山狗の血 堕ちた神と地を駆けし獣

月芝

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その一 討伐戦

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 雷鳴のごとき咆哮に大気が震える。
 深緑が折り重なる山の奥深く、雲海の底より靄をかきわけあらわれた異形。
 これまでの戦いによりすでに数えきれないほどの傷を負い、毛が朱に染まっているというのにもかかわらず、なおも健在ぶりを誇示し周囲を威嚇。
 太い首を振り、小山ほどもある巨躯が暴れるたびに、木々を薙ぎ倒すたびに、岩を蹴飛ばすたびに、大地が鳴動し山々が慄く。

 かの存在を人はヤマナギと呼ぶ。
 五年ほど前に降誕し、紀伊国領内を荒らしまわっていた禍躬(かみ)。
 斜面を転がりすべてを薙ぎ払う姿が山津波のようにて、いつの頃からかそう呼ばれるようになっていた。
 傍若無人の振る舞いにより被害甚大。国土は疲弊、里がいくつも壊滅した。民に多数の死傷者がでるにおよび、ついに那岐王は討伐を決意する。
 招聘に応じた禍躬狩りたちや、自国の勇猛な軍勢を率いて出陣した那岐王。
 ヤマナギの居所を突き止め討伐戦を始めること、すでに三日目。
 戦いはいよいよ佳境を迎えようとしていた。

  ◇

 ヤマナギをとり囲み追いたてるようにして走り回っていたのは、山狗(やまいぬ)たち。
 禍躬狩りの相棒にて、ときに獲物を追跡し、ときに獲物を追いつめ、ときに獲物の喉笛に牙を突き立てる、勇猛果敢な四つ足の獣。
 山狗たちが吠えたてヤマナギの注意を引く。
 その隙に放たれたのは禍躬狩りのひとりが構える火筒。長筒の突端が火を噴き、射出されるのは鉄の玉。
 側面より右目を狙った一発。
 眼球を捉え貫通すれば、固い頭蓋骨内で玉が跳びはね、いかに強靭を誇る禍躬の身とて致命傷となる攻撃。
 しかしいち早く危険を察知したヤマナギ、とっさに首をひねった。これにより弾丸は口元より生えた大きな牙に当たってはじかれてしまう。
 けれどもそれた弾丸は瞼の上をかすめ、傷口よりドロリと血が垂れた。
 右の視界をつぶされ、巨体がぐらりと傾ぐ。

 これで戦いをより優位に運べる。
 禍躬狩りたちが安堵したのもつかのまのこと。
 突如として軍勢の一部が進軍を開始。敵が弱ったとみて、部隊を率いていた者が功を焦ったのだ。
 だがそれは早計であり、愚挙としか言いようのない行動であった。
 武官たちは人間同士の戦には慣れているが、自然の中での対禍躬戦にはあまり詳しくない。
 わざと弱ったふりをして、相手を誘い出すためのヤマナギの演技。
 人が考えているよりも野生は賢く狡猾なのだ。

 まんまと誘い出された者たち。困ったことにそれに引きずられる形で我先にとあとを追う者数多。そのせいでせっかくの包囲網が崩れてしまう。
 陣頭指揮をとっていた那岐王は「いかん! みな、勝手に持ち場を離れるな。自制せよっ」と懸命に声をからすも、興奮のせいで命令がなかなか遵守されず。事態は混迷の一途をたどる。

  ◇

 手柄欲しさにヤマナギへと殺到した者たちのせいで、現場はたちまち混戦となった。
 これでは同士討ちになる。飛び道具は使えない。
 やむをえず禍躬狩りたちは指笛を鳴らす。上空を旋回している黒翼がこれに呼応して「ピュロロロ」と鳴いた。
 禍躬狩りたちにとって地を駆ける相棒が山狗ならば、黒翼は天を駆ける相棒。空の上から獲物の動向を監視し、ときに伝令役をも果たす。

