戦人 ~いくさびと~

比呂

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戦人外伝 ~木ノ下家の事情~

迷い道

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 木ノ下咲夜は、森の中で迷っていた。

「なんとなく、こっちのような気がしたんだけど」

 迷子になる人間の行動である。
 気分で道を選ぶと、大概は間違うのが世の常だ。

 しかも咲夜は道を歩いているわけではない。
 そもそも、道がないのだ。

 腰まである草を掻き分けながら、適当に歩いているだけであった。

「……まいったなぁ、どうしよう」

 そう言いながらも、全然困った顔をしていない。
 自分がどうなってしまうかについて、少しも心配していないからだ。

 咲夜にそんな言葉を吐かせた理由は、大見得を切って飛び出しておいて、いまさら惣鳴の元に帰れないことが原因だった。

 彼女は、すぅ、と大きく深呼吸をした。神経を研ぎ澄ませる。
 周囲の気配を探ろうとした。

 そしてすぐ、違和感に気付く。
 離れた場所で、人間の存在を感じた。

「ふぅん」

 考え事をするような仕草を見せた咲夜だが、まあいっか、と呟いて歩き出した。
 しかし、今までと違う点がある。

 それは、音を殺して歩いていることだった。
 忍び足と呼ばれる暗殺術の一つである。
 完璧に足音を消し、腰まである草に沿って、気配もなく人間のいる方向へ進んでいく。

「…………」

 近づいていくと、人影を見つけた。
 その人間は彼女の予想通りに、兵士の格好をしていた。

 胴当と具足だけの足軽兵だが、こんな森の中で、数人の兵士が息を潜めているというのは妙な光景だった。
 にやり、と意地悪そうな笑みを浮かべた咲夜は、一人の足軽兵の背後に立った。

「ぐっ」

 当身一発で、足軽兵の意識を刈り取る。
 気絶して崩れ落ちる兵士の身体を支え、静かに草の中へ隠した。

 他の兵士達は、何も気付いていない。
 そして彼女は、足軽兵が最後の一人になるまで気絶させ続けた。
 最後の兵士が仲間に声をかけようとして、誰もいないことに気付く。

「おい。あれ? 誰もいないのか……」

 そんな呟きにも、森のざわめきしか聞こえない――――はずであった。

「教えてあげようか?」

 兵士は反射的に、腰に差してある刀を抜こうとした。
 だが、その手は空を切るばかりである。

 よく手元を見れば刀が無かった。
 驚愕しながら、声の聞こえた方向を睨んだ。

「何奴――――っ」
「……だから教えてあげようか、って聞いてるのに」

 咲夜は、兵士から奪い取っていた刀を、放り投げて返した。
 兵士は慌てながらその刀を拾い上げ、鞘を抜き払って中段に構える。

「貴様、矢五郎の手下だな」
「誰それ」

 彼女は首を傾げる。

「問答無用っ!」

 白刃が閃いた。
 まっすぐ振り下ろされる、迷いのない剣筋だった。

 そして、それに応えない咲夜でもない。

「暴力で物事を解決するのは、嫌いじゃないわ」

 彼女は嬉しそうに頬を歪め、獰猛に笑った。
 兵士がそれを見て怖気を感じたときには、刀が中程から折れて宙を舞っていた。

「あ、がはっ」

 放たれた前蹴りで、兵士が地面に転がる。
 咲夜は馬乗りになって、左右から連続して殴りつけた。

「が、……ぐっ、ごぁ、だっ、……ぐはっ、ぶぁ。ま、まいった、げぼっ……」

 負けを認めた兵士の襟首を片手で持ち上げ、彼女は顔を近づけた。

「で、何やってたの?」
「……あ、ああ。我々は、哨戒任務でこの辺りを警戒していた」
「哨戒任務? あなた、あの大きい城の人?」
「……はぁ?」

 兵士は変な顔をした。
 どうやら自分の認識が間違っていることに気付いたらしい。

「あんた、何者なんだ」

 にぃ、と口端を吊り上げた咲夜は、懐から鉄印を取り出した。

「これでいいかしら」
「え、あんた『戦人』だったのか……。矢五郎に頼まれて、城を落としに来たのか」
「だから、そんな人は知らないって。そもそも、ここがどこか分からないのよ。仕事を探しに来たんだけど、道に迷ったの」
「道に? 山道から来れば、こんな森に出るわけないぞ」
「……いえ、城が見えたから歩いてきたのよ」

