戦人 ~いくさびと~

比呂

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戦人外伝 ~木ノ下家の事情~

乱心

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「騒ぎが大きくなってきたみたいね」

 毛並みの良い黒馬に騎乗している咲夜が、小さく呟いた。

 彼女の背後には、黒塗りの甲冑を見につけた騎馬隊がいる。
 黒い装具で実を固めているのは、夜陰に紛れて逃げ切るための工夫だった。

 騎馬隊の先頭にいる葉山が言う。

「さて。もうそろそろ、陽動に食いついた頃だろう。俺達の出番だ」

 彼は甲冑も着ていなかった。
 普段のだらしない格好である。

 無謀極まりないが、城主が前線に出てくることで更に士気を上げるつもりなのだろう。
 葉山が後頭部を掻きながら、面倒そうに言った。

「咲夜を先頭に、馬上突撃を行う。誰も遅れるなよ」

 応、と低い声が重なった。
 ただ一人だけが、不満を漏らした。

「……どさくさに紛れて、私を呼び捨てにしないで欲しいわ」
「なに、作戦時だけだ。一応、城主と兵士の垣根は作っとかないとな」
「ふん」

 不機嫌そうに咲夜は横を向いた。
 一応は理解できる言い訳だった。

 葉山が垣根を作る理由は、緊急時に誰の命令に従えばいいのか兵士に徹底させるためである。
 その点、葉山は兵に信用されていた。
 彼の背後に備える騎馬隊が一糸乱れぬ隊伍を組み、葉山からの命令を待ち望んでいるからだ。

「では諸君、やることはわかってるな」

 騎馬隊の一人が答える。

「はっ! 我々は、葉山殿と同じく女の尻を追いかければよいのですね」

 笑いがこぼれる。
 それらすべてが好意的なものだった。

 騎馬隊の面々が知る中で、先駆けをやる城主など聞いたことがない。
 ある意味、雇われの『戦人』だからできた芸当であろう。

 しかし騎馬隊にとってみれば、自分たちと同じ危険に身を晒して戦う仲間である。
 ならば、仲間のために命を懸けられるのが彼らの道理だった。

 兵の意気を受けた咲夜は、誘うように微笑んだ。

「追いつけるものなら追いついてみなさいよ」

 馬の手綱を引いた。
 かなりの勢いで、馬が駆け出していった。

 だが、それに置いていかれるほど騎馬隊の練度は低くない。
 彼らは漆黒の一団となって、夜でも華やかに咲き誇る街へ突撃した。

 わずかに冷えた夜の空気を肌で感じながら、馬で駆け抜けていく。
 そこで咲夜は、妙な空気を感じた。

「……変ね。これ絶対におかしいわ」

 道の両側が、何か違っているように感じられる。
 彼女はこの道を一度も訪れたことはないのだが、確かに違っていると思った。

 懐から匕首を取り出した咲夜が、馬上から違和感に向かって投げつけた。
 すぐに悲鳴が上がり、道の両側で松明が焚かれ始める。

「……ちっ、読まれていたか」

 葉山が顔を歪める。

「では、作戦通りにいくぞ、、、、、、、、。咲夜、後は任せた」

 騎馬隊はさらに速度を緩めた。
 敵の進軍をを阻止しようと、武装した兵士が前に立ち塞がろうとする。

「さぁて、と」

 咲夜は早駆けして集団から突出し、騎乗したまま立ち上がると、馬の上から飛んだ。
 そのまま敵の正面に突っ込み、槍を構えた兵士に襲いかかる。

 彼女の乱入で、兵士たちの包囲に穴が開いた。
 そこから速度を急に上げた騎馬隊が、即座に走り抜ける。

 たった一人残された咲夜は、一番近くにいたという理由で、槍を持った兵士に踊りかかった。
 その攻撃に、西倉たちの足軽兵を相手にしたときのような慈悲は無い。

 硬く握り締められた手甲が、呆然としている男の頭蓋を叩き割る。
 脳髄を撒き散らすそれを踏み台にして飛び越え、着地するときに違う男へ蹴りをくらわせた。

 彼女は次々と襲い掛かった。
 指で目を抉り出し、肘で顎を砕き、肩で当身を打つ。
 全身が凶器といえた。

 ただし、男達もやられているだけではない。
 彼らの半分はこの街で徴用した素人たちだが、残り半分は矢五郎が引き連れてきた生粋の兵士だった。

 兵士たちは油断せず、遠間から石を投げ、隊列を組んだ男らが長槍を叩きつけるように振るっていた。
 咲夜は手甲や具足で石を弾きながら、地面に振り下ろされた長槍を掴んだ。

 もう片方の手で腰の刀を抜き、長槍の穂先を切り落とす。
 その穂先を拾って投げ放ち、槍を持つ男の頭に突き立てた。

 長槍の隊列に隙間ができる。
 そこへ走りこめば、後は咲夜の独壇場だった。

 長槍の弱点は、やはり懐である。
 何もできない男達の合間を、疾風のように駆け回る殺人撃。

 まるで紙くずのように投げ捨てられる、哀れな兵士。
 返り血に濡れた咲夜は、誰にも隠さず微笑していた。

「く、くふふふふふ」

 ――――楽しい。
 敵を撲滅するのが楽しい。
 敵を撃滅するのが楽しい。
 敵を絶滅するのが楽しい。

 いい、これはいい。
 勝つのは楽しい。
 いつまでもこうしていたい。

 戦うことが――――幸福だ。

「あははっ」

 咲夜は生娘のように、純真に笑った。
 本能に近い行動は、快感さえ引き出した。

 その興奮は、次を求めだす。
 喉が渇いて仕方のないときに、一杯の水を見つけた様な気分だった。
 
 ――――まだ。まだ欲しい。もっと欲しい。飲みたい。飲みたい飲みたい飲みたい飲みたい飲みたい飲みたい。

「ひ、ひぃやあぁぁぁぁっ、だ、誰か、助け――――」

 最後の一人になった男が、逃げようとして手甲に背中を貫かれた。
 今まで何も無かった道に、何人もの死体が転がっている。

 破壊された死体が流す大量の血は、いつの間にか道を緋色に変えてしまった。
 咲夜は、その血溜まりを軽やかに走り抜ける。

「……むぅぅぅ、くっそう。惣鳴がいればなぁ」

 冷め止まない興奮をどう処理するか考えた咲夜であるが、夫がいないのでは寝床で発散することもできない。
他の人間と同衾するのは、彼女の方からお断りだった。

「惣鳴さえいれば――――」

 この渇きは収まるのに。

 そして、彼女は自問した。
 いや、果たしてそうなのか。それだけなのか。
 かつて己を負かした男が、目の前に現れたとしよう。
 そのとき、彼に挑まずにいられるだろうか。

「――――どうかな」

 渇きは更に、彼女の心を焦がした。

「あー、むらむらする。そうだ、走って帰ろう。……馬、帰るよ」

 乗ってきた馬の手綱を持ち、咲夜は走り出した。
 驚いたのは馬の方である。

「ヒ、ヒヒィン?」

 背中に乗らずに自分の前を走り、尚且つ、自分より速く走る人間を見たからだ。
 その馬は次の日から、人を乗せて走ることをやめた。
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