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戦人外伝 ~木ノ下家の事情~
達磨の矢五郎
しおりを挟む木ノ下惣鳴が連れてこられたのは、太い木格子で囲われた牢屋だった。
天然の岩屋を改造して作っているらしい。
内部は少し湿っぽくてカビ臭い。
それらとは違う、腐ったような嫌な臭いもする。
しかし、足元にそれほど塵が積もっていないところをみると、最近まで使われていたことがわかった。
「…………」
惣鳴は煙管が欲しいと思った。
だが、所持品はすべて、彼を連行してきた狩人達に取り上げられてしまっている。
何処で貰ったか忘れたおまじないの札や、期限の過ぎた富くじはともかく、煙管だけは返してもらおうと考えた。
何しろそれは、咲夜からの贈り物だった。
どうやって牢屋から抜け出そうか考えていると、数人の男達がやってきた。
その中には女性も混ざっている。
そして全員が、狩人の連中とは違う種類の服装をしていた。
男たちの中の一人――――威厳と言うには及ばない雰囲気をした、偉そうなだけの男が前に出て来た。
「……あんたは、『戦人』らしいな」
「そうですが?」
恐らくは所持品をすべて調べたのだろう。
素性が判明した原因は、皇帝から賜った鉄印だと思われる。
それくらいは考えなくても理解できた。
問題はこれからだ。
偉そうな男が言う。
「わしは矢五郎だ。このあたりを納めている領主といったところだわ。『達磨の矢五郎』ってのは聞いたことがないかい?」
「はぁ、知りません」
そう言った途端、周りにいた男達が格子を殴りつけて罵声を浴びせかけてきた。
今回は新種の『芋蔓野郎』という言葉も混じっていた。
やはり地方によって言葉は違うなぁ、と惣鳴は思った。
矢五郎が、手下を制してから口を開いた。
「ま、『戦人』にとっちゃあ地方の領主なんざ、お山の大将にしか見えないかもしれんがね。いま、あんたの命を握ってんのが誰かは理解して欲しいんだが」
脅しつける仕草だけは、手馴れているようだった。
大体ではあるが、己の立場を理解した惣鳴は頷いた。
「ええ、それは承知してますよ。僕に何の用事ですか」
「……おう、話が早くて助かるぜ。そいじゃ秋政、この人の持ってたモン、返してやんな」
台詞の後半は、背後にいる人間にあてたものだった。
頑丈そうな錠前が外され、秋政と呼ばれた男が牢屋の外から手招きをした。
出て来いということらしい。
惣鳴はゆっくりと牢屋から外に出た。
足元に煙管と煙草入れ袋が放り投げられる。
彼はそれを拾い上げ、中身を確認すると懐の中に仕舞い込んだ。
矢五郎が言う。
「何だい、そんなに葉っぱが好きか。……それとも、あぶない葉っぱでも吸ってんのかい」
「そんなんじゃないですがね」
「へぇ、そうかい。ま、ここじゃ立ち話もなんだ。表ぇ出て話しようじゃねぇか」
踵を返した矢五郎が、先頭に立って歩き出した。
取り巻きの男達も、惣鳴を取り囲むような配置に立って矢五郎についていく。
必然的に、惣鳴も後を追うことになった。
牢屋にされていた岩屋を出ると、そこには集落が広がっていた。
森の中にあるとは思えないほど活発な様子だった。
街道沿い程度の街と遜色ない賑わいである。
そうなってくると、矢五郎の実力も計れてくるというものだ。
優秀な参謀でもいるのか、実は金勘定にだけはめっぽう強いのか、とにかく威張るだけの力はありそうだった。
優秀な参謀を部下に持つということも、能力の一つだからである。
少しばかり街の中を歩き、人の少ない茶屋に立ち寄った。
茶屋の中にいた客達は、矢五郎を見ると挨拶しながら店から出ていった。
客の中の一人が女性を見て、小声を洩らした。
「……?」
その声の意味が何であるか、惣鳴は少しだけ考えた。
矢五郎がめぼしい椅子にどっかりと座り、顎で示した。
「座んなよ」
惣鳴は貸しきり状態になった茶屋で、丸太を半分に切った長椅子に座る。
何も注文しなくても、湯気の立つ抹茶とみたらし団子が運ばれてきた。
その抹茶を一口啜ってから、彼は煙管を取り出して火をつけた。
「あ、煙管よろしかったですか」
かまわねぇよ、と矢五郎が手を振る。そのまま言葉を続けた。
「で、あんたは何て名だい? いくらなんでも『戦人』ってのは名前じゃねぇだろう」
「木ノ下惣鳴といいます。仕事のほうはまあ、そちらの知っての通りですが」
「おう、それだよ惣鳴さんよぉ。……それで質問なんだが、あんたはこの街見てどう思った」
「はっきり言って不自然ですね。交通の要所でもない森の中が、これほど賑わうのは無理がある。この辺じゃ、林業やってる素振りも無さそうですし、林業程度じゃ街はこれほど発展しない。それなら鉱山で金脈でも掘り当てたんだと考えますが、それじゃあ皇帝が黙っちゃいないでしょう。だとすれば、他に金になる商売やってんじゃないかと、勘繰りたくなりますね。――――たとえば、人の出入りだけで商売が成り立つようなものとか、ですかね」
矢五郎は口を閉じて、黙って聞いていた。
そのまま何か考え事をしているようだった。
惣鳴は取り巻きの男達を盗み見た。
わずかに殺気立っているのが分かる。
――――図星か。
この男達が後ろ暗い何かに手を染めていることに、確信を覚えた。
それなら己がどう使われるのか予想することは簡単だった。
唐突に矢五郎が口を開いた。
「あんた、何ができる」
