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戦人外伝 ~木ノ下家の事情~
迷い道
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木ノ下咲夜は、森の中で迷っていた。
「なんとなく、こっちのような気がしたんだけど」
迷子になる人間の行動である。
気分で道を選ぶと、大概は間違うのが世の常だ。
しかも咲夜は道を歩いているわけではない。
そもそも、道がないのだ。
腰まである草を掻き分けながら、適当に歩いているだけであった。
「……まいったなぁ、どうしよう」
そう言いながらも、全然困った顔をしていない。
自分がどうなってしまうかについて、少しも心配していないからだ。
咲夜にそんな言葉を吐かせた理由は、大見得を切って飛び出しておいて、いまさら惣鳴の元に帰れないことが原因だった。
彼女は、すぅ、と大きく深呼吸をした。神経を研ぎ澄ませる。
周囲の気配を探ろうとした。
そしてすぐ、違和感に気付く。
離れた場所で、人間の存在を感じた。
「ふぅん」
考え事をするような仕草を見せた咲夜だが、まあいっか、と呟いて歩き出した。
しかし、今までと違う点がある。
それは、音を殺して歩いていることだった。
忍び足と呼ばれる暗殺術の一つである。
完璧に足音を消し、腰まである草に沿って、気配もなく人間のいる方向へ進んでいく。
「…………」
近づいていくと、人影を見つけた。
その人間は彼女の予想通りに、兵士の格好をしていた。
胴当と具足だけの足軽兵だが、こんな森の中で、数人の兵士が息を潜めているというのは妙な光景だった。
にやり、と意地悪そうな笑みを浮かべた咲夜は、一人の足軽兵の背後に立った。
「ぐっ」
当身一発で、足軽兵の意識を刈り取る。
気絶して崩れ落ちる兵士の身体を支え、静かに草の中へ隠した。
他の兵士達は、何も気付いていない。
そして彼女は、足軽兵が最後の一人になるまで気絶させ続けた。
最後の兵士が仲間に声をかけようとして、誰もいないことに気付く。
「おい。あれ? 誰もいないのか……」
そんな呟きにも、森のざわめきしか聞こえない――――はずであった。
「教えてあげようか?」
兵士は反射的に、腰に差してある刀を抜こうとした。
だが、その手は空を切るばかりである。
よく手元を見れば刀が無かった。
驚愕しながら、声の聞こえた方向を睨んだ。
「何奴――――っ」
「……だから教えてあげようか、って聞いてるのに」
咲夜は、兵士から奪い取っていた刀を、放り投げて返した。
兵士は慌てながらその刀を拾い上げ、鞘を抜き払って中段に構える。
「貴様、矢五郎の手下だな」
「誰それ」
彼女は首を傾げる。
「問答無用っ!」
白刃が閃いた。
まっすぐ振り下ろされる、迷いのない剣筋だった。
そして、それに応えない咲夜でもない。
「暴力で物事を解決するのは、嫌いじゃないわ」
彼女は嬉しそうに頬を歪め、獰猛に笑った。
兵士がそれを見て怖気を感じたときには、刀が中程から折れて宙を舞っていた。
「あ、がはっ」
放たれた前蹴りで、兵士が地面に転がる。
咲夜は馬乗りになって、左右から連続して殴りつけた。
「が、……ぐっ、ごぁ、だっ、……ぐはっ、ぶぁ。ま、まいった、げぼっ……」
負けを認めた兵士の襟首を片手で持ち上げ、彼女は顔を近づけた。
「で、何やってたの?」
「……あ、ああ。我々は、哨戒任務でこの辺りを警戒していた」
「哨戒任務? あなた、あの大きい城の人?」
「……はぁ?」
兵士は変な顔をした。
どうやら自分の認識が間違っていることに気付いたらしい。
「あんた、何者なんだ」
にぃ、と口端を吊り上げた咲夜は、懐から鉄印を取り出した。
「これでいいかしら」
「え、あんた『戦人』だったのか……。矢五郎に頼まれて、城を落としに来たのか」
「だから、そんな人は知らないって。そもそも、ここがどこか分からないのよ。仕事を探しに来たんだけど、道に迷ったの」
「道に? 山道から来れば、こんな森に出るわけないぞ」
「……いえ、城が見えたから歩いてきたのよ」
