ありふれた英雄譚

暇神

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分かり易いトラウマ

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 あの後、僕らは医務室に運ばれた。大した怪我も無かったが、それでも「アステリア様の命令だ」と言っていた。どうやら最初も彼女は、勝っても負けても、僕らを生かしておくつもりだったらしい。
 僕の右腕は、どんな高度な魔術でも修復できないとの事だった。千切られた物は生えて来ないし、投げ捨てられた腕も、骨は粉々で肉は所々抉れていたらしい。くっつけられないとの事だ。アステリアさんの魔法に因る治癒も、アステリアさん自身にしか効果が無いらしい。
 つまり僕は、利き手であった右腕を失った。義手でも買おうかな。魔道具なら、色々と便利な事ができそうだ。
 僕らは経過観察との事で、闘技場の近くの宿に泊まる事になった。柔らかいベッドで寝られる事は、素直に嬉しかった。
 しかしその晩、僕は床に正座していた。皆は僕を、ベッドの上から見下ろしている。
「で、話してくれるのよね?」
 僕は「うん」と言って頷いた。
 あんな、予期せぬ形で明らかになったのは、僕の過去の一部、それも全てと言える一部だ。
「『人殺し』……アイツが言っていた事を鵜呑みにはしねえ。けどよ。お前には俺らに説明する必要があるんじゃねえか?」
「私もそう思う。隠し事は誰にでもある。けど、聞いておきたい。都合の良い事ばかり言うけど、仲間だもん」
 その言葉を受けた僕は一度立ち上がって、向かいのベッドに座って、話し始めた。
「これは……皆と出会う前の話なんだ……」

 小学校二年の夏。僕は人の残酷さを、身を以て知る事ができた。
 僕はいじめられっ子だった。からかわれて、笑われて、遊ばれた。前からある玩具に飽きた子供は、新しい玩具を欲しがる。その『新しい玩具』が、偶々僕だっただけの話だった。
「あ、そういちが来たぞ!」
「そういち菌が感染すうつるぞ!逃げろ!」
「やめなよ~あははは」
 いじめられっ子と言っても、何もクラス全員からいじめられたとは思ってない。ていうか、『いじめ』を受けたとも思ってない。嫌がらせとしか捉えていなかった。
 靴に虫を入れられたり、教科書、ノートを破かれたり、持ち物を隠されたり。そんな事が毎日続いた。子供が一瞬で考え付くような、幼稚な嫌がらせ。それでも、当時はまだ子供で、泣き虫だった僕には十分で、僕はその度に泣いては、いじめっ子を喜ばせた。
 傍観者は大勢居た。というか、その場に居た人は大勢居た。誰も関わろうとしなかっただけだ。他人を助けて自分は損しようだなんて、頭がおかしい奴しかやりたがらない。皆正常だっただけの話。
 『何も反応しなければ良い』なんて事ができる程器用でも、『不登校になる』なんて勇気も無かった僕は、毎日学校に行っては、目を腫らして帰った。両親から与えられる無償の愛は、温かくて、痛かった。
 嫌がらせは段々エスカレートしていく。結果として、最終的には学校の外でまで、嫌がらせをされるようになった。
 学年も上がる頃には、やる事も段々と凝って来た。頭から水を掛けられたり、後ろから階段の方へ思い切りどつかれたり。大きな怪我が無かったのは、運が良かったとも悪かったとも言えるだろう。
「次はどうする?」
「こんなのどう?」
「止めときなって~」
 そんな会話を聞く度、「生まれて来たくなかった」と思うようになった。悲しいとかじゃなくて、ただ辛かった。
 ある日、また階段から突き落とされた僕は、反射的に何かを掴んだ。それが何かを理解するのは、知らない病室で目が覚めた時だった。

「聡一と一緒に居た子、死んじゃったんだって」

 神妙な面持ちで僕に話す母の顔は、とても疲れて見えた。父も、同じ顔をしていた。
 あの後、近所の人間が通報したらしい。僕が掴んだのは、いじめっ子の内の一人の腕だったのだ。僕とその子は一緒に階段から落ちて、その子は打ち所も悪く、病院で治療を受けた後に、死んでしまったらしい。僕も相当な怪我を負っていたが、手術の結果、一命を取り留めたらしい。
 その一件は、『子供だけで遊んでいた末に事故』として済まされた。いじめっ子らが、本当の事を言おうとはしなかったのだろう。
 僕はその話を聞いている間は、何が何だか分からなかった。ただずっと、自分が生きている事を実感するだけだった。
 話も終わった後、僕は少しずつ、あの時の状況と、今までの事を話した。嫌がらせを受けていた事、階段から落とされて、咄嗟にその子の腕を掴んで、一緒に落ちた事。それを聞いた両親は、目からボロボロと涙を流した。そして、僕にこう言った。
「聡一は悪くない」
 その言葉を聞いた途端、僕は胸に、激しい痛みを覚えた。傷がどうとか、ぶつけたとかでもない。ただ、辛かった。『自分が悪かった』と言える程傲慢じゃなかった僕は、その痛みを押し殺して、その日は両親と医者に促されるまま、静かに眠った。