 流石に崖から飛び降りたとは言わない咲夜であった。
 兵士は横を向いて考えるような素振りを見せ、再び咲夜に向き直った。

「仕事を探しに、と言ったな」

 そうね、と咲夜が頷く。

「……それが本当なら『黒鎧城』に案内するところだ。今は人手不足で、喉から手が出るほど戦力が欲しいからな。『戦人』ならなおさらだ」

 だが、と兵士は唇を噛んだ。

「あんたは俺の部下を殺した。俺がそれを許せば、隊長として申し訳が立たん。すまんが俺は何もしてやれん。俺を殺して、違う人間に案内を頼め」

 そう言って目を瞑る兵士だった。
 彼女は襟首を掴んでいた手を離し、立ち上がる。

「……まあ、合格点か」

 あたしの旦那には敵わないけどね、と付け加える。
 兵士が不思議に思って目を開けた。
 すると、周囲の草むらから首筋を押さえた部下達が現れた。

「な、お前たち」
「それじゃ、案内してもらえるかしら」

 腕組みをして兵士を見下ろしている咲夜は、どこか楽しそうにしていた。
 兵士が倒れたままで言う。

「化物か、あんた」
「誰が化物なのよ、殴るわよ」
「ひっ、いや、許してくれ」

 彼女が拳を振り上げただけで、ひどく怯える兵士だった。
 そんなに怯えないでよ、と今までの行動を棚に上げて呟く咲夜だった。

「……取りあえず、城に行こう。部下が生きていたのなら、その礼もある」
「まあ、いいんだけどね」

 咲夜は身軽に立ち上がり、兵士の手を取って立ち上がらせた。

「では、ついてきてくれ」

 兵士が自分の部下に号令を出すと、城に向かって歩き出した。
 そして、徒歩で進みながら、数刻が過ぎた。

 途中で兵士から目隠しをされたが、咲夜は大人しく従った。
 まだ仕事を引き受けたわけでもない部外者の彼女が、城までの道筋を暗記して逃げないとも限らないからである。

 それくらいには信用が無いのも、咲夜は承知していた。
 しかし、何故か兵士達は好意的であった。
 目隠しされた後は丁寧に手を引いて案内してくれたほどだ。

 自分が女であるからだろうか、とも思う咲夜だったが、それにしては彼らの目に情欲が見えない。
 つまり、『戦人』として歓迎されているのだろう。

 更にその答えとして導き出されるのは、彼らと対抗勢力は均衡状態、もしくは彼らが不利な状況にあるということだ。

「面白いじゃない」

 咲夜は唇を舌先で潤した。

「……あ、あの」

 下っ端らしい足軽の声がした。彼女は、何、と声のした兵士とまともに向き合った。
 兵士が驚いて数歩ほど後退する。

「う、見えてるんですか」
「見えてないけど、気配ぐらいは読めるわ。そうでもないと、大人しく目隠しされるわけないでしょ」
「さ、流石ですね。では城に到着しましたので、目隠しを外しても良いとのことです」
「そう?」

 自分で目隠しの布を外した咲夜の目は、剛健そうな城門を見た。
 通常の二倍はあろうかという厚さの門扉だった。

 それを取り囲むのが、色の黒っぽい石垣である。
 寸分の空きも無く積み上げられた巨大な石が、芸術品のように聳え立っている。

 隊長の兵士が合図を送ると、城門が地響きをさせながら開いていった。
 彼が咲夜を振り返って言う。

「これが『黒鎧城』だ。それでは城主がいるところまで案内しよう」

 隊長は部下達に解散命令を出すと、兵士達は安心した様子で各々の方向に散っていった。

「では行こうか」

 彼は城内に続く石段を登り始めた。咲夜もそれに続く。

「それにしても、仰々しいわね」

 城内は既に臨戦態勢の様相を呈していた。
 甲冑を身に纏った侍が、装具の音を響かせながら歩いている。

「戦っているからな」

 当然のように言う隊長だったが、それ以上の詳しいことは言わなかった。
 しばらく歩いたところで、一軒家のような建物にたどり着いた。

 そこは武将が集まる作戦本部のような場所であった。
 隊長が衛兵に挨拶を済ませ、室内に入ろうとする。

 そんなときに、部屋の奥から寝ぼけたような顔をした無精髭の男が現れた。

「あー、面倒だ面倒だ。君もそう思わんかね?」
「さあ、どうでしょうな」

 急に離しかけられた隊長は、何かを諦めたような表情をして言った。

「西倉君は真面目だなぁ。君のような奴は、絶対に損するぞ」

 西倉と呼ばれた足軽兵の隊長は、首を横に振った。

「葉山殿にだけは言われたくないが?」

 だらしの無い格好をした無精髭の男――――葉山隠架いんかは、今更のように苦笑いを浮かべた。

「あれ? もしかして斥候に出したことを根に持ってんの? ……だから初めに言っておいただろう。たまには息抜きしないと、君みたいな奴は気持ちが先に折れちゃうんだよ。特に、篭城戦ではね」
「……そんな理由だったろうか? 俺は『少し考え事があるから、外の空気でも吸ってきなよ』と言外に部屋から追い出されたと記憶しているがね」

