戦人 ~いくさびと~

比呂

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士魂の職人3

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 そこは、人が多くて賑やかな通りだった。
 通りの両端には商店が立ち並び、活気に溢れている。

「へえ、山を降りれば、すぐに町がある、と。中々立地条件がよろしいですね」

 竹で編まれた籠を背負っている新兵衛がそう言うと、隣を歩いている綾女は得意気に頷いた。

「そりゃあね。村じゃ、鋤や鍬を直すくらいしか仕事がないからさ。儲けにならないんだよ。儲けの良い刀を買うのは、刀剣商か武士くらいのもんさ。町の近くに住むのは当たり前の話だわ」
「へぇ、刀というのは儲かりますか」
「有名になれば、看板(なまえ)だけで食ってけるよ。お偉いさんのお抱え刀工になれば、飯の心配は無くなるしさ」
「それは、魅力的な話なんでしょうね」
「まあ、そうだねぇ。けど、有名になるのは難しいもんさ。だって、刀は使われてこそ刀だろう? 使い手によっちゃあ、名刀もなまくらに化ける代物さ。有名どころの剣士が使う刀は、飛ぶように売れるって話だし。あたしの刀も、どこかの『戦人』が使ってくれたら売れるんだろうけどなぁ」

 目を細めた新兵衛は、呟くように言った。

「――――戦人(いくさびと)、ですか」

 それは、戦を生業とする人間達のことだった。
 全国の戦場を渡り歩き、金銭で勝利を請け負うのが仕事だ。
 これでは、傭兵や武士団と何ら変わりのない存在だと思うかもしれない。

 しかし戦人とは、偉大なる功績を残した者だけに、皇帝から与えられる名誉だった。誰でも名乗れるものではない。

 そして、戦人とそれ以外を分かつ一線―――それは、『一人で千人並の働きをした』という事実のみによる。

 たった一人で千人と戦う剣士も、一夜にして城を築き千人の軍を止めた築城家も、等しく戦人となるのだ。

 戦人と認められた人間は、皇帝から鉄印を渡される。その印は全国の関所を無審査で通り抜けられる認可証だった。

 全国を渡り歩いて戦争に加担する。それが彼らの仕事である。『戦人』は、一人でも戦況ががらりと変わるのだ。
 誰もが憧れる英雄と思って間違いは無かった。

「そうですねぇ」

 新兵衛が溜息をついた。
 確かに戦人が使う刀ならば、付加価値がついても不思議ではない。

「しかし、拙者はどうも好きになれません」
「それまた、どうしてだい? 男なら誰だって、小僧の頃から夢に見る話じゃないか」
「少し、苦い思いをしたことがありますから」