 翌日。ようやく整理がついた僕は、自分がやった事の重さに気が付いた。
 人を殺した。人を殺すのはいけない事と習い続けた僕は、これからどうなってしまうのかと考えた。子供は想像力が豊かな癖に、知っている事が中途半端で大袈裟だ。この時の僕は、「もしかしたら死刑かも」なんて所まで考えて、自分で怖くなっていた。
 次第に幻聴が聞こえて来た。「お前が殺した」とか、「お前のせいだ」とか、そんな事が、ずっと頭の中で繰り返されていた。頭がおかしくなりそうだった。聞いた事も無い、言われる確証も無い事なのに、僕はそんな声を聴いていた。
 退院しても、それは続いた。幸いだった事は、周囲が勝手に僕を気遣って、僕に『学校に行かなくても良い』と言った事位だった。僕はずっと幻聴を聞きながら、頭を抱えていた。
 これが一か月は続いた辺りで、父が「話がある」と言って、僕と扉越しに話しをした。
「聡一。おばあちゃんの家で暮らさないか?」
 詳しい内容は、もう覚えていない。確か、『ここに居ても辛いだけだろう』とか、『向こうも母さんも了承している』とかみたいな事を言っていた。自分で決断しようとも思えなかった僕は、父の言う通りに、祖母の家で暮らす事にした。
 手続きどうこうは親がやってくれたらしく、僕はいくつかの荷物を纏めて、祖母の家に行くだけだった。そこそこな田舎にある祖母の家は、昔ながらな木造建築だ。
 誰も自分の事をよく知っている人が居ない環境というのは、とても気が楽だった。僕は多少落ち着いて、学校に行く気にもなれた。

 そこで僕は、その後十年以上続く、三人の友人と出会う。

「……ってのが、僕の昔話。今まで一つも話さなくて、ゴメン」
 そう言って僕は、頭を深く下げた。こんな事をずっと黙ってて、ずっと皆を騙してて、許されるだなんて思ってはいない。ただ、謝ろうと、謝らないといけないと思った。
 僕の話を聞き終わった三人は、真剣な表情で、僕の方を向いた。
「なんで……話してくれなかったんだ?」
「この友人関係が壊れるのが恐ろしかったから」
 臆病な僕は、今度こそ耐えられない。『上手くやろう』という考えが、秘密を十年守らせた。
 僕の答えを聞いた大聖は「そうか」とだけ言って、僕の隣に胡坐をかいて座った。
「隠し事は誰にでもある。私も、聡一程じゃないけど、隠し事はある。だから、乗り越えるまで、一緒に居るよ」
 そう言った忍さんは、大聖とは逆側に、僕の隣に座った。
 諒子は僕の体に抱きつき、僕が一番欲しかった言葉を与える。

「親友でしょ。死んでも一緒に居るわよ」

 僕は皆の言葉で、泣き出した。嗚咽にも似た泣き声が、部屋に響いていた。

 大聖と忍さんは、自分達の部屋に戻って行った。部屋には僕と諒子だけが取り残された。
 諒子は僕の右腕があった場所をなぞるように、僕の右肩に触れた。
「右腕……無くなっちゃったのね……」
「アステリアさんには、義手の一つでも作ってもらうよ。ああでも、諒子を両腕を使って抱き締められなくなったのは、凄い残念だよ」
 魔術ですっかり元通りになった僕の体に、右腕だけが無い。諒子は僕の右半身を抱き締め、僕の体を、しっかりと確認する。
「聡一が無理なら、私が聡一の分まで抱き締めるわ。だから、安心して?」
「ありがとう。少し面倒掛けるけど、よろしくね」
 僕らは同じベッドに仰向けになっている。亜人の国の首都と言うだけあって、ベッドはとても柔らかい。人間の国の城にあったベッドよりも柔らかい。素材が良いんだろうか。
 右半身が温かい。諒子の体温が、僕の体に伝わって来る。柔らかい感触が、僕の右半身に感じられる。
「体付きもすっかり変わったね。毎日学校に行ってた頃とは、まるで別人みたい」
「だけど、変わってない。僕らは親友だ。そこは変わらない」
 諒子は「そうね」と言うと、僕の体に跨るような形で、僕の上に座った。
「こういう時にやる事も……ね」
「そうだね。一応、お手柔らかにね?」
 僕らは身を寄せ合い、互いの体温を、しっかりと感じ取ろうとする。温かくて、柔らかい。僕は諒子の体を、左腕だけで抱き締める。諒子は僕の体を、全身を使って抱き締める。
「ふふふ。こういうのも良いわね」
「はは。ありがとう」
 僕らは少し笑い合って、また少し、体を動かした。

 蝋燭で照らされているだけの、薄暗い部屋に、僕らの陰が、うっすらと動いている。僕は諒子の体が放つ、甘ったるい匂いに、体を沈ませて行った。
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