戦人 ~いくさびと~

比呂

文字の大きさ
15 / 36

生殺与奪2

しおりを挟む

 夜気が満ちていた。
 月が闇に陰影を作り出し、朧げな風景を映し出している。

 まるで、現実感を根こそぎ奪うような気分にさせられた。
 身体が闇に溶け込む感触さえ覚えてしまう。
 何の苦も無く山道を疾走する荒木新兵衛は、僅かに幼少の頃を思い出した。

「……何を、こんな時に」

 頭を振って、邪念を追い払った。あまり良い思い出ではなかった。
 静かに立ち止まった新兵衛は、息を整えるように深呼吸する。
 綾女の鍛冶場から出立して、数刻は山中を駆けていたにしては、それほど疲れている様子ではない。
 深呼吸の理由は、気分を切り替えるためと、目的地が近づいてきたためだ。

「さて、この辺りか」

 山賊の下っ端らしき人間を脅して聞き出した場所は、既に通り越している。
 脅されて本当のことを話す子分などいない。話せば山賊一味が壊滅するかもしれないのだ。そんなことは折込済みである。

 ただ、ある程度は予測することができる。
 山賊は、時折とはいえ綾女の鍛冶場に訪れる。つまり、鍛冶場は山賊の行動圏内ということだ。

 それに山賊たちは、略奪した武具を隠れ家に持ち帰える途中であるような言動をしていた。
 荷物を担いだ人間の行動範囲は、たかが知れている。新兵衛の脚力で追えない距離ではない。

 それに山賊といえば、人目につかない場所を選ぶのが相場だ。綾女からこの付近の地形や土地柄を聞けば、更に範囲は絞り込める。

 後は、二人の山賊が逃げ帰っていった方角を考えれば良い。彼らを追いかけて、人気の無い山中で足跡でも見つければ、それが指標となるのだ。
 新兵衛は、夜気の冷たさを感じながら、周囲の林を見回した。

「……ん?」

 ある方角から、微かな気配を感じた。
 身を低くして、音をさせずに近づいていく。

 すると、首を切られて殺された山賊の死体が転がっていた。
 地面に広がった血が黒ずんで乾いていることから、しばらく放置されているのだろう。

「捕り物でもあるのか……いや」

 火付盗賊改方が山賊を捕縛するにしては、手際が良過ぎた。
 この死体となった山賊が見張りであることは予想がつくが、火付盗賊改方ならば、殺すよりは捕まえて情報を聞き出そうとするだろう。

 つまり、殺したのは別の誰かということだ。
 加えて、死体に争った形跡は無い。
 恐らくは背後から音も無く暗殺されたものと思われた。それだけの手練れが、そう遠くない場所に存在することになる。
 面倒ごとが増えることになったが、新兵衛としては、ここで諦める訳にもいかなかった。

「すまない」

 死体に手を合わせた新兵衛は、山賊の懐を探った。そこからは短刀が見つかった。
 丸腰の彼にとって、唯一の武器が手に入ったことになる。山賊の傍には刀も落ちていたが、山中を走るのに荷物になるので拾わなかった。

 新兵衛は腰帯に短刀を差し、静かに山林の中を歩いた。警戒しながら進むが、山賊を殺した手練れの気配は感じられなかった。

 そうしているうちに、山賊の根城へ到着する。
 どうやって建てさせたのかは知らないが、山中にしてはまともな家屋があった。 大きな物置まで備えていた。恐らくはここが本宅だろう。その家屋の奥にも、小さな離れがある。他には屋根付きの井戸まであった。

 新兵衛は人の気配がする本宅を避けて、屋敷の周囲を探った。
 見張りをしている山賊が数人ほどいたが、その誰もが酔っ払っていた。差し入れの酒でも飲んでいたのだと思われる。

 そして、屋敷の見張りにまで酒が振舞われる理由について、予想は難しくなかった。

 ――――三百両の娘が、売られたのか。

 眉を歪ませる新兵衛である。駆けつけるのが遅かったと悔やんだ。
 ただ、それでも最善は尽くさねばならない。売られた先を知っているのは、山賊の頭目か、娘を身請けした人間だろう。