流石に崖から飛び降りたとは言わない咲夜であった。
兵士は横を向いて考えるような素振りを見せ、再び咲夜に向き直った。
「仕事を探しに、と言ったな」
そうね、と咲夜が頷く。
「……それが本当なら『黒鎧城』に案内するところだ。今は人手不足で、喉から手が出るほど戦力が欲しいからな。『戦人』ならなおさらだ」
だが、と兵士は唇を噛んだ。
「あんたは俺の部下を殺した。俺がそれを許せば、隊長として申し訳が立たん。すまんが俺は何もしてやれん。俺を殺して、違う人間に案内を頼め」
そう言って目を瞑る兵士だった。
彼女は襟首を掴んでいた手を離し、立ち上がる。
「……まあ、合格点か」
あたしの旦那には敵わないけどね、と付け加える。
兵士が不思議に思って目を開けた。
すると、周囲の草むらから首筋を押さえた部下達が現れた。
「な、お前たち」
「それじゃ、案内してもらえるかしら」
腕組みをして兵士を見下ろしている咲夜は、どこか楽しそうにしていた。
兵士が倒れたままで言う。
「化物か、あんた」
「誰が化物なのよ、殴るわよ」
「ひっ、いや、許してくれ」
彼女が拳を振り上げただけで、ひどく怯える兵士だった。
そんなに怯えないでよ、と今までの行動を棚に上げて呟く咲夜だった。
「……取りあえず、城に行こう。部下が生きていたのなら、その礼もある」
「まあ、いいんだけどね」
咲夜は身軽に立ち上がり、兵士の手を取って立ち上がらせた。
「では、ついてきてくれ」
兵士が自分の部下に号令を出すと、城に向かって歩き出した。
そして、徒歩で進みながら、数刻が過ぎた。
途中で兵士から目隠しをされたが、咲夜は大人しく従った。
まだ仕事を引き受けたわけでもない部外者の彼女が、城までの道筋を暗記して逃げないとも限らないからである。
それくらいには信用が無いのも、咲夜は承知していた。
しかし、何故か兵士達は好意的であった。
目隠しされた後は丁寧に手を引いて案内してくれたほどだ。
自分が女であるからだろうか、とも思う咲夜だったが、それにしては彼らの目に情欲が見えない。
つまり、『戦人』として歓迎されているのだろう。
更にその答えとして導き出されるのは、彼らと対抗勢力は均衡状態、もしくは彼らが不利な状況にあるということだ。
「面白いじゃない」
咲夜は唇を舌先で潤した。
「……あ、あの」
下っ端らしい足軽の声がした。彼女は、何、と声のした兵士とまともに向き合った。
兵士が驚いて数歩ほど後退する。
「う、見えてるんですか」
「見えてないけど、気配ぐらいは読めるわ。そうでもないと、大人しく目隠しされるわけないでしょ」
「さ、流石ですね。では城に到着しましたので、目隠しを外しても良いとのことです」
「そう?」
自分で目隠しの布を外した咲夜の目は、剛健そうな城門を見た。
通常の二倍はあろうかという厚さの門扉だった。
それを取り囲むのが、色の黒っぽい石垣である。
寸分の空きも無く積み上げられた巨大な石が、芸術品のように聳え立っている。
隊長の兵士が合図を送ると、城門が地響きをさせながら開いていった。
彼が咲夜を振り返って言う。
「これが『黒鎧城』だ。それでは城主がいるところまで案内しよう」
隊長は部下達に解散命令を出すと、兵士達は安心した様子で各々の方向に散っていった。
「では行こうか」
彼は城内に続く石段を登り始めた。咲夜もそれに続く。
「それにしても、仰々しいわね」
城内は既に臨戦態勢の様相を呈していた。
甲冑を身に纏った侍が、装具の音を響かせながら歩いている。
「戦っているからな」
当然のように言う隊長だったが、それ以上の詳しいことは言わなかった。
しばらく歩いたところで、一軒家のような建物にたどり着いた。
そこは武将が集まる作戦本部のような場所であった。
隊長が衛兵に挨拶を済ませ、室内に入ろうとする。
そんなときに、部屋の奥から寝ぼけたような顔をした無精髭の男が現れた。
「あー、面倒だ面倒だ。君もそう思わんかね?」
「さあ、どうでしょうな」
急に離しかけられた隊長は、何かを諦めたような表情をして言った。
「西倉君は真面目だなぁ。君のような奴は、絶対に損するぞ」
