戦人 ~いくさびと~

比呂

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一国一城4

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 銀姫は、屋敷の門の内側から、佳代が持ち上げられて首を絞められているのを見た。
 その場から走り出そうとして、自分より早く走り出した人間に気づく。

「佳代ぉ、何でお前がそこにいるんだよ!」

 女中のお静だった。
 泣きながら佳代の傍に行こうとしていた彼女だが、待機していた武士たちに取り押さえられた。
 流石に男たちの力に敵うわけは無く、門を出ることは出来なかった。

 それでも、我が子の名を呼ぶ。
 銀姫は、お静の前に立った。
 お静は気が狂ったように叫び、銀姫の所為だと罵倒した。

「あんたなんて、この屋敷に来なければ良かったんだ! あんたが佳代の代わりに死んでおくれよう……」

 周囲の武士たちは青ざめた。
 まがりなりにも、銀姫は大名の娘である。暴言にも程があるというものだろう。
 しかし銀姫は、真面目な顔で頷いた。

「うむ、私もそう思っていたところだ。そういう訳で、行ってくる」
「お、お待ちください。銀姫様は屋敷内におられるよう、忠宗様から命令されております」

 数人の武士たちが、銀姫を取り囲んだ。逃げ出す隙間は無い。
 だが、銀姫は逃げ出すつもりは無かった。

「その忠宗が死にそうな折に、黙って見ているのが武士の勤めかや? 忠義の尽くし方は、命令を守り通すだけではないぞ。時には主君の間違いを正さねばならんときもある。尻拭いをしなければならぬときもある。勤めを果たすのは当たり前じゃ。そこから主君のために何が出来るかが、良き家臣の証であろう。なればこそ主君は、良き家臣を家族以上に愛するのではないのか」

 武士の一人が、その場で頭を下げながら言った。

「ひ、姫様の仰ることはごもっともで御座います。しかし、今は膠着状態で、手を出そうにも出せませぬ。我らが動くことで、木津島の軍勢を動かすきっかけになりかねません」
「じゃから、私に良い考えがある」
「そ、それは?」
「ふむ、この場にいる全員で弓を持て。格好だけで一向に構わぬ。嘘でよい。そして、私が合図をしたら、木津島の軍勢に向かって、全員で弓を構えるのじゃ」
「全員ですと? それでは背後から攻められれば、全滅の憂き目に会いますぞ」
「どちらにせよ、正面から戦えば負けは必死じゃ。そんな備え、無くともよい。それよりも、弓の数は全員分あるのかえ」
「練習用も含めれば、何とか」
「ああ、それでよい。本当に弓を引かなくてもよいのじゃ」
「ですが」
「……急げよ。急がぬと、佳代が死んでしまう」

 真剣な銀姫の表情に、武士は気圧された。
 大人の男である武士が、姫とはいえ小娘に重圧を感じてしまったのだ。

 そして、その隙を銀姫は利用した。
 取り囲まれていたにもかかわらず、武士の囲みを突破し、門を出た。

 威風堂々、誰にも何にも恥じることなく、銀姫は歩いた。
 誰もが銀姫に視線を奪われた。
 鎧武者の群を割って進むその情景は、異様なほどに張り詰めていた。
 そして銀姫は、木津島貴信と合間見える。

「久しぶりよのう、貴信。佳代を降ろせ」
「これは銀姫、機嫌が悪そうだ――――」
「佳代を降ろせ!」

 銀姫の一喝が響いた。
 周囲が驚くほど静かになる中、貴信は佳代の首を絞めるのを止めた。
 右手に佳代を抱えたまま馬から下りて、銀姫の前に立つ。

「……これで、よろしいか?」
「うむ」

 佳代が咳き込んでいる様子を見るに、命に別状は無いものと思われた。
 銀姫は貴信を見て、当然のように聞いた。

「私以外は、皆死んだか」
「まあ、そうだな。殿も奥方様も、間違いなく殺した。そうでなくては、謀反と言えまい」
「どんな手を使ったのじゃ。戦力でいえば、まだこちらの方が多かったのじゃが」
「……まあ、いいだろう。知ってはいると思うが、戦人に力を借りたのだ。どうもその戦人というのが『自分の眼で見た人間に、最適の武器を見つけ出す』という際者でな」
「それはまた妙な戦人じゃな」
「ただの兵士に、その戦人が選んだ武器を使わせると、兵士は十倍ほど強くなる。つまりは十人力だ。それを百人ほど繰り返せば、千人力というわけだ。少人数で大名の側近を制圧できたのも、これが理由だ」

