1 / 154
その一 討伐戦
しおりを挟む雷鳴のごとき咆哮に大気が震える。
深緑が折り重なる山の奥深く、雲海の底より靄をかきわけあらわれた異形。
これまでの戦いによりすでに数えきれないほどの傷を負い、毛が朱に染まっているというのにもかかわらず、なおも健在ぶりを誇示し周囲を威嚇。
太い首を振り、小山ほどもある巨躯が暴れるたびに、木々を薙ぎ倒すたびに、岩を蹴飛ばすたびに、大地が鳴動し山々が慄く。
かの存在を人はヤマナギと呼ぶ。
五年ほど前に降誕し、紀伊国領内を荒らしまわっていた禍躬(かみ)。
斜面を転がりすべてを薙ぎ払う姿が山津波のようにて、いつの頃からかそう呼ばれるようになっていた。
傍若無人の振る舞いにより被害甚大。国土は疲弊、里がいくつも壊滅した。民に多数の死傷者がでるにおよび、ついに那岐王は討伐を決意する。
招聘に応じた禍躬狩りたちや、自国の勇猛な軍勢を率いて出陣した那岐王。
ヤマナギの居所を突き止め討伐戦を始めること、すでに三日目。
戦いはいよいよ佳境を迎えようとしていた。
◇
ヤマナギをとり囲み追いたてるようにして走り回っていたのは、山狗(やまいぬ)たち。
禍躬狩りの相棒にて、ときに獲物を追跡し、ときに獲物を追いつめ、ときに獲物の喉笛に牙を突き立てる、勇猛果敢な四つ足の獣。
山狗たちが吠えたてヤマナギの注意を引く。
その隙に放たれたのは禍躬狩りのひとりが構える火筒。長筒の突端が火を噴き、射出されるのは鉄の玉。
側面より右目を狙った一発。
眼球を捉え貫通すれば、固い頭蓋骨内で玉が跳びはね、いかに強靭を誇る禍躬の身とて致命傷となる攻撃。
しかしいち早く危険を察知したヤマナギ、とっさに首をひねった。これにより弾丸は口元より生えた大きな牙に当たってはじかれてしまう。
けれどもそれた弾丸は瞼の上をかすめ、傷口よりドロリと血が垂れた。
右の視界をつぶされ、巨体がぐらりと傾ぐ。
これで戦いをより優位に運べる。
禍躬狩りたちが安堵したのもつかのまのこと。
突如として軍勢の一部が進軍を開始。敵が弱ったとみて、部隊を率いていた者が功を焦ったのだ。
だがそれは早計であり、愚挙としか言いようのない行動であった。
武官たちは人間同士の戦には慣れているが、自然の中での対禍躬戦にはあまり詳しくない。
わざと弱ったふりをして、相手を誘い出すためのヤマナギの演技。
人が考えているよりも野生は賢く狡猾なのだ。
まんまと誘い出された者たち。困ったことにそれに引きずられる形で我先にとあとを追う者数多。そのせいでせっかくの包囲網が崩れてしまう。
陣頭指揮をとっていた那岐王は「いかん! みな、勝手に持ち場を離れるな。自制せよっ」と懸命に声をからすも、興奮のせいで命令がなかなか遵守されず。事態は混迷の一途をたどる。
◇
手柄欲しさにヤマナギへと殺到した者たちのせいで、現場はたちまち混戦となった。
これでは同士討ちになる。飛び道具は使えない。
やむをえず禍躬狩りたちは指笛を鳴らす。上空を旋回している黒翼がこれに呼応して「ピュロロロ」と鳴いた。
禍躬狩りたちにとって地を駆ける相棒が山狗ならば、黒翼は天を駆ける相棒。空の上から獲物の動向を監視し、ときに伝令役をも果たす。
合図を受けた山狗たち、すぐさま後退を開始する。
主人からの指示に従っていったん下がり、敵影から距離を置き態勢を整えようとするも、その時のことであった。
まとわりつく有象無象を片っ端から蹴散らしていたヤマナギ、口元から生えた二本の牙にて地面を深々と突き刺すなり、これを力まかせに抉った。
大地が割れる。
そういいあらわすしかない現象が起こり、多くの武官や兵士たちが隆起した土や岩の塊に押しつぶされ、あるいは亀裂に呑まれて地の底へと引きずり込まれた。
舞いあがった粉塵により視界が著しく悪化する。
何も見えない。土煙の彼方から聞こえてくるのは阿鼻叫喚ばかり。
ほんの一瞬にて、うず高く積みあげられた死。
三日かけてどうにか優勢へと傾きかけていた戦局が、いっきにひっくり返された。
悪夢のような光景。あまりのことに現場の空気が凍りつく。
さなかに地響き、猛然と動き出したのはヤマナギ。
真っ直ぐに駆け、向かう先には那岐王のいる本陣がある。
ヤマナギは暴れながらも己をとり巻く敵意の中心地をずっと探っていたのである。
群れを率いる長を倒す。
それもまた野生の思考にして、くしくも戦の真理でもあった。
目標を定めたヤマナギはわき目もふらずに猛進する。
「いかん者ども、王を、那岐王を守れっ!」
