【恋愛小話】

色酉ウトサ

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『湖の踊り子』

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――いつからか青年は、彼女へ淡い恋心を抱く様になっていた。



 青年が初めて彼女を見たのは、1年前だった。

 父親を亡くし、二人きりで暮らしていた母親も亡くした青年は、身寄りも無く頼るあても無かった為、唯一両親が残してくれた森の奥で暮らす事に。

 自ら小屋を建て住み処を決めると、土を耕し、他にも食べられる木の実がないかと近くを散策し始めた。
そんな最中、青年は小さな湖を見つけ、水の確保はここで出来るかもしれないと近付き、ある光景に目を止めた。

 湖の中央辺りで、水面の上を軽やかにステップを踏みながら身体全体を伸びやかに動かしている娘が居たのだ。
音楽は聞こえないが、木々の間を風がすり抜ける音や、小鳥のさえずりなどを音楽としているかの様な娘の踊りは、青年の目にどこか美しくそして力強く映った。

 娘は青年と同い年位に見え、髪は腰の辺りまでと長く、白いドレスから踏み出された足や伸ばされた手は白くすらりと長かった。

(…どうして、こんな所に人が…?)

 ぼんやりと娘を見つめていた青年は、近付く事も声を掛ける事も出来ず、娘が踊り終えるまで目が離せなくなっていた。

 しばらくして、娘は湖の中央に舞い戻るとどこへとも無く一礼し、一際強い風が吹くと同時に姿を消してしまったのだった。

 その日から毎日の様に木の実を探しに行く振りをして湖へ足を運んだ青年は、偶然か必然か、時間帯がずれる事無く娘の踊りを見る事が出来た。

 晴れの日も雨の日も雪の日でも、娘は変わらず湖で踊り続け、気付けば1年が過ぎていたのだ。


 この日も、青年はいつもの様に湖へ足を向けた。

 娘は変わり無く湖の上で踊り始め、それを見つめていた青年だったが、踊りがいつもと違う気がして、思わず声を掛けていた。

「あの!」

「!」

「あ、待って!」

 突然声を掛けられた娘は、ビクリと身体を震わせ踊りを止めると、声のした方へ顔を向けた。
青年の姿を見つけ、目が合うと同時に娘はその場から駆け出した。

 逃げる娘に慌てた青年もその場から駆け出し、娘の走って行った方向へと足を向ける。

 しかし娘はすぐに姿を消し、見失った青年は辺りを手当たり次第に探し始めた。
けれど、どこを探しても娘の姿は見当たらず、肩を落とした青年は自宅へと戻って行った。

 翌日も青年は湖へ向かったが娘の姿は無く、それから数日経っても娘が湖に姿を現す事はなかった。

 それからは、毎日の様に湖へ足を運び娘の姿がない事に落胆し続けた青年。
声を掛けた罪悪感と娘の姿を見られない焦燥感で食事は喉を通らなず、夢でまで娘が消えてしまう度に目が覚めて眠れなくなる日々。

 青年は、日に日にやつれ始めていった。

 そんなある日、家に居ても仕方無いと青年は娘を探して森の中をあても無くさ迷い歩いた。
自分がどこを歩いているのかも、家への帰り道さえも分からなくなりながら、それでも娘の姿だけを探し続けた。

ドサッ

 次の日、青年は力尽きその場に倒れ込んだ。

 数日間飲まず食わずで睡眠も摂らず、弱りきった身体で森の中を歩き回り、休みもせず、家へも帰れなくなり、身体に限界が来たのだ。

 意識が遠退き始めた青年は目を閉じ、娘の姿を思い浮かべながら、もう一目だけでも会いたいと願った。
その時、そよぐ風に乗って小さく聞いた事の無い音楽が青年の耳に届いた。

 どこか暖かく、心地の良い音楽に青年の身体は少しだけ癒された。

 しばらくの間、その音楽に聞き入っていた青年はうっすらと目を開けると、その音楽が聞こえて来る方へと這って近付いていった。

 音が大きくなるにつれて青年の身体は元気を取り戻していき、しまいには走り出せる程にまでなっった。

 ようやく音の近くまで来た青年の目に映ったのは、森に住む大小の動物達がその音楽に引き寄せられるかの様に、皆同じ方向へと向かって歩いている姿で、動物達にならい青年も同じ方向へと歩いて行く。
辿り着いた先はあの湖で、音楽は湖自体から流れてきていた。

 そして、その湖の中央には青年が探し続けた娘が静かに佇んでいて、はっとした青年は、湖の周りに集まっている動物達を掻き分けてふらふらと湖へと近付いていった。

 青年が湖の淵に辿り着いた瞬間、それまで流れていた音楽はぴたりと止み、青年も驚いて足を止める。
不思議に思いながらも娘から目を離さずにいると、再び音楽が流れ始め、同時に娘も音楽に合わせて踊り始めたのだ。

