戦人 ~いくさびと~

比呂

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戦人外伝 ~木ノ下家の事情~

酒の味

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「なるほど、そういうわけでしたか」

 惣鳴は頷きながら言った。
 矢五郎の商売は、自分の予想と大きく外れてはいなかったことを知った。

「それで、この街がこんなに賑わっているんですね。確かに大金が動く商売だ。……矢五郎さんが隠したがるのも無理はない」

 応よ、と矢五郎が相槌を打つ。

「西倉の野郎、今まで目ぇかけてきてやった恩も忘れやがって。『戦人』まで雇って城主に逆らうたぁ、武士の風上にもおけねぇよ。だが、『戦人』の数で言やぁ、これで対等だ。もう、あいつにでけぇ面させてたまるか」

 大変ですね、と感情を込めずに呟いた後、惣鳴は横を向いた。
 やけに朱や赤の色が眩しい装飾が眼に入る部屋である。

 それもそのはず、ここは街で一番大きな遊女屋だった。
 城から追い出された矢五郎とその一党は、前々から繋がりのあったこの屋敷に逃げ込んだのだという。

 それから矢五郎の城になるのに、さほど時間は要らなかった。
 今では周辺の建物をまとめて要塞化しており、その上に遊郭であるという、妙な場所になっていた。

「惣鳴様、お酌をどうぞ」

 隣に座っている紗枝が、銚子を傾けてきた。
 惣鳴は難しい顔をしながら心の中で、すまん、と謝った。

 御猪口に注がれた日本酒を口に含む。
 清々しい香りが鼻の奥に抜けていった。
 しつこい甘さも無く、よほど水が美味い所で造られた酒なのだと思う。

「こちらも」

 紗枝は続けて、木の芽の胡麻和えを薦めてきた。
 箸で摘んで、惣鳴の口元まで運んでくる。

「何もそこまでしていただかなくとも……」
「お嫌ですか?」
「嫌というわけではないですが、慣れていないもので」
「では、どうぞ」

 無碍に断ることのできない惣鳴は、また咲夜に謝ってから食べた。
 食感のよい茹で加減に、炒り胡麻の香ばしさと塩加減が絶妙である。

「いかがですか」
「…………うん。旨いよ」

 惣鳴はそこで、はたと矢五郎の視線に気付く。

「何ですか」

 矢五郎はひどく味のある顔をしながら笑った。

「どうだい、女遊びってぇのは楽しいだろう。気にいりゃ、もっと楽しんでもいいんだぜ? こちとら、この国の将軍様が後ろ盾だ。構うこたぁねぇ」

 そう言うなり、矢五郎は隣にいた女性の胸元に手を突っ込んだ。
 ゆっくりと揉みしだき、女性が表情を変えるのを楽しんでいた。

「……あ、の、おやめ、ください」
「はっ、頬を桜色に染めてやがるくせによう。これがいいんだろう?」

 惣鳴は、咲夜のことを思った。
 彼女だったなら胸を触られる前に矢五郎を殴り倒して、簀巻きにして川に流してしまうだろう。

 ――――情欲は否定しないけれども、あまり好かないなぁ。

 再び注がれた日本酒を、一気に煽った。
 仄かに熱いものが胃に降りてくる。

 ふう、と息を吐いた惣鳴は、この矢五郎の歓待がどんな意味を持つか理解していた。

 『仲間になるなら、お前にも甘い蜜を吸わせてやる』という訳だ。

 この国が皇帝勅命に逆らっている以上、惣鳴が逃げようとしたり密告しようとすれば、即座に殺される。

 飴と鞭を使い分けられているのか僕は、と表情に僅かだけ笑いが洩れた。
 それをどう受け取ったのか、矢五郎は片眉を上げる。

「紗枝じゃあ物足りねぇってのか?」
「え?」

 惣鳴は予想外の質問に、思いっきり虚を突かれた。
 何の反応もできないでいると、矢五郎は深く頷く。

「いいぜぇ、欲が深い奴は歓迎だ。分かりやすくていい。もっと良い女が抱きたかったら、その分だけ働け。それがわしの下で働く者の掟だ」

 立ち上がった矢五郎が、隣の女性を抱え込むようにして部屋から出て行こうとし、急に振り返った。

「おう、言い忘れてたが、この部屋があんたの寝床だ。好きに使え」

 そのまま高笑いを続けながら、矢五郎は部屋から出て行った。
 開きっぱなしの襖を、紗枝が静かに閉める。
 ゆっくりと惣鳴の隣に戻ってきた。

「やはり、殿方は傷物がお嫌いですね」

 哀しそうに笑う。

「……紗枝さんは、自分が嫌いなようだ」

 着物の懐から煙管を取り出した惣鳴は、勝手に自分で火をつけた。

「そうでしょうか?」
「僕は『気にしません』、と言いました。それを信用するかしないかは、紗枝さんの判断だ。結局は他人のことさえ、自分で決めているのですよ。だから――――自分のことが嫌いだから、恐らく他人も自分を嫌うだろう、と勝手に決め付けているんです」