ヤマナギの意図に気がつき、すぐさま進路上に立ちふさがったのは、那岐王の信頼厚き老将軍。
彼はここを死にどころとさだめ、矛を手に愛馬へとまたがり単騎駆け。
これにわずかに遅れて旗下の者どもも続く。その数、百の勇士たち。
猛将率いる集団、一丸となりてヤマナギを食い止めんとする。
しかし禍躬はあまりにも強大無比であった。
健闘虚しく忠臣たちが蹴散らされ、命が無惨に散ってゆく。
だというのに対価として得られたのは、ヤマナギの歩みを遅らせ、ほんのわずかばかり刻を稼げたのみ。
那岐王が避難するのにはいささか足りず。
◇
己が流した血と倒した相手の返り血が混ざりあう。ぬめりを帯びた混沌の朱色。
ヤマナギがぶるると身をふるわせたひょうしに、盛大に血飛沫が散った。
舌をベロリとするヤマナギ。口の周りについた血を舐め、ふたたび進撃を開始する。
老将軍と勇士たちが踏みにじられる姿を目の当たりにし、兵士たちは恐慌状態へと陥った。心が折られ戦意喪失。軍は瓦解する。
ことここに至り那岐王は天を仰ぎ覚悟を決めた。
「無念だが、もはやこれまで。なればせめて潔く自刃して果てるのみ」
みずからの剣にて己の首をかき切ろうとする。
だが飛んできた礫が手の甲を打ち、痛みにより那岐王は剣をとり落とす。
那岐王の自害を止めたのは、ひとりの禍躬狩り。
浅黒く焼けた肌。頭髪には白いものが混じり、眉間には深いシワが刻まれている。そろそろ老境に差しかかろうという年齢ながらも、肉体は壮年のそれであり、まとう覇気が尋常ではない。眼光が鋭い。双眸には命の輝きが充ちている。
「おいこら、若造。なぁにが『潔く』だ。かっこつけてんじゃねえぞ。はなからてめえには、そんな権利なんざねえんだよ。あるのはたとえ目を背けたくなるような負け戦であろうとも、すべての生きざま、死にざまを見届ける責任だけだ」
那岐王を若造呼ばわりした男の名を忠吾という。
生涯に渡り五体倒せれば名人達人と呼ばれる世界にあって、すでに十一もの数を倒した実績を持つ伝説の禍躬狩り。
老将軍や旗下の者どもはけっして無駄死になどではなかった。
彼らの献身があったればこそ、忠吾はこの場に間に合ったのだから。
呆気にとられている那岐王や周囲をよそに、ヤマナギへと向けてゆるりと歩き出した忠吾。そのかたわらには二頭の山狗の姿あった。
10
あなたにおすすめの小説
14歳で定年ってマジ!? 世界を変えた少年漫画家、再起のノート
谷川 雅
児童書・童話
この世界、子どもがエリート。
“スーパーチャイルド制度”によって、能力のピークは12歳。
そして14歳で、まさかの《定年》。
6歳の星野幸弘は、将来の夢「世界を笑顔にする漫画家」を目指して全力疾走する。
だけど、定年まで残された時間はわずか8年……!
――そして14歳。夢は叶わぬまま、制度に押し流されるように“退場”を迎える。
だが、そんな幸弘の前に現れたのは、
「まちがえた人間」のノートが集まる、不思議な図書室だった。
これは、間違えたままじゃ終われなかった少年たちの“再スタート”の物語。
描けなかった物語の“つづき”は、きっと君の手の中にある。
星降る夜に落ちた子
千東風子
児童書・童話
あたしは、いらなかった?
ねえ、お父さん、お母さん。
ずっと心で泣いている女の子がいました。
名前は世羅。
いつもいつも弟ばかり。
何か買うのも出かけるのも、弟の言うことを聞いて。
ハイキングなんて、来たくなかった!
世羅が怒りながら歩いていると、急に体が浮きました。足を滑らせたのです。その先は、とても急な坂。
世羅は滑るように落ち、気を失いました。
そして、目が覚めたらそこは。
住んでいた所とはまるで違う、見知らぬ世界だったのです。
気が強いけれど寂しがり屋の女の子と、ワケ有りでいつも諦めることに慣れてしまった綺麗な男の子。
二人がお互いの心に寄り添い、成長するお話です。
全年齢ですが、けがをしたり、命を狙われたりする描写と「死」の表現があります。
苦手な方は回れ右をお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
私が子どもの頃から温めてきたお話のひとつで、小説家になろうの冬の童話際2022に参加した作品です。
石河 翠さまが開催されている個人アワード『石河翠プレゼンツ勝手に冬童話大賞2022』で大賞をいただきまして、イラストはその副賞に相内 充希さまよりいただいたファンアートです。ありがとうございます(^-^)!