 綾女は虚を突かれたような顔をして、少しの間だけ新兵衛の顔を見詰めた。その直後、天を仰いで溜息をついた。

「……悪かったよ。あたしも気が回らないもんでさ、嫌わないでおくれ」
「えっと」

 急に大人しくなった綾女に、新兵衛は頭を捻った。そして、彼女が何に謝ったのか気付いた。

 戦人とは、戦争を生業としている。
 戦争は何もかもを巻き込んで、争いの渦へと落ちていくのだ。誰もが勝者でいられるはずは無い。

 戦人の活躍によって、身近な誰かを殺されている人間も大勢いる。それが、荒木新兵衛でないと誰が言えよう。
 彼は、苦笑いを浮かべた。

「……苦い思いをしたのは、拙者の力不足が原因です。何も綾女さんが謝ることは無いでしょう」
「そうかもしれない。けど、謝っときたかったんだ」

 やけに愁傷な綾女に対し、新兵衛は軽口で応じることにした。
 やはり男として、女性には笑っていて欲しいと思ったからである。

「ええ、では拙者も謝らねばなりませんな」
「ん?」

 何か謝られるようなことがあったっけ、と綾女が首を傾げた。

「拙者は、嫁入り前のあなたと同衾してしまった。本来ならば、責任を取らねばならないところでした。本当に申し訳ない」

 にやり、と彼女は笑って冗談を言った。

「そうさね、責任とっておくれよ。お腹にいる新兵衛さんの子も、そう思ってるはずさ」
「……重婚は罪が重そうですねぇ」
「えっ!」

 綾女は本気で驚いた。
 それこそ、目を皿のようにして新兵衛を見ている。唾の塊を飲み込んだ後で、恐る恐る口を開いた。

「冗談、よね」
「いえ、結婚しておりますが」
「嘘ぉ」

 あまりにも驚いている様子だったので、新兵衛は正直に言った。

「……ま、口約束だけですが」
「な、なぁんだ」

 胸を撫で下ろした綾女は、思いのほか大きな息を吐き出した。
 口約束だけの結婚ならば、夜の花街で毎日のように語られているほどだ。
 大方、人の良さそうな新兵衛が、花街の遊女に無理やり言わされたのだと思った。

「で、ここですかな」

 立ち止まった新兵衛が、とある屋敷を見上げていた。
 入り口には大きな暖簾が下がっており、中二階には木製の看板が下げられている。
 そこには『三島屋』と達筆な墨字が書かれていた。

「あ、そうそう。御免よぅ」

 綾女は暖簾を掻き分けて、先に入ってしまった。新兵衛もそれに続く。
 三島屋に入ると、土間からすぐに板の間があった。
 その上には木台が並んでいて、大小さまざまな刀剣類が置かれている。

「三島屋さぁん、居るかい」

 すると部屋の奥から、身なりのよさそうな商人がやってきて、板の間に膝をついた。

「おやおや、これは綾女さんじゃないか。今日は一体、どんな御用向きで……」

 喋っている途中で彼女の背後に立っている新兵衛を見つけ、震える指を突きつけた。
 その顔が驚愕に彩られていたことは言うまでも無い。

「な、え……そういうことかい?」
「あははは。三島屋さんったら、違うよぅ」
「は、ははは、そうだよなぁ」
「あたしはこの人の愛人だよ? 本妻は別にいるってさ」

 刀剣商の三島茂清は、笑顔のまま新兵衛に向き直り、丁寧に居住まいを正しながら言った。

「…………あんた、どういうつもりだい? 事と次第によっちゃあ、容赦しないよ?」
「誤解です」

 彼は背中に冷や汗を流しながら言った。
 助けを求めるように綾女を見る。
 すると、彼女がようやく助け舟を出した。

「嘘さね。本気にしないでおくれよ。あたしみたいな変わり者に、婿に来たい男なんているはずないだろう? この新兵衛さんが、道端で行き倒れてたから介抱しただけさ。そのお礼に、ちょっと手伝いをしてもらってるだけ」
「ああ、そうだったのかい……」

 歯切れが悪そうに言葉を濁した三島は、苦笑いを浮かべた。

「それじゃあ、今日の用件ってのは、いつものでいいんだね」
「頼むよ、三島屋さん。高値でお願いね」
「ま、頑張らせてもらいますよ」
「じゃ、新兵衛さん。そこに荷を置いて」

 新兵衛は背負っていた籠を、指示されたとおりに土間へ置いた。

 すると、三島茂清が呼んだ、彼の弟子らしい男が数人ほど現れて、それぞれに荷物を取っていった。
 彼らは布で包まれた刀を、一斉に鑑定し始めた。
 荷物がなくなると、綾女は木台の上にある刀に近づいていた。

「ちょっと、商品を見させてもらうわ」
「構わないよ」

 三島がそう言うと、彼女は興味津々といった様子で刀を見始めた。
 新兵衛はやることも無く、黙って立っていた。こういう状況は、彼にとっては慣れ親しんだもので、苦にはならなかった。

