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002 カラス女
しおりを挟む深夜の商店街にて追走劇をくり広げた翌日の夕方。
そろそろスーパーではお惣菜の値引き販売がはじまろうかという時刻。
商店街の隅っこにある雑居ビル。そこの四階に居をかまえる尾白探偵事務所にて、ガルルと猛る制服姿の芽衣がいた。
学校帰りに立ち寄った芽衣は壁に貼られた手配書に向かって、シュッシュッとシャドウボクシング。
「次こそはぜったいに捕まえてやるんだから。そして百万円をゲットです」と鼻息が荒い。
この手配書は市内に住む、さるお金持ちが私的にバラまいたもの。
その金持ちの家にかつて怪盗ワンヒールが侵入し、まんまと獲物をせしめた。
だがやつはそれだけでは飽き足らずに、とんでもないお宝までをも盗んでいった。
お金持ち秘蔵の宝物。
蝶よ花よと育てられた手中の珠。深窓のご令嬢のハートである。
かくして心を奪われたご令嬢はワンヒールにメロメロ。恋の病にかかってしまう。お医者さまでも草津の湯でも、というやつである。
すっかり桃色吐息となってしまった愛娘。
事態を憂いた父親が「ならば意中の相手を連れてきてやろう」と親バカぶりを発揮しての行動。
それがこの手配書の正体である。
ソファーにどっかと腰をおろし、くわえタバコの煙越しに手配書をちらり。
四伯は不満げに、ケッ。
「なぜあんなハイヒールフェチの変態野郎ばかりがモテやがる。どう考えても渋い探偵の方がモテるべきだろうに。世の中まちがってる」
するとすかさず芽衣が真顔で言った。
「四伯おじさん、それはちがうよ。同じ変態ならカッコいい方が断然モテるのに決まってるじゃない」
「なっ、失敬な! あんな変態とおれさまをいっしょにすんじゃねえよ。っていうか、おれが変態ならおまえもじゅうぶんに変態だろうが」
「まっ! 花も恥じらう麗しい女子高生にむかってなんという暴言。そんなのだから四伯おじさんはモテないんですよ。ついでに貧乏で腰痛持ちで足がクサイんです。加齢臭ぷんぷんです」
「やめてっ! 若い子からクサイとかいわれるの、すっごく傷つくんだから。おっさんはナイーブな生き物なんだぞ。もっとやさしくいたわって!」
「……そもそもの話、昨夜だって四伯おじさんがバイクとかクルマに化けてくれたら、ワンヒールなんて跳ね飛ばしていちころだったのに」
「おまえはアホか! ターゲットをひき殺してどうする? 手配書のどこにも生死不問とか書いてねえからな。それにてめえはまだ免許を持ってねえだろうが。まえに無免許で調子こいて、あやうくお縄になりかけたのをもう忘れたのか」
あれはとある浮気調査の依頼にてターゲットを尾行中のこと。
ターゲットがタクシーに乗車。
芽衣のたっての希望で四伯は中型バイクに化けた。
そして追跡を開始するもハンドルを握った芽衣が「ひゃっほう」と公道で派手にウイリーからのターンをかましたところを、たまたま通りがかった覆面パトカーに見とがめられてしまう。
「あーあー、そこのバカ娘、すぐに止まりなさい。でないとパトカーをぶつけるぞー。もしくは発砲する」
無免許、ナンバープレートなし、公道での乱暴な運転……。
何をとっても言い訳のしようもない状況。
ふつうならば即連行となるところ。
なのにおとがめなしにて違反切符も切られなかったのは、たまさかその覆面パトカーに乗っていたのが、顔見知りの性悪カラス女だったから。
「とにかくどうしてもってんなら、せめてちゃんと免許を」
四伯がめずらしくまともなことを言おうとしたところで、バンっと乱雑に事務所の扉が蹴破られる。
ずかずか遠慮なく入ってきたのはスーツ姿の長身の女。
サングラスに黒いジャケットに黒いズボン、つま先の尖った黒い革靴といういで立ち。わかめのようなぼさぼさ頭までもが黒髪という全身黒づくめにて、見るからに堅気じゃない雰囲気の来訪者。
目鼻立ちはそれなりに整っており、十分に美人で通る容姿ながらも、そこはかとなく漂うやさぐれ具合が、すべてを台無しにしている。
これを前にして「げっ、カラス女」と四伯。
そう呼ばれた黒スーツの女がにへらと顔をゆがめる。
「よぉ、ゆうべはずいぶんとお楽しみだったみてえだなぁ。うちに何本も苦情の電話がきてたぜ。あげくにまんまとコソドロに逃げられるとは、みっともない話だなぁ、おい」
小馬鹿にしつつ四伯がくわえているタバコをひったくったカラス女。
なんら気にすることもなく自分の口元に運ぶなり、ひと息に吸い込んでは、大量の煙をブハァーと四伯の顔面に吹きかけた。
彼女の名前は安倍野京香。
こう見えて地元の高月警察署のれっきとした女刑事である。近隣では屈指の検挙率を誇る腕利き。ただし性格はあまりよろしくなく、素行もおしてはかるべし。ついでに足癖も相当悪い。なお探偵の尾白四伯との仲はわりと古い。
「四伯、芽衣、おまえらあとで商店街の会長のところにちゃんと詫びを入れとけよ。夜中に大声でわめき散らすわ、どんがら派手な物音を立てまくるわ、ゴミは盛大に散らかすわ、やりたい放題のせいでかなーりお冠だったからな。あとワンヒールを捕まえたらちゃんと私に連絡しろ、わかったな」
「ちぇっ、なんだよ。楽して手柄だけかっさらおうってのか? これだからカラスは……。そもそもあいつは窃盗犯なんだから、立派に警察の案件だろうに」
「うちはおまえたちとちがって暇じゃないんだよ。変態相手に割く人員の余裕なんかねえよ。というわけで、変態は変態同士仲良くやりな。それから芽衣、あんまりこいつにかまって貴重な青春を棒に振るんじゃないよ」
ほぼ一方的にまくしたてた安倍野京香、机の上にあった四伯のタバコからもう一本ぶんどり、ゆらゆら煙をふかしながら帰っていった。
来た時と同様に足でバタンとドアを閉めた安倍野京香。
いまいましげにその背を見送りつつ「てめえも立派な変態だろうが」と四伯がぼそり。
そう、安倍野京香もまたどこに出しても恥ずかしくない変態なのである。
ただし怪盗ワンヒールとはいささか毛色はことなるが……。
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