西倉と呼ばれた足軽兵の隊長は、首を横に振った。
「葉山殿にだけは言われたくないが?」
だらしの無い格好をした無精髭の男――――葉山隠架は、今更のように苦笑いを浮かべた。
「あれ? もしかして斥候に出したことを根に持ってんの? ……だから初めに言っておいただろう。たまには息抜きしないと、君みたいな奴は気持ちが先に折れちゃうんだよ。特に、篭城戦ではね」
「……そんな理由だったろうか? 俺は『少し考え事があるから、外の空気でも吸ってきなよ』と言外に部屋から追い出されたと記憶しているがね」
にへら、と笑った葉山は、そんなことより、と言葉を続けた。
西倉の背中を覗き込むように身を乗り出した。
「そちらさんはどなたさん――――ぉ」
葉山の動きが止まった。
咲夜を指差したまま、金魚のように口を動かしている。
それを見た西倉は不審に思いながらも、背後の咲夜を紹介した。
「ああ、こちらは葉山殿と同じ『戦人』で、仕事を探しているらしい。それで連れて来たんだが、名前は……そういえば聞いていなかったな」
西倉が名前を聞こうとする前に、葉山が呟く。
「可憐だ……」
「は? どうかしたのか」
「邪魔だ西倉君、ちょっとそこどいて」
「な、何をする、葉山殿」
西倉を押しのけた葉山は、まっすぐに咲夜の眼を見ながら言った。
「結婚してくれ」
「これ誰?」
咲夜は葉山をまったく相手にせずに、壁に寄りかかっている西倉に聞いた。
彼は渋い顔をしながら答える。
「……葉山隠架という、この城の主だ。我々が葉山殿に金を払って、城の主になってもらっていると言った方が正しいかな」
「どういうことかしら」
「知りたいならば教えてあげよう」
二人の間に割り込むようにして葉山が入ってきた。
「簡単に言うとだね、西倉君たちは謀反人なんだよ。元々の城主だった大居矢五朗を追放して、この『黒鎧城』を乗っ取ったんだ。そうしたら、追放した矢五郎が城下町を掌握して戦争状態になっちゃってねぇ。戦争に疎い彼らが俺を雇ったというわけさ」
「へぇ、あなたって、真面目そうに見えて結構な野心家ね」
やはり咲夜は、葉山を見ようとしなかった。
そして西倉の代わりに葉山が答える。
「俺も最初はそう思ったけどな。よくよく話を聞いてみれば、この街は国ぐるみで『人身売買』をやっていたらしい。皇帝勅令で禁止されてる商売だが、禁止されても商売自体が無くなるわけじゃない。……そこで良心が耐え切れなくなった西倉君は、仲間を集めて蜂起したのだったよね?」
「…………」
話しかけられた西倉は、何も答えなかった。
咲夜は思い出したように付け加える。
「そんなことしなくても、皇帝に嘆願書でも送ればよかったのに。そうすれば大陸最強の『皇帝覇軍』が来るわよ」
「それこそ無茶だろ。あの狂った虐殺兵士どもに頼んでみろ、この街と城だけじゃなく、国が一つ潰される覚悟までしなきゃいけない。それじゃ今まで『人身売買』に関わってきた西倉君の命は無いだろう? だから『戦人』の俺の仕事なんだよ」
「……あらそう。それで?」
「うん。これ以上のことは、君が『黒鎧城』で働くことになったら教えよう。勿論、俺の嫁になってくれても教えるけど」
意外にものを考えてるのね、と呟いた咲夜は、懐から『戦人』の証である鉄印を取り出す。
葉山にそれを示した。
「それじゃあ、面接は合格ね」
「俺の未来の奥さんにそんなことしないよ」
葉山が力無く笑った。
「勘違いしないで。私が面接してたの」
「……え、そうだったのか?」
「仕事は引き受けさせてもらうわ――――それと、私は結婚してるのよ。ごめんなさい」
「本当に?」
口を開いたまま脱力する葉山だった。
「なっ」
西倉が驚いて咲夜を見た。
「……その反応、どういう意味なのか教えてくれないかしら」
咲夜が憮然とした表情で、驚く二人を睨みつけた。
西倉などは身の危険を感じてひたすら頭を下げていたが、葉山の方は気の利いた冗談を聞いたときの態度だった。
そして、葉山が何か言う前に、咲夜は問答無用で拳を振り上げたのだった。
「なんとなく、こっちのような気がしたんだけど」
迷子になる人間の行動である。