 滅びるべくして滅びたのだよ、と貴信が言った。

「そうか。まあ、これが大名家の宿命というやつかのう」
「随分と物分りが良いのだな」
「何、人の上に立つのならば、こういう覚悟を持つべきだと教えられて育ったのだ。別に大したことではない」
「それは手間が省けた。それで、どうするのだ」
「簡単なことだ。私の首を差し出す代わりに、真木家の全員を助けてやって欲しい」

 そう銀姫が言った途端、忠宗は身を乗り出した。

「待て! 俺を殺せ! 銀姫には素性を隠させて、遠くにやれば良いだろう! この場の責任は、すべて俺の首一つで許してくれ!」

 貴信が、詰まらなさそうに言った。

「お前の首に、そんな価値は無い。自惚れるな。そもそも、お前の打ち首は当然だ。それをこの銀姫が救ってくれると言っているのだ。余計な口を挟むな、下郎」
「ほう。では私の首で、真木家は助けてくれるのか」

 言ってみるものだな、と銀姫が呟く。
 貴信は目を細めた。

「ただ、助けるわけではない。が、約束はしてもよい」
「そうか」

 銀姫が意地悪そうに笑った。右手を上げる。
 すると、真木の屋敷の塀から、弓を持った武士たちが身を乗り出した。
 塀の一面すべてに弓手が並んでいる様は、壮観ですらあった。

「誓うのだぞ。さもなくば、ここにいる全員が死ぬことになろうぞ。お主もせっかく謀反を起こしたのだ。志半ばで死にたくあるまい」
「全力で戦えば、お前たちが負けるのをわかっているのだろうな」
「わかっておるよ。誰も百の軍勢を殺しきれるとは思っておらん。死ぬのはお主の周辺にいる人間だけじゃ。ただ、この弓の一斉射撃を止める手立ても、お主たちにはあるまい。それは三人の弓手が出てきたときのお主らの反応で丸分かりよ」
「…………ふん」

 貴信は眉根を歪めた。それは、銀姫の言が正しいことを教えていた。

「普通、飛び道具には飛び道具で対抗するはずじゃ。それなら均衡状態を作り出せるからな。しかし、お主は人質という盾を使ったの。それはつまり、お主らに飛び道具が無いということを白状しているようなものよな。さしもの戦人とて、個人に最適の武器は選べても、、、、、、、、、、、、、戦術に最適の武器を選ぶことは出来なかった、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、というわけじゃ」

 戦は個人でやるものではない、と銀姫が言った。
 口を歪めて、貴信が笑う。

「果たして、そうだろうか。戦人を見ろ。あいつらは、一人で合戦をしているようなものだ。あれは間違いなく才能だろう。有能な人間は、常に凡人の力を凌駕しつづける。凡人はそれを甘んじなければならないのだ。例えそれがどんなに身を裂くほど辛かろうと、どんなに望もうと、手に入れられない才能というのはあるのだよ」
「それが人間じゃ」
「わかったような口を利いてくれるな、小娘の分際で。お前はまだ、本当の意味で人間を知らんのだ」
「そんなもの、誰にもわかるわけがなかろう。それと言っておくが、才能は人を助けるものではない。人を助けるかもしれない、、、、、、、、、、、ものじゃ。才能は人を殺すこともある」
「……は、言うじゃないか」