こちらは他サイトにも掲載しています。
生贄姫の末路 【完結】
松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。
それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。
水の豊かな国には双子のお姫様がいます。
ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。
もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。
王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。
お姫様の願い事
月詠世理
児童書・童話
赤子が生まれた時に母親は亡くなってしまった。赤子は実の父親から嫌われてしまう。そのため、赤子は血の繋がらない女に育てられた。 決められた期限は十年。十歳になった女の子は母親代わりに連れられて城に行くことになった。女の子の実の父親のもとへ——。女の子はさいごに何を願うのだろうか。
極甘独占欲持ち王子様は、優しくて甘すぎて。
猫菜こん
児童書・童話
私は人より目立たずに、ひっそりと生きていたい。
だから大きな伊達眼鏡で、毎日を静かに過ごしていたのに――……。
「それじゃあこの子は、俺がもらうよ。」
優しく引き寄せられ、“王子様”の腕の中に閉じ込められ。
……これは一体どういう状況なんですか!?
静かな場所が好きで大人しめな地味子ちゃん
できるだけ目立たないように過ごしたい
湖宮結衣(こみやゆい)
×
文武両道な学園の王子様
実は、好きな子を誰よりも独り占めしたがり……?
氷堂秦斗(ひょうどうかなと)
最初は【仮】のはずだった。
「結衣さん……って呼んでもいい?
だから、俺のことも名前で呼んでほしいな。」
「さっきので嫉妬したから、ちょっとだけ抱きしめられてて。」
「俺は前から結衣さんのことが好きだったし、
今もどうしようもないくらい好きなんだ。」
……でもいつの間にか、どうしようもないくらい溺れていた。
【完結】またたく星空の下
mazecco
児童書・童話
【第15回絵本・児童書大賞 君とのきずな児童書賞 受賞作】
※こちらはweb版(改稿前)です※
※書籍版は『初恋×星空シンバル』と改題し、web版を大幅に改稿したものです※
◇◇◇冴えない中学一年生の女の子の、部活×恋愛の青春物語◇◇◇
主人公、海茅は、フルート志望で吹奏楽部に入部したのに、オーディションに落ちてパーカッションになってしまった。しかもコンクールでは地味なシンバルを担当することに。
クラスには馴染めないし、中学生活が全然楽しくない。
そんな中、海茅は一人の女性と一人の男の子と出会う。
シンバルと、絵が好きな男の子に恋に落ちる、小さなキュンとキュッが詰まった物語。
ノースキャンプの見張り台
こいちろう
児童書・童話
時代劇で見かけるような、古めかしい木づくりの橋。それを渡ると、向こう岸にノースキャンプがある。アーミーグリーンの北門と、その傍の監視塔。まるで映画村のセットだ。
進駐軍のキャンプ跡。周りを鉄さびた有刺鉄線に囲まれた、まるで要塞みたいな町だった。進駐軍が去ってからは住宅地になって、たくさんの子どもが暮らしていた。
赤茶色にさび付いた監視塔。その下に広がる広っぱは、子どもたちの最高の遊び場だ。見張っているのか、見守っているのか、鉄塔の、あのてっぺんから、いつも誰かに見られているんじゃないか?ユーイチはいつもそんな風に感じていた。
四尾がつむぐえにし、そこかしこ
月芝
児童書・童話
その日、小学校に激震が走った。
憧れのキラキラ王子さまが転校する。
女子たちの嘆きはひとしお。
彼に淡い想いを抱いていたユイもまた動揺を隠せない。
だからとてどうこうする勇気もない。
うつむき複雑な気持ちを抱えたままの帰り道。
家の近所に見覚えのない小路を見つけたユイは、少し寄り道してみることにする。
まさかそんな小さな冒険が、あんなに大ごとになるなんて……。
ひょんなことから石の祠に祀られた三尾の稲荷にコンコン見込まれて、
三つのお仕事を手伝うことになったユイ。
達成すれば、なんと一つだけ何でも願い事を叶えてくれるという。
もしかしたら、もしかしちゃうかも?
そこかしこにて泡沫のごとくあらわれては消えてゆく、えにしたち。
結んで、切って、ほどいて、繋いで、笑って、泣いて。
いろんな不思議を知り、数多のえにしを目にし、触れた先にて、
はたしてユイは何を求め願うのか。
少女のちょっと不思議な冒険譚。
ここに開幕。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる