山狗の血 堕ちた神と地を駆けし獣

月芝

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その七十四 山巫女の血

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 森の奥にある温泉にあらわれた不思議な気配のする少女。鍛冶を生業とする流浪の風の民だという。

「あの子はちょっと変わっている」とオウランは言った。

 その言葉の意味をコハクが知るのにさして時間はかからなかった。

  ◇

 しんしんと雪が降っては、山を、森を、地を白く染めあげていく。
 雪けむりにまじったキラキラ、細かな粒氷が舞う。繭玉山の天辺から吹く風もめっきり冷たくなった。
 いよいよ本格的な冬がはじまろうとしている。
 だというのに……。

「またきてる」

 湯場へと近づいたコハクはヒトの子の気配を感じて鼻白む。
 そろそろ時期的に人間の、それも子どもの足で通うのは難儀しそうなものなのに、風の民の娘は天候さえ良ければ、必ずといっていいほどここに来ている。それもひとりきりにて。

 とにかく奇妙な娘であった。
 まず髪の色が変わっている。まだ年端も行かぬのに年寄りのように白い。それを肩の辺りで切りそろえている。
 体つきは歳相応か、少し小さいかも。それがちょこんと湯に浸かっている姿は、まるでお人形さんのようだ。
 奇妙といえば、そんな娘を周囲の動物たちがまったく気にしていないこと。
 とくに警戒することもなく、その存在をするりと受け入れてしまっている。サルの群れにまぎれていることもあれば、シカやイノシシどころかクマのとなりでぼんやりしていることすらあった。
 そのくせコハクと顔を合わせれば必ず会釈をしたりもする。
 あの黒い瞳に見つめられると、あいわからず首のうしろあたりがゾワゾワして落ちつかない
 だからコハクはツンとお澄ましにて、そっぽを向いては娘より離れたところの湯に浸かるのがつねであった。

  ◇

 びょうびょうと風が哭く。
 日暮れ前から風足が強くなった。降る雪の量もぐんと増えた。
 今宵はどうやら本格的な吹雪になりそうである。

「あの子、せっかく温まったところで家に帰る頃には、すっかり冷え切ってしまうだろうに……、なんでわざわざやってくるのかな」

 外の風音を聞き流しながらの洞窟での夕食時、干し魚をかじりながらコハクがそんなことをぼやけば、里に滞在中である風の民が献上した清酒をちびりちびり舐めていたオウランが「たぶん山巫女の血筋のせいだろう」と言った。
 聞きなれない単語にコハクが首をかしげると、オウランが教えてくれた。

 山巫女はヒトと山を繋ぐ者のこと。
 かつて天と地やヒトと獣の境があやふやであった頃。
 すべてを繋ぐ言葉があって、世界は確かに繋がっていたという。
 ゆえに人間たちは今よりずっともっと山に敬意を払っていた。
 いきなり押しかけるようなことはせずに、事前にいちいちお伺いを立てていたものである。その役目を担っていたのが山巫女。
 しかし時代を経ていくうちに互いの関係性が定まっていくと、境は見えない溝となり壁となり、互いを隔てるようになってしまった。
 いつしか繋ぐ言葉も失伝されてしまった。
 山巫女の血も他者と交わるのをくり返すうちに、すっかり薄くなって、ついぞ見かけなくなった。
 かくして、天は天、地は地、ヒトはヒト、獣は獣と分断の時代へと至る。

「いわゆる先祖返りって奴だろう。ときおりああいう毛色のちがうのが、ひょっこりあらわれるからね。でも他とはちがう力を持って生まれたせいか、体の方に問題を抱えている者も多いと聞く。まぁなんにせよ、いまのヒトの世では暮らしにくいことだけはたしかさ」

 そんなことをオウランから言われた翌日のことであった。
 一面の銀世界。
 昨夜の天候がウソのようによく晴れている。これだけ青い空を拝めるのは、繭玉山近辺ではめずらしいこと。
 コハクが山の斜面を深雪を避け岩伝いに歩いていると、例の風の民の娘を見かけた。雪の積もった山道を踏み固め、踏み固めしつつ、遅々と進んでいる。
 頭巾をすっぽりとかぶって顔は隠しているが、ニオイですぐにわかった。
 おおかたまた湯場へと向かっているのであろう。
 やはりこの娘を見ていると首筋がゾワゾワする。まるで尻尾の毛を逆撫でされているみたいな感覚は何度経験しても慣れない。
 だからコハクはせっかくの天気だが、今日はもう洞窟へと引き返すことにする。彼女といっしょでは湯に浸かってもちっとも気分が休まらないだろうから。

 だがその直後のこと。
 足の裏にかすかな振動を感じたコハク。さっと顔をあげて周囲を警戒。すると視界の片隅にて捉えたのは、斜面より突き出た岩の上に積もり、こんもり盛りあがっている雪庇(せっぴ)。
 表面に亀裂が入っており、これがみるみる大きくなっていく。
 このままでは斜面を転がり落ち、ちょっとした雪崩すらも誘発するかも。
 が、問題はその先に例の娘の姿があったこと!
 風の民の娘は足下の雪を踏みしめるのに夢中で、頭上で起きている異変にはまだ気がついていない。

 考えるよりも先に山狗の子は駆け出していた。


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