 合図を受けた山狗たち、すぐさま後退を開始する。
 主人からの指示に従っていったん下がり、敵影から距離を置き態勢を整えようとするも、その時のことであった。
 まとわりつく有象無象を片っ端から蹴散らしていたヤマナギ、口元から生えた二本の牙にて地面を深々と突き刺すなり、これを力まかせに抉った。

 大地が割れる。

 そういいあらわすしかない現象が起こり、多くの武官や兵士たちが隆起した土や岩の塊に押しつぶされ、あるいは亀裂に呑まれて地の底へと引きずり込まれた。
 舞いあがった粉塵により視界が著しく悪化する。
 何も見えない。土煙の彼方から聞こえてくるのは阿鼻叫喚ばかり。
 ほんの一瞬にて、うず高く積みあげられた死。

 三日かけてどうにか優勢へと傾きかけていた戦局が、いっきにひっくり返された。
 悪夢のような光景。あまりのことに現場の空気が凍りつく。
 さなかに地響き、猛然と動き出したのはヤマナギ。
 真っ直ぐに駆け、向かう先には那岐王のいる本陣がある。
 ヤマナギは暴れながらも己をとり巻く敵意の中心地をずっと探っていたのである。
 群れを率いる長を倒す。
 それもまた野生の思考にして、くしくも戦の真理でもあった。
 目標を定めたヤマナギはわき目もふらずに猛進する。

「いかん者ども、王を、那岐王を守れっ!」

 ヤマナギの意図に気がつき、すぐさま進路上に立ちふさがったのは、那岐王の信頼厚き老将軍。
 彼はここを死にどころとさだめ、矛を手に愛馬へとまたがり単騎駆け。
 これにわずかに遅れて旗下の者どもも続く。その数、百の勇士たち。
 猛将率いる集団、一丸となりてヤマナギを食い止めんとする。
 しかし禍躬はあまりにも強大無比であった。

 健闘虚しく忠臣たちが蹴散らされ、命が無惨に散ってゆく。
 だというのに対価として得られたのは、ヤマナギの歩みを遅らせ、ほんのわずかばかり刻を稼げたのみ。
 那岐王が避難するのにはいささか足りず。

  ◇

 己が流した血と倒した相手の返り血が混ざりあう。ぬめりを帯びた混沌の朱色。
 ヤマナギがぶるると身をふるわせたひょうしに、盛大に血飛沫が散った。
 舌をベロリとするヤマナギ。口の周りについた血を舐め、ふたたび進撃を開始する。

 老将軍と勇士たちが踏みにじられる姿を目の当たりにし、兵士たちは恐慌状態へと陥った。心が折られ戦意喪失。軍は瓦解する。
 ことここに至り那岐王は天を仰ぎ覚悟を決めた。

「無念だが、もはやこれまで。なればせめて潔く自刃して果てるのみ」

 みずからの剣にて己の首をかき切ろうとする。
 だが飛んできた礫が手の甲を打ち、痛みにより那岐王は剣をとり落とす。
 那岐王の自害を止めたのは、ひとりの禍躬狩り。
 浅黒く焼けた肌。頭髪には白いものが混じり、眉間には深いシワが刻まれている。そろそろ老境に差しかかろうという年齢ながらも、肉体は壮年のそれであり、まとう覇気が尋常ではない。眼光が鋭い。双眸には命の輝きが充ちている。

「おいこら、若造。なぁにが『潔く』だ。かっこつけてんじゃねえぞ。はなからてめえには、そんな権利なんざねえんだよ。あるのはたとえ目を背けたくなるような負け戦であろうとも、すべての生きざま、死にざまを見届ける責任だけだ」

 那岐王を若造呼ばわりした男の名を忠吾という。
 生涯に渡り五体倒せれば名人達人と呼ばれる世界にあって、すでに十一もの数を倒した実績を持つ伝説の禍躬狩り。
 老将軍や旗下の者どもはけっして無駄死になどではなかった。
 彼らの献身があったればこそ、忠吾はこの場に間に合ったのだから。
 呆気にとられている那岐王や周囲をよそに、ヤマナギへと向けてゆるりと歩き出した忠吾。そのかたわらには二頭の山狗の姿あった。


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