 しかし、三島は違ったようである。溜息をついてから、新兵衛に話しかけてきた。

「はぁ。で、本当のところはどうなんだい」
「嘘は言っておりませぬが」
「……。なら、行き倒れた理由は?」
「旅の途中で、崖から足を滑らしまして。そこを綾女さんに救ってもらいました」
「ふん。まあ、そういうことにしておこう。私は三島茂清という。あんた――名は?」
「荒木新兵衛と申します」
「そうか……。名前からして、どこかの侍くずれだね。見たところ、ヤクザ者では無さそうだが――――」

 新兵衛は肯定も否定もせず、話を聞き流した。

「……だんまりかい。私は綾女さんとは、娘の頃からの付き合いでね。彼女の伯父にも、公私に限らず世話になった。……私の言いたいことは、わかるね?」
「ええ」
「さっさと綾女さんの家から出て行くんだ。流れ者との色恋沙汰で、良い話を聞いたことがないからね。どうせ、あんたも他所へ行くに決ってる」

 三島が横目で、刀を鑑賞している綾女を見た。

「……まあ、あんたがこの地に留まるってぇなら話は別だよ? あんな楽しそうな綾女さんは、久しぶりに見たよ。それこそ、あんたが本当に結婚相手に見えるくらいにね」
「それは、申し訳ない」

 そう言うことしかできない新兵衛であった。

「ああ、いや、それに限っちゃ、あんたの所為じゃない。ただ、綾女さんがあれだけ器量も良くて、美人なのに結婚できない理由を知ってるかい?」
「いえ」

 彼は首を振った。言われてみればそうだったからだ。

「刀鍛冶、だからだよ。女の刀鍛冶は珍しいからね。町の連中は、彼女を気味悪がってる。変わり者だと蔑んでる者もいるくらいさ。そんな噂があれば、いくら美人でも誰も手を出さない。むしろ、遊び半分でちょっかいを出してくるヤクザ者が出てくる始末だ」

 顔を下げた三島は、諦めの含んだ口調になった。

「私のところで買ってもらわせてる刀だって、二束三文しか払えない。そこらの刀工よりは遥かに出来がいいのに、女ってだけで安く買い叩かれる。商売だから仕方ないと言えばそれまでだが、納得しているわけじゃない。……まあ、綾女さんが誰か良い人と結婚して、刀鍛冶の仕事を任せれば丸く収まるんだが」

 そう言って、三島は新兵衛を見上げた。

「…………」

 口を真一文字に結んだ新兵衛は、三島の顔を直視できなかった。
 彼としても、綾女を助けることに異議は無い。そればかりか、積極的に助けたいくらいだった。
 しかし、荒木新兵衛には、やらなければならないことがある。

「拙者は――――」

 彼が口を開いたところで、刀の鑑賞を終えた綾女がやって来た。

「ねえ、三島屋さん」
「な、なんだい?」
「鑑定が終わったみたいだけど」
「おっと、こりゃあすまないね。代金を用意してくるよ」

 三島茂清は、いそいそと立ち上がって、弟子達のところで話を始めた。そして代金の入った麻袋を持つと、再びこちらに戻ってくる。
 麻袋を綾女に渡すときの三島の顔は、苦笑いだった。

「……悪いね」
「こっちこそ申し訳ないよ。あたしの刀を買ってくれるのは、三島屋さんくらいだし。気にしないで」

 笑顔になった綾女は、話の湿っぽさを振り切るように手を振って、店の暖簾を潜り出た。

 新兵衛も会釈して、足元に返された籠を背負い、彼女に続く。
 晴天の日差しの下で、綾女の後姿が見えた。それはとても華奢で、美しい女性そのものだった。

「あたしって、そんなに変に見えるかい?」

 彼女の小さな背中が語りかけてくるようだった。
 彼は首を横に振って、言った。

「拙者には、少し眩しいですね」
「なんだい、それ」

 綾女の背中が、少し震える。泣いているようにも、笑っているようにも見える仕草だった。

「さて。お金も手に入ったことだし、何食べようか?」

 振り返った彼女は、どこか寂しそうに笑っていた。
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