気分で道を選ぶと、大概は間違うのが世の常だ。
しかも咲夜は道を歩いているわけではない。
そもそも、道がないのだ。
腰まである草を掻き分けながら、適当に歩いているだけであった。
「……まいったなぁ、どうしよう」
そう言いながらも、全然困った顔をしていない。
自分がどうなってしまうかについて、少しも心配していないからだ。
咲夜にそんな言葉を吐かせた理由は、大見得を切って飛び出しておいて、いまさら惣鳴の元に帰れないことが原因だった。
彼女は、すぅ、と大きく深呼吸をした。神経を研ぎ澄ませる。
周囲の気配を探ろうとした。
そしてすぐ、違和感に気付く。
離れた場所で、人間の存在を感じた。
「ふぅん」
考え事をするような仕草を見せた咲夜だが、まあいっか、と呟いて歩き出した。
しかし、今までと違う点がある。
それは、音を殺して歩いていることだった。
忍び足と呼ばれる暗殺術の一つである。
完璧に足音を消し、腰まである草に沿って、気配もなく人間のいる方向へ進んでいく。
「…………」
近づいていくと、人影を見つけた。
その人間は彼女の予想通りに、兵士の格好をしていた。
胴当と具足だけの足軽兵だが、こんな森の中で、数人の兵士が息を潜めているというのは妙な光景だった。
にやり、と意地悪そうな笑みを浮かべた咲夜は、一人の足軽兵の背後に立った。
「ぐっ」
当身一発で、足軽兵の意識を刈り取る。
気絶して崩れ落ちる兵士の身体を支え、静かに草の中へ隠した。
他の兵士達は、何も気付いていない。
そして彼女は、足軽兵が最後の一人になるまで気絶させ続けた。
最後の兵士が仲間に声をかけようとして、誰もいないことに気付く。
「おい。あれ? 誰もいないのか……」
そんな呟きにも、森のざわめきしか聞こえない――――はずであった。
「教えてあげようか?」
兵士は反射的に、腰に差してある刀を抜こうとした。
だが、その手は空を切るばかりである。
よく手元を見れば刀が無かった。
驚愕しながら、声の聞こえた方向を睨んだ。
「何奴――――っ」
「……だから教えてあげようか、って聞いてるのに」
咲夜は、兵士から奪い取っていた刀を、放り投げて返した。
兵士は慌てながらその刀を拾い上げ、鞘を抜き払って中段に構える。
「貴様、矢五郎の手下だな」
「誰それ」
彼女は首を傾げる。
「問答無用っ!」
白刃が閃いた。
まっすぐ振り下ろされる、迷いのない剣筋だった。
そして、それに応えない咲夜でもない。
「暴力で物事を解決するのは、嫌いじゃないわ」
彼女は嬉しそうに頬を歪め、獰猛に笑った。
兵士がそれを見て怖気を感じたときには、刀が中程から折れて宙を舞っていた。
「あ、がはっ」
放たれた前蹴りで、兵士が地面に転がる。
咲夜は馬乗りになって、左右から連続して殴りつけた。
「が、……ぐっ、ごぁ、だっ、……ぐはっ、ぶぁ。ま、まいった、げぼっ……」
負けを認めた兵士の襟首を片手で持ち上げ、彼女は顔を近づけた。
「で、何やってたの?」
「……あ、ああ。我々は、哨戒任務でこの辺りを警戒していた」
「哨戒任務? あなた、あの大きい城の人?」
「……はぁ?」
兵士は変な顔をした。
どうやら自分の認識が間違っていることに気付いたらしい。
「あんた、何者なんだ」
にぃ、と口端を吊り上げた咲夜は、懐から鉄印を取り出した。
「これでいいかしら」
「え、あんた『戦人』だったのか……。矢五郎に頼まれて、城を落としに来たのか」
「だから、そんな人は知らないって。そもそも、ここがどこか分からないのよ。仕事を探しに来たんだけど、道に迷ったの」
「道に? 山道から来れば、こんな森に出るわけないぞ」
「……いえ、城が見えたから歩いてきたのよ」
流石に崖から飛び降りたとは言わない咲夜であった。
兵士は横を向いて考えるような素振りを見せ、再び咲夜に向き直った。
「仕事を探しに、と言ったな」
そうね、と咲夜が頷く。
「……それが本当なら『黒鎧城』に案内するところだ。今は人手不足で、喉から手が出るほど戦力が欲しいからな。『戦人』ならなおさらだ」
だが、と兵士は唇を噛んだ。