 それきり、貴信は黙ってしまった。両眼を手で覆い、上を向いていた。
 貴信と銀姫の間に、風が吹いた。

「決めた」
 決心がついたのか、貴信はそう言うと右脇に抱えていた佳代を地面に降ろし、自由にした。
 そして、己の懐刀を銀姫の前に投げた。

「その刀で、俺の言う通りに自分自身を刺せ。そうすれば、真木家は助けてやる。今まで通り、何も変わらず、関所守の仕事を続ければよい」
「何を言ってやがる!」

 忠宗が叫んだ。しかし、貴信は見向きもせずに言う。

「このままでは、日が暮れる。こちらはそれでもいいぞ。弓手の狙いが悪くなるのだからな。それに、俺を信用できなければ、信用しないでよい。少なくとも、銀姫が己を刺している間は、兵を一歩たりとも動かさぬよ。その間に逃げ支度をすればいいさ。もう俺としては、銀姫さえ殺せればそれでよいのだ」
「ふむ、ではそれで行こう」

 言うなり銀姫は懐刀を拾い上げ、忠宗の近くに行き、彼の眼を見ながら言った。

「世話になった。この恩は死んでも忘れぬ。佳代を連れて屋敷に戻れ。私はなるべく死に難い所を刺して、時間を稼ぐからの」
「そんなこと――――」
「もう充分じゃ。私はお主を愛してやれぬ。じゃから、お主は愛してくれるものを愛せ。家臣の幸せが、お主の幸せだと言ったではないか。それに、生き抜いた者が凄いのじゃろう? せめてお主は、生き抜けばよい」
「ちくしょう……」

 忠宗は地面を握り締め、悔しそうに涙を流した。
 合理的な判断は、常に人の幸せと直結するわけではない。
 大勢の家臣を救うため、女を一人見捨てることになる。

 ――――人一人の力と命など、取るに足らないものだと。

 忠宗は、そう世界から言われたような気がしていた。

「くそっ、俺は今日ほど、自分の弱さを呪った日はない――――」
「弱さは嘆くものではない、認めてやるものじゃ。自分を呪うなどと、悲しいことを言うでない」

 そう言って、銀姫は忠宗の背中を見送った。
 たまにこちらを振り返る、佳代の顔に微笑みながら。

「ふん」

 貴信が手を振って、軍勢に合図を送った。
 すると屋敷の周辺を取り囲んでいた軍勢が、一斉に貴信の元へ向かってきた。
 銀姫は貴信を睨む。

「何をしたのじゃ」
「すべての軍勢を集結させる合図を出した。屋敷を取り囲んだままでは、奴らは逃げることも出来まい。それに、兵を一歩も動かさないと言ったのは、お前が己を刺している間だと言ったはずだ」
「……まあよい。それで、どこを刺せばよいのじゃ」
「まずは、その眼だ。光を失え。世界のすべてが闇であるという絶望をくれてやる。そうすれば、お前も力の無さを思い知るだろう。甘いことなど言えなくなる」
「誰が絶望するものか。眼を潰せば、世界が闇に染まるだと? 面白いことを抜かすのじゃな。私が眼を潰して真っ先に思い出すものが何であるか、思い知らせてやる。甘いことばかり言ってやろうぞ」

 ――――なあ、新兵衛。愛しておるぞ。

 彼女は、誰もが惹き込まれる様な、甘く、蕩けるような笑顔をした。
 その顔に、自らの手で、懐刀を突き立てた。

「くあ、あああああああああああああああああああぁぁぁあぁっ!」

 眼窩から、とめどなく溢れ出す大量の赤色。
 それは銀姫の顔左半分を染め、それでもなお、流れ続けた。
 激痛で身体を折り、倒れこむ銀姫だった。
 
 ――――そして、木津島貴信が大声で笑った。

「ははははははははははぁっ、本当の馬鹿者だなぁ、お前は! 愚かだよ。それでどうやって、弓手に合図を送ろうというのだ! 己の力の無さを呪え、銀姫」

 貴信は鉞を振りかぶり、投げた。
 それは吸い込まれるように、忠宗の背中へ刺さった。
 次に、怒号のような声で命令が下された。
 木津島貴信を先頭に、一つに集まった百人の軍勢が、一斉に真木の屋敷へ走り出した。
 一人その場に残った銀姫は、砂を噛むような思いで地面に膝をついた。

