戦人 ~いくさびと~

比呂

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千人殺し2

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 新兵衛と銀姫が、観音峠を降りていく。

 道は緩い下り坂で、右側には手入れされていない雑木林があった。
 銀姫は、白い花束の香りを楽しみながら歩いていたが、急に歩みを止めた。

「どうかなさいましたか」

 新兵衛が訊ねると、銀姫は花束の中心に手を入れて、あるものを取り出した。
 それを新兵衛に渡す。

「これは……」

 鳥の形をした鼈甲の飾りだった。
 その鳥とは鷹であり、鷹峰を象徴するものである。
 鷹峰家に伝わる家宝に違いなかった。
 銀姫が口を尖らせる。

「やると言うたのにのう」
「流石に家宝は過ぎたものかと。銀の正体を知った後では、逆に恐れ多くて持っていられないでしょう」
「しかし、返すのならば返すと言えばよかろう」
「それでは失礼になるからでは? その花束を大切にしてくれると思っていたからこそ、あの佳代という幼子も花束の中に託したのでしょう」
「ふむ、まあ、それくらいわかっておるがな」
「ならば何故?」
「言葉にせねば解決しないこともある、ということじゃ。私とて、誰もおらぬところで新兵衛に甘えたいと思うのじゃ。……ああ、その飾りは新兵衛が預かっておいてくれ。私では失くしてしまいそうでな」
「承りました」

 雑木林から涼しげな風が吹き、木の香りが辺りに漂う。
 最初に気づいたのは、新兵衛だった。銀姫を庇う様に前に立つ。
 遅れて銀姫も気づいた。

 雑木林に身を隠していた人間が、姿を現した。
 その者は、仕方なさそうに笑って、言った。

「やあ、新兵衛さん。ちょっとお邪魔するよ」

 国重綾女だった。

「ああ、うれしいね。その刀、腰に差しててくれたんだ」

 頷く新兵衛の背後から、銀姫が顔を出した。

「……道化も大概にしておくのじゃぞ」
「何を言ってんだい? この嬢ちゃんは」
「惚けようとて無駄なことじゃ。私も新兵衛も、人並み以上に鼻が利く。お主も誉れ高き戦人、、ならば、正体を現すが良い。どうしても化けの皮が剥がされるのが嫌ならば、私が剥いでやろうぞ」

 綾女が、泣き出しそうな眼をして笑った。

「どうして、わかったのさ」
「言ったであろう。鼻が利く、と」

 銀姫が、狩猟動物のような獰猛な顔をした。
 そして新兵衛は、綾女から視線を外し、さっきまで彼女が隠れていた雑木林を見た、、、、、、

「出て来い、三島茂清っ! 姿は隠せても、火縄の臭いまでは隠し切れぬぞ!」
「ああ――――そいつは誤算でしたねぇ」

 雑木林から、恵比須顔をした三島が現れた。
 手には短筒を持っていて、銃口は常に綾女へ向けられている。

「ふん、胡散臭いやつじゃとおもっておれば」

 銀姫が三島を睨む。

「おや、そっちが地ですかな。随分と言葉遣いが違うようで。山賊に捕らえられていたときとはまるで別人だ。まあ、あれだけ三味線が似合っていなければ当然でしょうな」
「それも、戦人の特技かや?」
「そういうことになりますねぇ」
「ふむ、戦人にお墨付きをもらっかようじゃの。まあよい。それにしても、戦人が商人をやっておったとは、よほど金に困っておったのか」
「いえいえ、特技の性質上、刀剣商が最も適任というやつでしてね」

 三島はゆっくりと歩いて綾女に近づき、彼女の背後に立って銃口を首筋に突きつけた。
 その間、新兵衛と銀姫は動けなかった。

「これでも、お客様には喜ばれておりましたよ。無論、木津島様にも格別の喜びを受けましてね。謀反に協力して、大名お抱えの刀剣商になれるはずだったのですが。まあ、その話も泡と消えましたなぁ」

 くっくっく、と三島は含んで笑い、新兵衛を睨んだ。

「それにしても、あんたはとんだ化け物だ。やっぱり、私が見立てた通りの人間だったよ。まさか、ここまで人間離れしてるとは思ってみなかったけどねぇ。知ってりゃ、どんな手を使ってでも、真木の屋敷にゃ行かさなかったのに。ついでに木津島が始末してくれると思ったのがいけなかったかね」