「あんたは俺の部下を殺した。俺がそれを許せば、隊長として申し訳が立たん。すまんが俺は何もしてやれん。俺を殺して、違う人間に案内を頼め」
そう言って目を瞑る兵士だった。
彼女は襟首を掴んでいた手を離し、立ち上がる。
「……まあ、合格点か」
あたしの旦那には敵わないけどね、と付け加える。
兵士が不思議に思って目を開けた。
すると、周囲の草むらから首筋を押さえた部下達が現れた。
「な、お前たち」
「それじゃ、案内してもらえるかしら」
腕組みをして兵士を見下ろしている咲夜は、どこか楽しそうにしていた。
兵士が倒れたままで言う。
「化物か、あんた」
「誰が化物なのよ、殴るわよ」
「ひっ、いや、許してくれ」
彼女が拳を振り上げただけで、ひどく怯える兵士だった。
そんなに怯えないでよ、と今までの行動を棚に上げて呟く咲夜だった。
「……取りあえず、城に行こう。部下が生きていたのなら、その礼もある」
「まあ、いいんだけどね」
咲夜は身軽に立ち上がり、兵士の手を取って立ち上がらせた。
「では、ついてきてくれ」
兵士が自分の部下に号令を出すと、城に向かって歩き出した。
そして、徒歩で進みながら、数刻が過ぎた。
途中で兵士から目隠しをされたが、咲夜は大人しく従った。
まだ仕事を引き受けたわけでもない部外者の彼女が、城までの道筋を暗記して逃げないとも限らないからである。
それくらいには信用が無いのも、咲夜は承知していた。
しかし、何故か兵士達は好意的であった。
目隠しされた後は丁寧に手を引いて案内してくれたほどだ。
自分が女であるからだろうか、とも思う咲夜だったが、それにしては彼らの目に情欲が見えない。
つまり、『戦人』として歓迎されているのだろう。
更にその答えとして導き出されるのは、彼らと対抗勢力は均衡状態、もしくは彼らが不利な状況にあるということだ。
「面白いじゃない」
咲夜は唇を舌先で潤した。
「……あ、あの」
下っ端らしい足軽の声がした。彼女は、何、と声のした兵士とまともに向き合った。
兵士が驚いて数歩ほど後退する。
「う、見えてるんですか」
「見えてないけど、気配ぐらいは読めるわ。そうでもないと、大人しく目隠しされるわけないでしょ」
「さ、流石ですね。では城に到着しましたので、目隠しを外しても良いとのことです」
「そう?」
自分で目隠しの布を外した咲夜の目は、剛健そうな城門を見た。
通常の二倍はあろうかという厚さの門扉だった。
それを取り囲むのが、色の黒っぽい石垣である。
寸分の空きも無く積み上げられた巨大な石が、芸術品のように聳え立っている。
隊長の兵士が合図を送ると、城門が地響きをさせながら開いていった。
彼が咲夜を振り返って言う。
「これが『黒鎧城』だ。それでは城主がいるところまで案内しよう」
隊長は部下達に解散命令を出すと、兵士達は安心した様子で各々の方向に散っていった。
「では行こうか」
彼は城内に続く石段を登り始めた。咲夜もそれに続く。
「それにしても、仰々しいわね」
城内は既に臨戦態勢の様相を呈していた。
甲冑を身に纏った侍が、装具の音を響かせながら歩いている。
「戦っているからな」
当然のように言う隊長だったが、それ以上の詳しいことは言わなかった。
しばらく歩いたところで、一軒家のような建物にたどり着いた。
そこは武将が集まる作戦本部のような場所であった。
隊長が衛兵に挨拶を済ませ、室内に入ろうとする。
そんなときに、部屋の奥から寝ぼけたような顔をした無精髭の男が現れた。
「あー、面倒だ面倒だ。君もそう思わんかね?」
「さあ、どうでしょうな」
急に離しかけられた隊長は、何かを諦めたような表情をして言った。
「西倉君は真面目だなぁ。君のような奴は、絶対に損するぞ」
西倉と呼ばれた足軽兵の隊長は、首を横に振った。
「葉山殿にだけは言われたくないが?」
だらしの無い格好をした無精髭の男――――葉山隠架は、今更のように苦笑いを浮かべた。
「あれ? もしかして斥候に出したことを根に持ってんの? ……だから初めに言っておいただろう。たまには息抜きしないと、君みたいな奴は気持ちが先に折れちゃうんだよ。特に、篭城戦ではね」