「――――っ」

 軍勢の通り道にいる忠宗と佳代は、踏み潰されて原形も残らないだろう。
 屋敷にいる人間は、残らず狩り殺されるだろう。

 弱いことは、罪なのだろうか。
 人を信じるのは、悪いことなのだろうか。
 馬鹿なのは、いけないことなのだろうか。

「のう、新兵衛。そこにいるのが、瞼の裏の幻でなければ、教えてくれぬか」

 荒木新兵衛は、ただ一言、こう言った。

「拙者も同じく迷うております」

「……は?」

 答えが返ってくるとは思っていなかった銀姫は、呆けたような顔をして、確かめるように新兵衛を見た。

 彼女が見た新兵衛は、一睡もせずに全力疾走してきたような疲れた顔をしていたが、とてつもない安心感を与えてくれた。
 それと同時に、心の底から怒りが湧き上がってきた。

「今まで何処をほっつき歩いておったのじゃ、この馬鹿者!」
「……姫様の危機に間に合わず、申し訳――――」
「違うわ! 私を見損なうな! 私のことはどうでもよい! それよりも、お主が生きておったのが嬉しい。……そうか、生きておったかぁ」

 しばし待て、と言って手の平を差し出した銀姫は、深呼吸して心の平静を取り戻した。
 それでもまだ、頬がほんのり赤く染まったままだった。

「ふむ、約定通りじゃ。お主は私を迎えに来た。それでよい」
「しかし」

 新兵衛は反論しようとした。銀姫が傷ついていては、何のために己があるのか、と言わんばかりの勢いだった。
 銀姫も、新兵衛の心中は、手に取るようにわかっている。

「私の身については、何の約定も無かった。この眼は己で刺したのじゃ。それは誰の非でもない」
 
 それにな、と彼女は言葉を続けた。

「お主が戻ってきてくれたおかげで、答えが見つかったのじゃ。礼を言う」

 銀姫は思った。
 荒木新兵衛という男は、彼女が死ねと言えば間違いなく死ぬ。
 決して逆らうことは無い。
 それはつまり、銀姫よりも弱者と言ってもいいのではないだろうか。
 そして、新兵衛が銀姫の命令を聞くのは、彼が銀姫のことを信じているからだろう。

 そんな新兵衛は、馬鹿に違いない。
 迷っていたすべてのことは、惚れた男のことだった。
 ならば、迷うことなく言い切れる。

「私はお主が好きなのじゃ。それだけは間違っておらん」
「過分なるお言葉、恐悦に御座りまする」
「よい。とにかく、その他人行儀な態度を止めよ。もう夫婦なのじゃ」

 新兵衛は照れながら、頭を掻いた。

「……はあ、しかし、不慣れです故、非常に難しくありまして……」
「私も夫婦は初めてじゃからのう。嫁らしいことをしてやれんかもしれぬから、それはお互い様じゃ。まあ、それも初々しくてよかろう」

 そう言ってから、銀姫は真面目な顔をした。

「もう私は姫ではない。鷹峰銀は、もう死んだ。これからは新兵衛の妻として――荒木銀として生きよう。差し出すものは己が身しかない、ただの女じゃが、私の頼みを聞いてくれるか」

 新兵衛は微笑んだ。

「無論で御座いますとも。拙者も銀を愛しております」
「……うれしいぞ」

 銀姫は頷いた。
 新兵衛からようやく告白されて、本当は地面で転げまわるほど嬉しかったのだが、これから新兵衛に告げる言葉を思うとそれも出来なかった。

「木津島の軍勢をすべて完膚なきまでに叩き潰してはくれぬか。真木家には、借りがある」
「承知」
「お主の、その『右腕』を使うのじゃ。『左腕』だけでは荷が重かろう。存分に腕を振るうがよい」
「よろしいので?」
「うむ。お主には山賊時代を思い出させて辛かろうとは思う。故に今まで使わせたくはなかったのじゃが、これからは違う」
「これから、とは」
「姫であるときは、謀殺されるもやむ無し、と考えておった。姫の責任とは、そういうものだと思うておったからの。たとえそれに、新兵衛を巻き添えにしたとてな。じゃが、もう私は姫ではない。じゃから、お主が死ぬのが嫌じゃ。お主と共に生きられるなら、例えそれが悲しき過去であっても、利用することにした。お主だけは、私を恨んでもよいぞ」
「お心遣い、感謝いたします。それに、恨む理由も御座いませぬ。では、暫くの間、拙者は人の道から外れましょう」