 にへら、と笑った葉山は、そんなことより、と言葉を続けた。
 西倉の背中を覗き込むように身を乗り出した。

「そちらさんはどなたさん――――ぉ」

 葉山の動きが止まった。
 咲夜を指差したまま、金魚のように口を動かしている。
 それを見た西倉は不審に思いながらも、背後の咲夜を紹介した。

「ああ、こちらは葉山殿と同じ『戦人』で、仕事を探しているらしい。それで連れて来たんだが、名前は……そういえば聞いていなかったな」

 西倉が名前を聞こうとする前に、葉山が呟く。

「可憐だ……」
「は? どうかしたのか」
「邪魔だ西倉君、ちょっとそこどいて」
「な、何をする、葉山殿」

 西倉を押しのけた葉山は、まっすぐに咲夜の眼を見ながら言った。

「結婚してくれ」
「これ誰?」

 咲夜は葉山をまったく相手にせずに、壁に寄りかかっている西倉に聞いた。
 彼は渋い顔をしながら答える。

「……葉山隠架という、この城の主だ。我々が葉山殿に金を払って、城の主になってもらっていると言った方が正しいかな」
「どういうことかしら」
「知りたいならば教えてあげよう」

 二人の間に割り込むようにして葉山が入ってきた。

「簡単に言うとだね、西倉君たちは謀反人なんだよ。元々の城主だった大居矢五朗を追放して、この『黒鎧城』を乗っ取ったんだ。そうしたら、追放した矢五郎が城下町を掌握して戦争状態になっちゃってねぇ。戦争に疎い彼らが俺を雇ったというわけさ」
「へぇ、あなたって、真面目そうに見えて結構な野心家ね」

 やはり咲夜は、葉山を見ようとしなかった。
 そして西倉の代わりに葉山が答える。

「俺も最初はそう思ったけどな。よくよく話を聞いてみれば、この街は国ぐるみで『人身売買』をやっていたらしい。皇帝勅令で禁止されてる商売だが、禁止されても商売自体が無くなるわけじゃない。……そこで良心が耐え切れなくなった西倉君は、仲間を集めて蜂起したのだったよね?」
「…………」

 話しかけられた西倉は、何も答えなかった。
 咲夜は思い出したように付け加える。

「そんなことしなくても、皇帝に嘆願書でも送ればよかったのに。そうすれば大陸最強の『皇帝覇軍』が来るわよ」
「それこそ無茶だろ。あの狂った虐殺兵士どもに頼んでみろ、この街と城だけじゃなく、国が一つ潰される覚悟までしなきゃいけない。それじゃ今まで『人身売買』に関わってきた西倉君の命は無いだろう? だから『戦人』の俺の仕事なんだよ」
「……あらそう。それで?」
「うん。これ以上のことは、君が『黒鎧城』で働くことになったら教えよう。勿論、俺の嫁になってくれても教えるけど」

 意外にものを考えてるのね、と呟いた咲夜は、懐から『戦人』の証である鉄印を取り出す。
 葉山にそれを示した。

「それじゃあ、面接は合格ね」
「俺の未来の奥さんにそんなことしないよ」

 葉山が力無く笑った。

「勘違いしないで。私が面接してたの」
「……え、そうだったのか?」
「仕事は引き受けさせてもらうわ――――それと、私は結婚してるのよ。ごめんなさい」
「本当に?」

 口を開いたまま脱力する葉山だった。

「なっ」

 西倉が驚いて咲夜を見た。

「……その反応、どういう意味なのか教えてくれないかしら」

 咲夜が憮然とした表情で、驚く二人を睨みつけた。
 西倉などは身の危険を感じてひたすら頭を下げていたが、葉山の方は気の利いた冗談を聞いたときの態度だった。
 そして、葉山が何か言う前に、咲夜は問答無用で拳を振り上げたのだった。
 
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