をかいた。
兵士達は一様に苦笑してしまった。吹き出してしまう者まで出る始末である。
「皆には、今まで隠していて悪かったが、実は姫様を匿っている。そこへ、一昨日、『おととい来やがれ』ってわけじゃないが、ステルポイジャンからの使者が現れて、姫様を引き渡せと言って来た。姫様の身の安全は保障すると言ったが、嘘八百に決まっている。何せ、向こうにはモスカ夫人がいる。前王妃の忘れ形見である王女をそのままにしておくなどとは、赤子が聞いても信用しないだろう。」
突然砕けた口調にハンベエは変えた。再びハンベエが喋り始めると兵士達は騒めくのをやめた。
「窮鳥懐に入れば猟師もこれを殺さずだ。まして慈悲深い王妃レーナ様のお姫様だ。みすみす殺されると分かっていながら、引き渡すなど人として忍び得ないところだ。」
風来坊ハンベエにとって前王妃など無縁の存在であるが、ゴロデリア国民が彼の故王妃に抱いている心情をボーンやモルフィネスから聞き、その名を出す効果も計算の上である。
「更に云えば、憚りながら、当方男の端くれであれば、佞臣に追われ、身の置き所無き困窮を我が身の安全に代えるなど、古今東西話にも聞き及ばず。」
窮地にある王女を引き渡すなど男のする事じゃねえ! とハンベエは兵士に宣言したのであった。言い方が又もや堅苦しいものになったのは照れ隠しのようだ。
「使者の王女を引き渡せと言う要求は、すっぱり断った。そしたら、使者の奴、タゴロローム守備軍は滅亡するぞと脅し文句を言って帰って行きやがった。ゲッソリナのステルポイジャン達は敵になったから、そう覚悟してくれ。」
ゴクリと生唾を飲む兵士がいた。兵士達に驚いた様子は無かった。根回しの効果なのだろう。来るべきものが来たと云う雰囲気であった。
「それでだ。お姫様がお前等に言いたい事があるらしいので、静粛にして聞くように。」
ハンベエはそう言って台から降りた。
エレナの番である。黙々と階段を登って台座の上に上がった。
衣服はハンベエの用意した金色の甲冑と龍の鉢金である。踵まで届く薄地の白絹のマントを肩留めして軽やかに靡かせている。
折から、中天高く昇った日輪の陽射しが、遮るものとて無くエレナの鎧に跳ね返り、兵士の目に痛いほど眩く映じた。
目も眩むばかりとはこの事である。そのあまりの輝きは、兵士達に何かこの世のものとも思えないほどの鮮やかさを印象付けた。
(おお、眩しいぜ。)
とハンベエは美々しい王女の鎧の輝きに少なからぬ満足感を抱いていた。
何せ、この男、王女の着衣に先立ち、その甲冑一式をイシキンと一緒になってせっせと磨いたほどなのだ。
エレナは自分の身に纏う鎧に結構必死になって磨きをかけるハンベエを見て、何やら失望したような、ちょっと軽侮の混じった面映ゆい顔をした。甲冑とは云え、女の身に付ける物を真剣に磨くハンベエの似つかわしくない姿に、ハンベエさんともあろう者が、と好感度が急落した模様であった。
しかし、ハンベエは必死であった。ハンベエの頭では、今日の甲冑の光り具合が兵士達のエレナに対する印象を決定付けると大真面目に考えていた。少しでも神々しく、出来れば女神かなんかのように兵士達にエレナを仰がせる事はハンベエの戦略には重要な事であった。
女の纏う物とか、そんな余念を抱く余地も無く、刀を磨く如く、王女の鎧を丹念に磨き込んだハンベエであった。流石に、エレナの着替えにまでは手を貸さなかったが。
因みに、イザベラ不在の為、エレナは独りで甲冑を身に纏わなければならなかった。それは結構な難事業であった。
「王女のエレナです。タゴロロームの兵士の皆さん、始めまして。」
エレナはこう言って話を切り出した。
兵士達は身じろぎもできず、その姿に釘付けになっている。
陽射しは飽くまでも強く、空気は少し湿気を帯び、汗ばむような陽気に、時折緩やかな風が吹いて涼を与える。その中、兵士の眼には輝くエレナの姿がゆらゆらと揺れ、時に霞みそうになる。兵士達は息が止まりそうな静寂の中でその声を聞いていた。
「国王陛下の死後、ステルポイジャンは、まだ年若いフィルハンドラ王子に国王を僭称させ、国政を壟断。早くも近衛兵団とその一族何万人もを虐殺し、暴政を恣にし始めました。今、ゲッソリナでは市民が恐怖に恐れおののき、夜も眠れぬ有様と聞きます。私は、王位にひとかけらの関心も有りませんが、このステルポイジャンの専横を捨て置くわけには行きません。東には太子ゴルゾーラ殿下が彼等に屈する事無く対峙しています。私もステルポイジャン達と戦いたいと思います。どうか力を貸して下さい。」
そう言うとエレナは階段を降りた。少々紋切り型であったが、王女の威厳と人柄の真面目さは伝わったようだ。何より、そのキラキラとした姿は眩しさに正視できないほどで、兵士の目を幻惑して放さなかったようだ。
その背後で、
「おおーっ。」
と言う声が兵士達の所々で起こり、続いて夢から覚めたかのように、兵士の大部分が『オオーッ』と声を挙げた。
「王女様、万歳。」
「王女様、万歳。」
「万歳、万歳。」
余計な事であるが、最初の掛け声はハンベエが仕込んでいたものだった。ハンベエは親衛隊となった旧第五連隊兵士を目立たないように兵士の間に点々と潜り混ませ、頃合いを見て声を挙げるよう言い含めてあったのである。
(七分咲きと言ったところか。)
ハンベエは兵士の様子を冷やかに観察していた。ふと見ると、モルフィネスがこれまた氷のような佇まいで兵士達の様子を窺っていた。
ハンベエは再び台座に登った。
「王女様の挨拶の後に又何か言うのも間の抜けた感じで、気が引けるんだが。」
とハンベエが言うと、兵士達から『確かにその通り、何がしたいのよ。』と冷やかしの声が出た。
ハンベエ、苦笑。
「姫様が言い忘れた・・・・・・と言うか、高貴なお人柄ゆえ口に出来なかった事が有ってな。姫様に王位への野心はないが、この戦、勝てば褒美は望み放題だ。」
「おおー。」
現金なもので、兵士達から一斉に歓声が挙がった。飛び上がった奴もいた。
ハンベエは、王女エレナの兵士達への挨拶が終わると、明くる日から兵士達に調練を命じた。と同時に、各中隊長を通じて兵士達に戦術についての改良意見の考究を命じた。
ここにも、ハンベエの詐略が有る。兵士達の眼をどうやって戦うかと云う方向に向けさせ、何故戦うかと云う方向に向かわないよう先手を取ったのである。
その一方で、王女エレナには兵士達の調練を謁見するよう勧めた。
エレナは吹っ切れたように、ハンベエの勧めに従い、金の甲冑を纏い、白馬に跨がって兵士達を見て回った。
やっとここまで来た、とハンベエは一息つきたくなったが、慌てて表情を引き締めた。
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