「ならば」

 山賊の本拠地でやれることといえば、頭目に会うことだ。
 素直に会いに行ったとしても、捕まって殺されるのは火を見るより明らかだ。忍び込んで聞き出すしかない。

 懐から手拭を取り出した新兵衛は、それを顔に巻きつけた。即席の覆面である。 次に、腰の短刀を確かめてから、頭目の居そうな場所を探した。

 離れと思われる家屋には、人の気配は無い。物置は論外である。
 残ったのは、本宅の屋敷だった。

 最も人が居そうな場所に忍び込むのは至難の業だが、短刀一本で山賊一味と斬り合うことを思えば、どちらが楽かは言うまでも無い。

 新兵衛は忍び足になって、本宅の屋敷に近づいた。
 玄関口には見張りが居たため、屋敷の背後に回りこむ。
 物陰と暗闇を巧みに利用し、裏口と思われる場所の前に立った。木板の戸を静かに引き、屋内へ侵入する。
 土間に釜戸や水瓶があることから、台所で間違いなかった。

 そこから板間に上がりこみ、廊下に出た。
 すると、近場の部屋から鼾が聞こえてくる。どうやら深酒した山賊が数人ほど寝ているようである。

 起きてこないことを祈りつつ、新兵衛は先を進んだ。
 間もなく、松が描かれた襖が見つかった。屋敷の間取りから考えて、最奥にある部屋だった。

 ゆっくりと襖を開くと、十五畳はあろうかという部屋が見えた。
 その中で、上座にいる無精髭の男が、肘掛に持たれながら酒を呑んでいた。

「んあ? 誰だ、こんな夜更けに――――」

 新兵衛は倒れるように前傾し、飛ぶように部屋を駆けた。
 早業で無精髭の男の背後に回りこみ、左手で口を押さえた。右手には短刀が握られており、男の首筋に当てられていた。

「夜分に失礼する。お前が頭目か? そうであるなら頷いて欲しい」

 無精髭の男は、鷹揚に頷いた。抵抗する素振りはまったく見えなかった。新兵衛が左手を外すと、酒臭い息が洩れた。

「応よ。俺が大磯平蔵だ。で、あんた誰だ」
「故あって本名を名乗ることは出来ない。しかし、拙者の顔を知っている者が二人ほど帰ってきてはいないか」
「ああん?」

 眉を顰めた大磯は、酔いの回った頭を働かせるように首を傾げた。そして、心当たりでも思い出したのか、唐突に頷く。

「……そうか、あんたが綾女のところにいた男か。手下が二人、血相を変えて戻ってきたぜ」
「いかにも。その二人から、言伝を聞いてくれたか」
「そんなもん覚えてるかよ。まさか、本当に俺の隠れ家へ来られるとは思ってなかったからな」
「では、何度でも訊ねよう。――――三百両で売られた娘は何処にいる」

 大磯は余裕の態度を見せ、皮肉気に笑った。

「そいつが人に物を訊ねる態度かよ」
「こちらとしても、非礼を詫びるつもりは毛頭無い。拙者の思い過ごしで無ければ、先に手を出したのはお前たちの方だ」
「なんだとぉ? 俺はあんたの恨みを買うようなことをした覚えは無いぞ」
「ならば問う。お前は襦袢姿の娘を捕まえたろう」

 新兵衛の問いを耳にした大磯は、顔から余裕が消え失せた。

「ってことは何だ。まさかあんた、『姫』の知り合いか」
「『姫』、だと」

 今度は新兵衛が驚くような表情をした。
 まさか銀姫の素性が判明していて、追手に引き渡されたとも思ったからだ。その報酬が三百両なら、納得もいく。

「誰に引き渡したか、答えろ。事と次第によっては、お前たち全員に十万億土を踏ませてやる。正直に話せ」
「……うるせえな。脅されて、はいそうですか、と喋る山賊が何処にいるってんだ。山賊を舐めるんじゃねぇ。糞でも食らえ」

 吐き捨てるように言い放つ大磯であった。やけくそな気分もあるだろうが、秘密を知っているが故の強気だろう。

 それに、秘密を握っているからこそ生かされている状態なのだ。おいそれと白状して、後は用済みとばかりに殺されると思っていても不思議ではない。
 ここで主導権を獲得しておく、という大磯の考えは、手に取るように理解できた。