 新兵衛は銀姫の左眼に、懐から出した綺麗な手拭を巻きつけた。

「遅くなって申し訳ありません」

 そして、銀姫に背中を向けた瞬間、荒木新兵衛は人ではない何かに変貌していた。

 ――――異類異形さながら。
   ――――怪力乱神じみて。
     ――――悪鬼羅刹の如く。

「……すまぬ」

 銀姫が手を上げ、それを振り下ろした。
 屋敷の塀で待機していた弓手たちが、一斉に矢を放った。
 そのすべてが命中することは無かったが、矢が飛んで来るはずもないと高を括っていた軍勢は、冷や水を浴びせかけられたように進軍を停止した。

 突撃中であった木津島の軍勢は、一瞬だけ凍りついたのだ。
 たったそれだけの間で、新兵衛が軍勢の最後尾に追いついた。

「ぎゃあぁぁぁぁあぁっ」

 鎧を身に着けた武士の一人が、聞き苦しい悲鳴を上げた。
 その武士の身体は、腰から下が砕けていた。

 次の瞬間に、黙り込む。
 喉から上を、新兵衛に根こそぎ引き千切られたからだ。
 周囲にいた木津島の精鋭たちは、恐怖を貼り付けたような顔で新兵衛に殺到した。

 強大過ぎる畏れを前にした人間の行動は、退くか進むかのどちらかになる。彼らが選択したのは、後者だった。

 そしてそれは、最も愚かな選択だった。
 人とは思えぬ怪力が、鎧武者たちを吹き飛ばした。

 新兵衛の振るう腕に掠っただけで、胴体が千切れ、腕が飛び、首が落ちる。
 阿鼻叫喚の地獄絵図が、まさにこの地で再現されていた。

 これぞ浄州を震撼させた山賊の成れの果て。
 まるで人間を紙くずのように扱う、剛力の魔人。
 『それ』に立ち向かうなど、狂気の沙汰としか言いようが無い。
 戦人が選んだそれぞれの武器は、新兵衛に触れる前に折れ曲がり、武士は死を想う前に肉塊へと変貌する。

 この行為に、善悪など存在しない。
 破壊と粉砕と切断が在るのみだ。
 比喩ではなく、血の雨が降る。

「この光景も、久しぶりよな、、、、、、。私が助けられて以来かのう」

 暴風のような新兵衛の後を着いて行くように、銀姫は悠然と傘も差さずに歩いた。

 血に濡れる。
 肉の大地と、流血の河。

 死と表現するには、圧倒的に言葉が足りない情景だった。
 精鋭だった武士たちが皆殺しにされるのに、半刻も必要なかった。

 人が人でなくなってしまった風景。赤の世界。
 そんな光景の中で、血の中で蹲るようにして震えている、忠宗と佳代がいた。
 銀姫は二人に近づいて言った。

「背中は大丈夫かのう」

 忠宗が、青ざめて紫色になった唇を震わせた。

「……何とか、な。鎖帷子を着込んでたおかげだ。しかし――――『あれ』は、何だ」
「『あれ』が、本物の力というやつじゃよ。あんなもの、誰も幸せにすることはない。誰かを道連れに、堕ちていくだけの代物じゃ」
「――――っ」

 忠宗は、震えていた。
 新兵衛に対して、ひどく脅えていた。失神している佳代を強く抱きしめる。

「どうして、銀姫は、『あれ』と一緒にいられるんだよ。何だよ『あれ』は……普通じゃない」
「普通でおられぬから、才能なのじゃ。災能と言ってもよいな。まあ、別に私はそんなことはどうでもよいのじゃ。ただ、新兵衛とならば堕ちてもよいと思っておるだけよ」

 ――――一緒ならば、どこまでも。

「惚れた弱み、というやつじゃな」

 銀姫は照れるように笑った。顔を上げて、荒木新兵衛の背中を見つめる。
 その新兵衛は、仁王立ちをしていた。

 鉞を担いだ木津島貴信が、彼の真正面に立っていたからだった。
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