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029 破壊の焔

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 戦場に出現した異形は同型が三体。
 かつてわたしは人禍獣にされた海の民ダゴンの人たちを救ったことがある。
 だから今回もと勇んだのだけれども……。

「チヨコ母さま、残念ながらアレはもう手遅れですわ」
「……肉体の変異が完全に定着してしまっている」
「魂までもが歪められている。なんとムゴイことを」

 帯革内にいるミヤビ、アン、ツツミらが沈痛そうにつぶやいた。
 ムギとベニオは無言ながらも、彼女たちも心底怒っているのがひしひしと伝わってくる。
 投薬されてから時間が経ちすぎているのだ。気配が完全にヒトのそれとはちがう別のモノに変質してしまっており、もはや治すことはかなわない。

「そんな、そんなのって……」

 あんまりなことにわたしは絶句。
 かえようのない残酷な現実があることは知っている。それでもこれまではなんとかなってきた。だからあきらめ切れないわたしは「ダメもとでやるだけやってみようよ」と天剣たちをうながす。
 するとその流れを止めるように、わたしの肩にそっと手をのせたのはラクシュ殿下。

「すまない。チヨコの気持ちはありがたいが、それは許可できない」
「どうして! 助けられるかもしれないんだよ!」

 喰ってかかるわたしを諭すようにラクシュ殿下が言った。

「どうしてなのか、それはここが戦場だからだ。そして私は軍を率いる将である。『かもしれない』などという不確かなことのために大切な味方を、旗下の者たちを危険にさらすことは到底認められない」

 毅然として、それでいて一切の迷いのない物言い。
 相対するわたしは「あっ」と小さくつぶやき、たちまち顔が真っ赤になった。
 これまでに天剣のチカラと自分に宿った水と土の才芽が幾度も奇跡を起こしてきた。だからこそわたしはいつのまにか、かんちがいをしていた。自分が動けばきっとどうにかなるだなんて、そんなのは思い上がりもはなはだしいというのに。
 ずっとそうならないよう、自分は辺境の小娘にすぎないと律しているつもりだった。
 なのにいつの頃からこうなった?
 戦争を止めたときだろうか、あるいは異界にて封魔の短剣を託されたときか、もしくは商公女なんぞと持ち上げられたときか……。
 ちんまい小娘風情が何を驕っている?
 わたしは無性に恥ずかしくなった。あまりの恥ずかしさと情けなさに、泣き出しそうである。
 するとラクシュ殿下がつねにまとっている凛とした空気がやわらかくなり、わたしの頭をそっと撫でた。

「そんな辛そうな顔をしないでくれ、チヨコ。キミは何もまちがってはいない。誰かを救いたい、助けられるものならば助けたい。そう考え行動することは人として素晴らしいこと、誇るべきことなのだから。
 もっともらしい理屈を振りかざしては、大勢の人間を殺めている私こそが、我々こそがおかしいのだ。
 だからどうかチヨコはずっとそのままのキミでいてくれ。
 それに……」

 わたしの頭をやさしく撫でながら、もう一方の手をゆっくりと挙げたラクシュ殿下。
 それを合図としてズラリと配置されたのは移動用の車輪がついた砲台。
 狙うは暴れている三体の異形たち。
 ラクシュ殿下の手が振り下ろされたのと同時に一斉に砲口が火を噴き、怒涛の集中砲火が始まる。
 凄まじい攻撃に見舞われた人禍獣たちの姿はたちまち爆炎に呑まれてしまう。

「それにあれは、あの業だけは私が残らず刈りとらねばならぬ。母上や姉たちの無念を晴らすためにも」

 延々と終わらない砲撃。
 執拗に重ねられる爆炎と轟音と破壊。
 ラクシュ殿下が停止を命じるまで攻撃は終わらない。
 彼方を見つめる金色の双眸には怒りがあった。
 あの破壊の焔はラクシュ殿下の内にある怒りの強さ、大きさを具現化したもの。
 想像を絶する憎悪が彼女の中には渦を巻いている。
 この時、彼女が人禍獣を業と呼び、無念と語った言葉の意味をわたしが知るのはもう少しあとになってからのこと……。

  ◇

 圧倒的火力による蹂躙。
 砲撃が終わったとき。
 三体の人禍獣たちは跡形もなく消し飛んでいた。
 それと平行して城塞の方からの抵抗もすっかり止んでいた。
 さすがにこれはもう勝負あったな。
 戦の先が見えて、わたしがすっかり終わったつもりになったところで、ふいに足下がぐらり。かすかな地響きが続く。
「すわ地震か!」と焦る。でもちがった。
 ユミルヌアダ城塞の姿が小刻みにブレている。丘には大小無数の亀裂。
 揺れているのは地面じゃなくって城塞自身?
 なにやら挙動がおかしい。訝しんだラクシュ殿下がすぐさま前線にいる者たちに後退を命じてからほどなくして、丘および周辺がついに崩れてしまう。
 地中よりのそりと這い出してくるのは巨大な岩の塊。

 ユミルヌアダ城塞、浮上せり!


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