 しかし、新兵衛もそれくらいのことは先刻承知である。そうでなければ、初めから頭目を襲わない。

「どうあっても、お前には白状してもらう――――」

 新兵衛は持っていた短刀を動かそうとした。止むを得ないが、時間も限られている。白状させるためには、脅さなければならない。

 ――――銀姫の無事よりも大事なことはない。

 そう己に言い聞かせて、新兵衛は顔を上げた。

「…………」
「あ? 何だってんだ。臆病風に吹かれて、拷問もできねぇってのか。こいつは傑作だ。こんな腰抜けに背後を取られたってのは、末代までの恥だな」
「……静かにしろ」
「何であんたの言うことを聞かなくちゃならないんだよ。大声で手下を呼び集めてやってもいいんだぜ」
「それは手下が生きていたら、の話だな」
「当たり前だ、あんたは馬鹿か。手下がいねぇのに手下を呼ぶ頭目が何処に……って、あんた今、何て言った?」
「静かにすればわかる」

 怪訝な表情をした大磯だったが、思うところがあって口を閉じた。
 何の音も聞こえない、静寂な時間が流れる。
 
 それはあまりにも、静か過ぎた。
 疑念が確信に変わり、胸騒ぎを抑えきれない様子で大磯が言った。

「あ、何だ? どうして何も聞こえねぇ。さっきまで煩かった手下の鼾が聞こえねぇじゃねえか」
「どうやら皆殺しにされたみたいだな。拙者が此処に来る途中、見張りが一人殺されていた。恐らくは、それをやった連中だろう」
「なっ! 何でそれを早く言わねぇんだこの野郎!」
「聞かれなかったからだ。それより、何か心当たりでもあるのか」
「心当たりがあり過ぎて、誰だか分からねぇよ。だが、俺の知ってる限りじゃ、気配を消しながら手下を皆殺しに出来る達人はいないな。……あんたを除けば」
「拙者は寝ている人間を斬らない」

 喋り続けながら、新兵衛は大磯を拘束していた手を離した。周囲を見回して、侵入者の気配を探る。

 僅かながら、殺気のような圧迫感を伴う気配に気づいた。
 この頭目の部屋は、既に取り囲まれていた。今は突入の準備でもしているのだと思われる。

「そうかよ。それじゃあ俺もさっさと寝ておけばよかったぜ」

 軽口を叩きながら、大磯は立ち上がった。部屋の端にある寝床まで行って、枕元に置いてあった太刀を持ってきた。

 そのまま忍び足で、入り口である襖の前まで近づく。
 新兵衛は短刀を構えて、その背後についた。

 二人はこの時点において、協力体制にあった。生きるための選択だった。
 頭目の部屋が襲われる以上、大磯は逃げられるはずもないし、新兵衛だけが見逃されるとも思えない。山賊の仲間として斬られるのが落ちである。

 新兵衛としては、銀姫の居場所を聞き出せないままに大磯が殺されては困る。
 大磯としても、襲われているのならば味方が多いに越したことは無いのだ。

「お前が寝ていたところで、起こすに決まっているだろう」

 新兵衛は、大磯の肩を軽く叩いた。準備完了の合図だった。
 部屋に突入される側としては、一斉に大人数で雪崩れ込まれると対処の仕様が無い。個人の実力差など関係無しに、物量で押されてしまう。

 それを阻止するには、突入される前に反撃してしまうことだ。
 大人数で突入しようとすれば手間が掛かるし、時間も消費する。
 その間隙を突くのが最善だろう。そうすれば、準備をしていた侵入者たちは、否応も無く混乱するはずである。

「ああ、そうかよ!」

 大磯は、襖に向かって思いっきり太刀を振り下ろした。
 音を立てて、襖が真っ二つになって転がった。その向こうでは、鎧を身に着けた武者が一人、手で顔を押さえて悲鳴を上げていた。

 間髪を入れず、大磯が廊下に飛び込んだ。二人目の武者に斬りかかるが、太刀は武者の兜を叩きつけただけに終わる。
 それでも大磯は構わず、連続して兜に太刀を振り下ろした。頭蓋の砕けるような粘ついた音が最後に聞こえた。
 すると、太刀が中程から折れ曲がり、使い物にならなくなった。