惣鳴は煙管を咥えたまま、両手を広げた。
「見ての通り、武術に関してはからっきしです」
そいつぁハナから期待してねぇよ、と矢五郎は真顔で言った。
「それはどうも。すると頭しか残らない。僕の売りは、喧嘩の仕方を教えるのが他人よりも少しばかり上手なことぐらいです」
「は、喧嘩を指図して『戦人』になれるなら、そこらのハナタレでもなれらぁな。……そうじゃあねぇんだよ。確かに人間様の喧嘩にゃ違いねぇが、ガキのそれとは訳が違う。わしが聞きてぇのは、この街全部の兵隊使ってでも『黒鎧城』を落とせるか、ってことだ」
「『黒鎧城』ですか」
「あんたが捕まった場所から見えてたはずだが? あそこの丘は、ちょうど『黒鎧城』の監視場所でな。間諜と間違えられたあんたが捕まったわけだが……それであんた、あそこで何やってたんだ?」
惣鳴は煙を吐きながら言った。
「どう言ったって信用されないのは分かってますがね。仕事を探してたんですよ。確かにその『黒鎧城』見て仕事がありそうだとは思いましたけれど」
まあ僕が間諜じゃない証明にはなりませんがね、と答える。
「ほぅ」
矢五郎は無精髭の残る顎をさすり、楽しそうな顔をした。
「だったら、間諜じゃねぇってことを証明してくれりゃあいい」
「仕事ですか」
「どうだろうな。わしは信用できる奴としか仕事はしねぇ。今の段階じゃあ、あんたにゃ何も頼めねぇよ。それに、あんたの命を誰が握ってると思うよ」
惣鳴は溜息をついた。
紋切り型の脅し文句だが、生殺与奪の権利は矢五郎が持っているのだ。
それに、鉄印も奪われたままである。
結局のところ、惣鳴に選択の余地は無かった。
「……そう来ると思ってましたよ」
「がははははっ、やっぱりあんたは頭が良い。それに利口でもあるねぇ。気に入ったぜ。まあ、最初は適当な雑用でもやってもらおうか。もちろん、喧嘩の指図の話だ。そこで成果を出しさえすりゃあ、間諜じゃない証明にもなる。わしも仕事を頼む気にもなるってもんだ。……どうだい?」
惣鳴は煙管を長椅子で叩いて、灰を落とした。
矢五郎の目を見る。
この世の誰よりも不敵な顔をして言った。
「その城落とし。お引き受け――――致しましょう」
それを聞いた矢五郎は破顔した。
その勢いで席を立ち、取り巻きの男たちに頷いた。
男達は全員そろって茶屋から出て行こうとする。
最後に矢五郎だけが振り返った。
「詳しい話は、また後でしようじゃねぇか。何か聞きてぇことがありゃ、そこの紗枝に聞けばいい。あんたの世話係だ。その気になりゃあ、抱いてもかまわんぜ。下の世話もしてもらいな。とりあえずの手間賃代わりだ」
「僕は妻帯者です……って、行っちゃいましたね」
矢五郎は惣鳴の返事も聞かず、取り巻きと一緒にどこかへ消えた。
必然的に、茶屋には惣鳴と紗枝の二人が残ることになる。
惣鳴は頭を掻きながら、あらためて紗枝を見た。
よく考えれば、今まで彼女を注視したことはなかった。
まるで少女のような短めの黒髪に、美人と言うべき顔立ち。
紅を引いてもいないのに、唇は鮮やかな赤をしていた。
見た目は二十の歳頃だった。
難点といえば、全体的に少し疲れたような様子が、幾分か年齢を上に見せている。
着物は紺の振袖に、朱の帯締めが鮮やかだった。
そして何よりも惣鳴が気になったのは、着物の襟元からのぞく柔肌に刻まれた、火傷の跡だ。
彼の視線に気付いたのか、紗枝が微笑んで言った。
「……気になりますか?」
「あ、いや、これは失礼しました。僕は気になりません」
これは本当である。
嫁が咲夜であることを思えば、どうということはない。
小さく頷いた紗枝は、何かを思いついたように言った。
「それは良かった。では、私が夜伽のお相手させて頂いてもよろしいのですね」
彼は難しい顔をした。
「……確かに勘違いされても仕方ない言葉でした。すみません。色々と光栄なんですが、そうすると首と胴が金輪際引っ付かない状態になるので勘弁してください」
紗枝が袖で口を押さえながら笑った。
「ふふ、それは先ほど仰っておられた奥様が?」
「ええ。僕の知る限り、最強の女ですよ」
冗談だと思って笑う紗枝だった。
あまりにも惣鳴が真面目な顔をしていた所為もあるだろう。
「面白い方」
「そう言われるのは珍しいですね。『細切りごぼう』だとかはよく言われますが」
「それじゃあ私は、何て言われてると思います?」
惣鳴は、うん、と頷いた。
先程の小声を思い出していた。
「紗枝さん、でいいですよ。僕はあなたを侮辱するような言葉を言いたくない」
「聞いてらしたんですか。さすがに『戦人』さんですね」
「偶然です」
面白くなさそうな顔をした惣鳴が、煙管の吸い口を軽く噛んだ。
――――焦げ女。
「いいんですよ、本当のことですから」
「……本当のことなら、何を言ってもいいわけじゃない。僕も、できることなら『細切りごぼう』は勘弁してもらいたいです」
あら、と紗枝は少し驚いたような顔をした。
「これは失礼しました。私も少々、口が過ぎたようです。……では、惣鳴様。私はこの街を御案内するよう申し付けられていますが、どうなされますか?」
「……そうですねぇ。お腹が減ってるんで、団子を食べてからにしましょう」
煙管を袖の中に仕舞い込んだ惣鳴は、再び抹茶を啜ったのだった。
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