 新兵衛は、表情を消した。

「お前は、すべてを知っていたのか。謀反を手伝い、拙者の居場所を知り、銀姫が山賊に囚われていることに気づいていたのか」
「そうですよ。今更何を言ってんだね、あんたは。気づくのが遅かったね」

 三島は綾女の着物を掴み、逃げ出せないようにしてから、銃口を新兵衛に向けた。

「死んでもらうよ、新兵衛さん。その後のことは心配いらない。そこの銀姫は女郎屋に売り払うし、綾女さんには死ぬまで刀鍛冶をやってもらう。要らないのはあんただけだ。ついでに、あんたの腰にある刀は、貰っていってやるさ。そいつは良い刀だ。あんたにゃ勿体ない――――」

 短筒の引き金を押さえる指に力を込めようとした三島は、あることに気づいた。
 金色に輝く鷹が、目前にあったのだ。
 そして引き金の指が動くよりも早く、鷹が三島の額に突き刺さった。

「くあぁっ」

 額を押さえて後ずさる三島に対し、新兵衛は即座に間合いを詰めた。
 しかし、あと少しだけ届かない。

 血を流しながら、三島が短筒を構える。
 新兵衛は腰に手をやり、そのまま抜き打ちした。

 その場にいる誰もが、時間が止まったように感じた。
 陽光を反射して輝く刀身の銀光が、時の流れを動かした。

「あ、あぁ……」

 まずは、ぼたり、と短筒を持った手が滑り落ちた。
 不思議と、血が流れていない。

 斬られていることを肉体が認めていないのかもしれなかった。
 三島は確認するように手首を身体へ引き寄せ、傷を覗き込んだ。

「――――なんて、優しい斬り口だろうねぇ……」

 惚れ惚れするように傷を鑑賞する。
 そして、ずる、と三島の胴体が横にずれた。
 彼は傷口を見たまま、崩れて落ちた。

 新兵衛は三島の最後を見届けると、刀を鞘に納めた。
 次には三島の死体に近づき、鷹峰家の家宝を回収した。
 銀姫はそれを見ていた。

「ふむ。それが恐れ多き家宝か。なるほどのう」
「……申し訳ありません」
「別に。私は何も怒っておらぬ。まさか、武器になるとは思ってもみなかっただけじゃ」
「いえ、その」
「言い訳はよい。じゃがまあ、それは私と佳代との絆と言っても過言ではないがのう」
「う。……あの、ですから」

 困り果てる新兵衛を見て、綾女が吹き出して笑った。

「あはははははっ、確かに大したからかわれっぷりだよ。本当にお似合いさ、あんたたち」
「まあ、これくらいにしておいてやるかの」

 息を吐いた銀姫は、綾女に微笑みかけた。

「新兵衛が世話になったようじゃ。礼を言う」
「なになに、世話になったのはあたしのほうさね。礼を言うのはこっちの方さ」
「では、私はこれにて。それから新兵衛」

 呼びかけられた新兵衛は、何事かと顔を上げた。

「……何か?」
「ここに残っても構わぬぞ」

 言うだけ言うと、銀姫は一人で先に歩いていってしまった。
 呆然とする新兵衛に、綾女が言う。

「ほら、急いで追いかけな」
「はあ」
「ああいう素直じゃない女の気持ちは、よくわかるからね。誰よりもまず、自分を選んで欲しいのさ。だから、新兵衛さんを試すような真似すんのよ。いつだって、信じてあげなきゃ駄目よ?」
「信じていますよ」

 真顔でそう言った新兵衛だった。
 綾女は苦笑した。

「なら、さっさと行きなよ。手放しちゃ駄目だからね」
「はい。では、失礼します」

 新兵衛は挨拶を済ませると、一度も振り返らずに銀姫を追いかけた。
 それを見送った後で、綾女は、顔を歪めて泣いた。

「ぅぅぁ、新兵衛さんてば、ほんとに、馬鹿だねぇ……ぐすっ」

 国重綾女は、思い切り泣いた後で、それでも確かに笑えたのだった。
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