「ちいっ、このなまくらめ!」

 無用の長物と化した太刀を、廊下の背後に控えていた鎧武者に投げつけた。
 それと同時に、背後にいた新兵衛が入れ替わるように前に出る。

「下がれ、大磯」
「そうさせてもらうぜ……えっと、覆面野郎」

 大磯は転がるように後退し、兜ごと頭を叩き割られた武者に取り付いて、代わりの刀を奪おうとしていた。
 新兵衛は右手に短刀を構え、槍を構えた武者と対峙する。

「……その家紋は」

 武者の胴丸に金字で塗りつけられた家紋を見つけた。それは、丸に違い笹。木津島家の家紋に他ならない。

 ――――もう、次の追手がきたのか。

 無意識に短刀の握りに力の入る新兵衛だった。
 新兵衛と銀姫が逃げ出したときの追手は、準備不足の雑兵だと思って違いない。単に、逃亡現場から一番近くにいた侍衆が、慌てて追いかけてきただけの話だ。

 しかし、今度は違う。
 完全武装した鎧武者で、尚且つ、人狩りに特化した兵たちが追いついてきたのだ。

「えいやぁぁぁっ!」

 裂帛の気合と共に、武者が槍を突いてきた。槍の穂先が伸びてくるような、鋭い突きだった。
 新兵衛は身体を半身にするように一歩前へと踏み出し、紙一重で槍を避けた。そのまま動きの止まった槍を、左手で掴む。

「ぬっ、……う、動かん」

 武者が掴まれた槍を押せども引けども、一向に動く気配は見られなかった。そして、精一杯の力で槍を引こうとしたとき、武者の身体が浮いた。

「な、なんと……」

 新兵衛の左手一本で、槍ごと鎧武者が持ち上げられたのだった。

「兵を引いてくれぬだろうか。拙者たちを追いかけてこなければ、殺しはしない」
「ぬかせ、この山賊風情が! 我ら木津島の精鋭ぞ。今すぐにでも、その素首を切り落としてくれるわ!」
「……そうか。ならば致し方ない」

 新兵衛の左手が、槍を掴んでいる武者ごと軽々と振り下ろされた。
 屋敷が崩れるかと思うような振動が起こり、埃が舞う。

 廊下の床板に大きな穴が開き、その中には奇妙に折れ曲がった姿の鎧武者と、折れた槍があった。
 握っていた槍の穂先部分をその穴に投げ捨てた新兵衛は、覆面の中から廊下の奥を見やった。

 廊下にはまだ数人の武者がいるのだが、全員で向かってくる様子は見られない。 どうやら狭い廊下の所為で鎧姿が仇となり、一人ずつしか襲いかかれないらしい。

 しかも、新兵衛の異常な怪力を目の当たりにして、怖気づいている様子である。
 そうしていると、背後から大磯が声をかけてきた。

「あんた、何者だよ……」
「そんなことはどうでもいい。それより、逃げ道は無いのか」
「んなことしなくても、あんたがこいつら全部を殺せばいいじゃないか」
「悪いが、お前を守りながら戦うのは無理だ。期待されても困る」
「困る、ってあんた。じゃあ、さっきの怪力は何だったんだよ」
「武者たちを怖がらせて、お前から逃げ道を聞く時間を稼ぐためだ。早くしろ」
「なんだよ……ったく。ま、逃げ道はあるにはあるがな。俺の部屋の背後に回れば、両端を木に囲まれた幅の狭い獣道がある。山の奥に続く森への道だ。武装した侍だと、狭くて追って来にくいだろうよ。だがな、そのためにはまず、廊下の兵を蹴散らして外に出なきゃならないぜ。屋敷の外だって、待ち構えてる兵がいるだろうよ」
「いるだろうな」
「……お手上げか」
「いや、拙者は諦めるわけにはいかない」
「そうだとしても、実際に逃げられねぇ、って言ってんだ」
「どうかな」