 娘の踊りは今まで幾度と無く見て来たもので、嬉しさと懐かしさで胸に込み上げて来るものを感じた青年は、ゆっくりと湖へ足を踏み入れた。

 湖は青年の足を沈める事は無く、一歩また一歩と娘へ近付いていく。
その姿に気付いてはいた娘だったが踊る事は止めず、それでも青年から目を逸らす事は無かった。

 手を伸ばせば届く位置までやって来た青年は一瞬戸惑ったものの、娘と目が合い、身体は無意識に動いていた。

 娘の手を取ると、自らの方へと引き寄せて強く抱き締めた青年。

「やっと、会えた…」

「………あなたは、何故ココに?」

「君を、探していたんだ…」

「私を探していた?」

「ああ…」

「そう…。ねえ、あなたは私と一緒に踊れる?」

「え…」

 にこっと笑って青年の手を握り返した娘は、一度止められてしまったステップを踏み、青年の手を引いて再び踊り始めた。

 踊りの流れをずっと見てきた事や娘のリードがあり、すぐに青年も音楽に合わせてステップを踏み始めた。

 森の動物達に見つめられながら、心地の良い音楽にのり、ずっと探し続けた愛しい娘と手を繋いで湖の上で踊る。
あまりの心地良さに、何だか夢の中にいる様な感覚に陥った。

 けれど、繋いだ手から伝わる娘の温もりに、これが夢では無いのだと実感出来た。

 じっと娘を見つめていると、見つめられている事に気付いたのか、娘は顔を上げ青年を見つめて微笑んだ。

「…君は一体、何者だい?」

「…私は踊り子」

「名前は?」

「無いわ」

「どこに住んでるの?」

「ココよ。この森に住んでるの」

「え…」

「…今日は、この森の10年に一度のお祭りなの。私は、何十年も前からお祭りの時にこの湖で踊るのが役目の踊り子よ」

「………君は、人間じゃないの?」

「ええ…。あなたは人間よね?私は人間に見つかったの初めてよ」

 苦笑しながら話す娘に、青年は驚いて言葉を返せずにいた。

 自分を見つめて黙り込んだ青年に娘が俯くと、音楽も静かに終わった。
そっと手を離した娘は、くるりと回転すると青年の目の前に膝まずき、すっと顔を上げて青年を見つめ口を開いた。

「今更とは思いますが、もし宜しければ一緒に踊って下さいませんか?」

「…え?」

「私は、このお祭りに人間が参加した場合、その人間が同性ならばその方にお仕えせねばならず、異性ならばその方と結婚せねばならないのです」

「け、結婚!?」

「それが昔からの決まり事なのです」

「………」

「踊り子である私の手を取り、一緒に踊って下さるという事は一生を添い遂げるという事になるのです」

「一生を…添い遂げる…」

 娘の言葉に青年は胸が高鳴った。
驚きはしたものの、娘との結婚は嫌では無かったからだ。

 しかし、娘はそれで良いのかと考えると言葉を返せず、そんな青年に娘はまた俯いてしまった。

 そして、寂しそうに口を開いた。

「…本当はいけないのですけど、お嫌でしたら、今すぐこの場からお逃げ下さっても構いません」

「逃げ、る…?」

「ええ…。一緒に踊ってみて分かりました。あなたはとても優しい方、私はそんなあなたに無理強いしたくありません。ですから、私が見ていない内に…え?」

スッ

「嫌な訳無い。むしろ、ずっと君が好きだった…」

「ずっと…?」

「ああ」

 優しく肩を掴まれ、思わず顔を上げた娘は青年の真剣な表情と言葉に頬を染めた。
膝を折った青年は顔の位置を娘に合わせると、娘の疑問にしっかりと目を合わせながら答える。

「僕は前からずっと、君の踊りを見て来た。暑い日でも寒い日でも、晴れの日でも雨の日でも、君はとても伸びやかに、そしてとても楽しそうに踊っていた。僕はそんな君を、好きになったんだ…」

「………」

「だから、君との結婚を嫌だとは思わない。むしろ…、こちらからお願いしたいくらいだ」

「…ありがとう、ございます…」
 少し照れた様に愛を告げる青年に娘は涙を流し、小さく微笑んだのだった。


――その後、青年と娘は青年の家で仲良く暮らし、青年は一人では無くなった。

「そう言えばあの時、どうして君は逃げたんだ?」

「あの時?」

「お祭りの数日前に、僕が声を掛けた時」

「あの時は本当に驚いたんです…。それに…」

「それに?」

「練習中だったので、完璧でないものを見られた事が恥ずかしくって…。でも、ずっと見ていてくれたんですね」

「…ずっと目が離せなかったんだよ、君から」





終わり
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