「……そんな理由だったろうか? 俺は『少し考え事があるから、外の空気でも吸ってきなよ』と言外に部屋から追い出されたと記憶しているがね」
にへら、と笑った葉山は、そんなことより、と言葉を続けた。
西倉の背中を覗き込むように身を乗り出した。
「そちらさんはどなたさん――――ぉ」
葉山の動きが止まった。
咲夜を指差したまま、金魚のように口を動かしている。
それを見た西倉は不審に思いながらも、背後の咲夜を紹介した。
「ああ、こちらは葉山殿と同じ『戦人』で、仕事を探しているらしい。それで連れて来たんだが、名前は……そういえば聞いていなかったな」
西倉が名前を聞こうとする前に、葉山が呟く。
「可憐だ……」
「は? どうかしたのか」
「邪魔だ西倉君、ちょっとそこどいて」
「な、何をする、葉山殿」
西倉を押しのけた葉山は、まっすぐに咲夜の眼を見ながら言った。
「結婚してくれ」
「これ誰?」
咲夜は葉山をまったく相手にせずに、壁に寄りかかっている西倉に聞いた。
彼は渋い顔をしながら答える。
「……葉山隠架という、この城の主だ。我々が葉山殿に金を払って、城の主になってもらっていると言った方が正しいかな」
「どういうことかしら」
「知りたいならば教えてあげよう」
二人の間に割り込むようにして葉山が入ってきた。
「簡単に言うとだね、西倉君たちは謀反人なんだよ。元々の城主だった大居矢五朗を追放して、この『黒鎧城』を乗っ取ったんだ。そうしたら、追放した矢五郎が城下町を掌握して戦争状態になっちゃってねぇ。戦争に疎い彼らが俺を雇ったというわけさ」
「へぇ、あなたって、真面目そうに見えて結構な野心家ね」
やはり咲夜は、葉山を見ようとしなかった。
そして西倉の代わりに葉山が答える。
「俺も最初はそう思ったけどな。よくよく話を聞いてみれば、この街は国ぐるみで『人身売買』をやっていたらしい。皇帝勅令で禁止されてる商売だが、禁止されても商売自体が無くなるわけじゃない。……そこで良心が耐え切れなくなった西倉君は、仲間を集めて蜂起したのだったよね?」
「…………」
話しかけられた西倉は、何も答えなかった。
咲夜は思い出したように付け加える。
「そんなことしなくても、皇帝に嘆願書でも送ればよかったのに。そうすれば大陸最強の『皇帝覇軍』が来るわよ」
「それこそ無茶だろ。あの狂った虐殺兵士どもに頼んでみろ、この街と城だけじゃなく、国が一つ潰される覚悟までしなきゃいけない。それじゃ今まで『人身売買』に関わってきた西倉君の命は無いだろう? だから『戦人』の俺の仕事なんだよ」
「……あらそう。それで?」
「うん。これ以上のことは、君が『黒鎧城』で働くことになったら教えよう。勿論、俺の嫁になってくれても教えるけど」
意外にものを考えてるのね、と呟いた咲夜は、懐から『戦人』の証である鉄印を取り出す。
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「それじゃあ、面接は合格ね」
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「勘違いしないで。私が面接してたの」
「……え、そうだったのか?」
「仕事は引き受けさせてもらうわ――――それと、私は結婚してるのよ。ごめんなさい」
「本当に?」
口を開いたまま脱力する葉山だった。
「なっ」
西倉が驚いて咲夜を見た。
「……その反応、どういう意味なのか教えてくれないかしら」
咲夜が憮然とした表情で、驚く二人を睨みつけた。
西倉などは身の危険を感じてひたすら頭を下げていたが、葉山の方は気の利いた冗談を聞いたときの態度だった。
そして、葉山が何か言う前に、咲夜は問答無用で拳を振り上げたのだった。
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あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
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