 新兵衛は思案するようにして、頭目の部屋を振り返った。そして意を決したように頷く。

「逃げ道は、部屋の背後と言ったな。それは、このまま真っ直ぐ走ればたどり着ける位置にあるのか」
「あ、ああ。それは、そうだが」
「ついて来い。遅れるなよ」
「はあ?」

 不可解な顔をする大磯を余所に、新兵衛は持っていた短刀を、廊下の奥にいる武者に投げつけた。
 武者が怯んだ隙に、頭目の部屋へと走りこむ新兵衛であった。

 走る速度を加速させ、迫ってくる部屋の板壁に向かって左手を突き出す。新兵衛の左腕の筋肉が音を立てて軋み、膨れ上がった。
 掌が壁に触れると同時に、凄まじい衝撃が走る。

 頭目の部屋の壁一面が、見事に丸ごと吹き飛ばされてしまった。
 新兵衛は走りこんだ勢いそのままに、部屋の外へと飛び出していく。
 夜気が屋敷の中に入ってくる。

 唖然としていた大磯は、冷たい夜風に頬を撫でられ、我に返った。慌てて新兵衛に追いつくように走り出す。

 新兵衛は既に、月明かりさえ無い、暗く狭い獣道を走っていた。草木が生い茂り、重装備の者には動きにくい地形だった。
 少しして新兵衛の背後に大磯が並ぶと、叫ぶように言った。

「あ、あんた、気は確かか?」
「何だ、いきなり」
「素手で壁をぶっ壊して逃げるなんざ、俺ぁ今まで聞いたこともねぇよ!」
「最短で、可能な限り敵と出会わない方法を選んだだけだと思うが」
「……馬鹿だな、あんた」

 心底可笑しそうに笑う大磯であった。必死で逃げている最中だというのに、何故だか笑いが止まらない様子だった。

「逃げ切れたらの話で構わないが、俺と組んで、でっかい仕事をやらないか」
「無理だ」
「おいおい、即答かよ。あんたほど腕っ節が強いんなら、幾らでも儲けられるぜ? 金の管理やら子分の統率やら、面倒なことは全部俺が引き受けてやるからよ」
「……二度と山賊にはならないと誓った身だ」
「二度と? あんた、元は山賊だったのかよ。道理で山道を走るのが上手いわけだ。しかし、あんたぐらい強い山賊がいたのなら、俺の耳にも入ってくるはずだがなぁ」
「昔の話だ。忘れてくれ」
「だからなぁ、俺ぁ簡単に納得できるくらいなら、はなっから口にださねぇ――――」

 突然、大磯が身体を放り出すようにして崩れ落ちた。
 草の上を数回ほど不恰好に転がり、ようやくうつ伏せになって止まった。
 その背中には、生えて出たように鉞が突き刺さっていた。

「が、ごぶっ」

 大磯は口から血を吐き出し、己の血で溺れるように苦しんでいた。
 足を止めた新兵衛が、倒れている大磯の元に駆け寄って屈みこんだ。彼の状態を見るなり、絶句してしまう。
 鉞は肋骨を突き破り、肺まで到達していた。息絶えるのは時間の問題だった。

「今、手当てをしてやる。死ぬんじゃない」
「がばっ……。わかってる、さ。助かる……傷じゃねぇ。俺ぁ、悪ぃことを……してきた。綺麗に……死ねるはずが、無ぇんだ」

 大磯は強張る手で新兵衛の着物を掴み、強く引き寄せた。

「だからこそ……最後まで、矜持は……忘れねぇ」

 ――――気に入った人間は尊重する。

 どれだけ自分が損をしようともな、と大磯は心の中で嘯いた。
 しかし、傷の痛みで頬が歪む。その表情は笑っているようにも、悔しがっているようにも見えた。

「姫を買った……のは、侍だ……侍を探せ……。はは……ちくしょう……これで、金は返さなくちゃ、いけないな。とんだ……大損だ――――」

 力をなくした大磯は、新兵衛の着物を掴んでいた手を放した。口の端から血を垂れ流しながら、光を亡くした瞳となった。既に呼吸は停止していた。

「助言、痛み入る」

 新兵衛は、優しい手つきで大磯の瞼を閉じてやった。両手を合わせた後に、再び夜の山道を走り出した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

処理中です...