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2・冗談

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 母の死因は頭がい骨骨折、頚椎骨折、脳の損傷、肋骨の骨折、脊髄骨折、その他多数――飛び降りだった。遺書はなく、自宅マンションの七階から落ちた。土曜日の午後二時半。「行ってくるわね」と普段着でドアを出た八分後にサイレンが響いた。

 父も、ましてや兄弟もいない僕は、祖父母と親戚の来訪も消えてようやく静かになった見慣れた部屋を持て余している。どこまでも空虚にフラクタルな心を。

 知らぬ間に仕事部屋へ据えられていた仏壇と雑誌用に撮ったきれいな遺影。それから彼女の寝室。絵本作家の雰囲気を微塵も感じさせない白と黒のシンプルな淋しい部屋。仕事以外でカラフルなものを見るのが苦手だった彼女。僕はそれらを歩き回る。

 警察は仕事部屋を丹念に調べていたけれど、彼女の死に繋がるような理由も手掛かりも見つからなかった。当然だと思った。彼女はそういう人だったから。

 つまらない毎日というならそれはそれ以前と変わらない。腰のマッサージをしてあげる相手がいなくなったくらいのものだ。コンビニの弁当は相変わらずポテトサラダが温まったままで。

 そんな訳で僕の夏休みはクラスメイトよりも早く始まった。死因が死因だけに葬儀はやはり親類だけで小さく行ったが、葬儀の翌日クラスメイトの数人が花を持って来てくれた。泣いていた女子生徒には気の毒だったけれど、その神経は分からなかった。僕自身が不憫だったのか、クラスメイトの不幸を知った自分が悲しかったのか。


 ただひとつ彼女からのメッセージに気づいたのは僕だけだったろう。通帳とカードの類が、いつも「ないよないよ!」と探し回っていたバッグの中ではなく仕事場の机の引き出しに入っていた。稿料と印税の振り込まれる口座と、生活費の入った通帳。きちんと重ねてあった。決して事故でなかったことは僕がいちばん分かっている。それに悲しんでいてはいけないことを。彼女が果たして宇宙のフラクタルの一部になったのか、僕は突き止めなければならない。反省と克服のために。その日から胸に生まれた小さな苛立ちのために。


 夏期補習が始まった。今後、毎晩の夜更かしに目覚めがついてゆくかだけが心配だった。毎晩テレビショッピングまでも見てしまう生活の中で。

 午後七時にチャイムが鳴る。この一週間で慣れきったその音。迷わず玄関へ向かう足取り。ドアスコープを覗くこともなくドアを開けてしまう。今日は誰だろうと。

「竜崎君――」

 ドアを閉めようと思った。コーラの染みが出来た白いセーラー服。

「田村さん、なに。なんでウチに来るの」

「私まだ、お悔やみに来てないの。お花くらいと思って」

 その手に花はない。スーパーの大きな袋が握られている。それでも無下には出来ない。

「上がってください」

 彼女はキチンと靴を揃えて廊下を歩いて来る。染みのついたセーラー服で。

「ひとりには広いわね」

 彼女はリビングを見回す。

「ふたりでも広かったよ。父さん、出て行ったから」

 その父は未だ現れない。だから不用意にドアを開けた。

 彼女は袋をキッチンテーブルへ置く。

「お仏壇、案内して」

 作法だけはしっかりとした線香を上げた。リビングへ戻り、

「ありがとう。荷物忘れないでね」

「ああそうね。忘れるところだった」

 言うと彼女はスタスタと冷蔵庫へ向かってゆく。すると何の了承もなく上から順に開け始めた。

「よかった。何もないのね。とりあえず全部入れておくから。今日は遅くなって無理だけど、明日からは毎日来るわ。嫌いなものに関しては栄養管理上受けつけてないけれど、好きなものに関しては極力作ってあげるようにするわ。ひとまず明日は麻婆豆腐よ」

「ゴメン、意味が分からない」

「晩ご飯だけよ。朝とお昼はなんとかして。私もそんなに暇じゃないから」

「いや、そうじゃなくて」

「晩ご飯だけ作りに来るわ。大丈夫、二人分作って一緒に食べて帰るから。寂しくないでしょう。洗い物は出来れば自分でやって。それじゃ明日、学校で」

 すっきりと、さっぱりとした顔で玄関へ向かうと、

「元気出して」

 ドアを抜けて帰って行った。まだ何かの冗談だと思っていた。
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