 他人のことなんか一生かけても理解できませんよ、と呟いて煙を吐き出す。

「なら……」

 紗枝は、彼の肩に寄りかかった。

「その信用を、証明してくださいますか」
「…………」

 彼女の問いかけに、惣鳴は即答しなかった。

 信用を証明することなどできません、とは言わなかった。
 代わりに、紗枝と目を合わせないように横を向く。

「僕はあなたを幸せにできない」

 その言葉を飲み込むように聞いた紗枝が、甘くさえある吐息を洩らした。

「幸せかどうかは、私が決めることでしょう?」
「……むぅ」

 惣鳴は唸った。
 揚げ足を取られた格好である。

「どんなに尽くしても、私を傍に置いてはくれませんか? どんな待遇でも良いのです」
「それは、ええと。お互い会ったばかりですし」

 宙に目を泳がせ始めた惣鳴だった。
 すると、紗枝は笑い始めた。

「……ふふ、冗談ですよ」
「あ……そう。そうですか。驚きましたよ」

 冷や汗を袖で拭っている惣鳴に、紗枝は手ぬぐいを差し出した。
 これはすみません、と汗を拭く惣鳴。
 それを見つめながら、彼女が口を開いた。

「惣鳴様の答えは、『僕はあなたを幸せにできない』なんて言葉ではありません。きっと、『妻を悲しませることはできない』というのが正しいのだと思います」
「そうですかね……そうかもしれませんね」

 言いながら、彼は汗のついた手ぬぐいを返そうかどうしようか悩んでいた。
 紗枝は黙って惣鳴から手ぬぐいを抜き取り、大事そうに胸元へしまう。

「これくらいはよろしいでしょう?」

 微笑んで、また銚子を持った。
 惣鳴も御猪口を出した。
 酒が注がれる。
 口に含んで、飲み込もうとしたところで。

「――――敵襲ぅぅっ!」

 惣鳴は酒を噴出しそうになった。
 何とか我慢するも勢いは止められず、鼻から酒が洩れた。

「だ、……ごへ、酒くさ、おふぇ……」

 鼻紙を紗枝に持ってきてもらい、鼻の周りを拭った。
 それでも酒の臭いは残っていた。

 そして、襖が開け放たれる。
 立っていたのは、着物を上から羽織っただけの矢五郎であった。
 恐らくは情事の最中に敵襲を聞いて来たのだと思われる。

「『戦人』さんよぉ、早速だが頼むぜぇ」
「……そうですねぇ、とりあえず地図と状況を教えてもらえます?」

 秋政ぁ、と矢五郎が叫ぶと、見覚えのある顔がやってきて地図を広げた。
 そのまま秋政が状況を口にする。

「街外れの森から、二十人前後の兵士が押し寄せてきた。足軽の集団だ。襲われてるのは民家らしい。こっちも人数を掻き集めてそこに向かわせてる」

 惣鳴は口を尖らせながら聞いた。

「……えっと、『黒鎧城』は篭城してるんですよね。どうして攻めてきたのですか?」
「こっちも人手が足らねぇからな。夜を狙われると、どうにも隙ができらぁ。んなことより、今のこの状況を何とかしろってんだよ」

 矢五郎が勢い込んで凄む。
 どこ吹く風で、惣鳴は更に聞いた。
 
「相手方の食料の備蓄とかは?」
「ああん?」

 そんなこと聞いてどうしやがる、と言外に矢五郎の表情が物語っていた。
 しかし、惣鳴も譲る気は無かった。
 少しだけ沈黙が続き、矢五郎が折れた。

「……まあいいか。生きてくだけなら、三か月はいけるんじゃねぇか」
「なら、目的は略奪じゃない。だとすれば、士気を高めるためでしょう。篭城戦で守備側の一番の恐怖は、士気の瓦解ですからね。それなら玉砕覚悟でもない限り、深く切り込んでは来ないはずです。まあ、ついでに戦果を拡大させるのなら、別の手を打ってくるかもしれませんけど」

 惣鳴がうん、と頷く。

「その場合だと、街外れの足軽たちは陽動でしょう。僕なら騎馬か何かで、別の場所から突っ込ませますね。それで、騎馬は陽動の足軽と合流して帰還させます。……今集めてる兵隊を、騎馬が通りそうな場所に配置してください。足軽は無視して構いません。そちらは後でも大丈夫です」

 こんなもんですかね、と惣鳴は再び煙管を咥えた。

「……まぁ、やってみようじゃねぇか」

 矢五郎がそう言うと、秋政が伝令のために部屋から出て行った。
 それを見送った矢五郎が、惣鳴を見た。
 脅すように言う。

「足軽が玉砕覚悟で突っ込んできたときは、どうするつもりだ」
「玉砕するつもりなら、総力戦でくるでしょう。二十人程度じゃ話になりませんよ。それに、もしものときは僕も一緒に戦います」

 そいつは邪魔くせぇな、と矢五郎は笑いながら、惣鳴の背中を叩く。

 静かだった夜空の端を松明が焼き、戦の喧騒が聞こえ始めたのだった。
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