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062 芝生一族
しおりを挟む放課後の校門前でいざこざが起きれば、当然ながら下校中の生徒たちの多数が目撃する。
そしてこれまた当然ながら職員室に駆け込む生徒もいるわけで。
すると「こらーっ!」と駆けつける先生たちもあらわれる。
おかげでおれはウシ男から解放されるも、腰がアイタたた……。
うぅ、できればもう少し早く来てほしかった。
呼び出されたからわざわざ足を運んだというのに、この仕打ち。
ふつうであれば激昂もの。
なのにおれは怒らない。いや、内心ではプンプン、憤まんやるかたなしであった。それこそ「責任者出てこい!」と怒鳴り散らしかねないほどに。
けれども「大丈夫ですか?」と声をかけ、「すぐに保健室に案内します」と肩を貸してくれる女人に触れたとたんに、ふにゃんとなった。
おれは困惑する。牙を抜かれるとか、爪を引っ込めるとか、そんなレベルじゃねえ。意気地を根こそぎ刈り取られるような……。
この時の気分を例えるならば、イヌが愛しの飼い主に存分に甘えて目をトロンとさせるかのごとく、あるいはネコが好物のマタタビを前にして悶えてうねうねするように。もしくは少年が憧れの年上のお姉さんを前にしてモジモジするかのような。
そんな複雑に入り交じるつつも、けっこうシンプルな感情が沸き、ウシ男に対するしょうもない怒りなんぞはどこぞにさらりと流れて消えてしまった。
なんだコレは?
戸惑いを抱えつつ、おれは彼女にされるがままに保健室へと連れて行かれる。
◇
放課後の保健室。
いきなりベッドに連れ込まれて、上着をひんむかれて、ズボンをお尻までずりおろされて、バシンと張られたのは湿布。冷やっこい!
やったのは保健室の先生のごついオバちゃん。
ダルマさんにパンチパーマのかつらをかぶせたような容姿。ヒョウ柄のシャツとかめちゃくちゃ似合いそうな彼女は名前を安満中さんといい、その正体はイノシシ。
そしておれをここまで運んでくれた心優しきべっぴんさんは、おれの尻がポロリした時点で「ご、ゴメンなさい! 私、用事がありますから、あとでまた来ます」と顔を真っ赤にして出て行った。
痛む腰にじんわり染みる湿布。
治療を終えておれは身なりを整えつつ、安満中さんに「ちょうどいい。訊きたいことがあるんだが」と話しかける。
「なんだい? あいにくと既婚者だからデートは無理だよ」左の薬指にめり込む指輪をみせる安満中さん。「でも焼肉か寿司のランチならば付き合ってあげなくもないよ。もちろんあんたのおごりで」
「いや、そうじゃなくって。訊きたいのはさっきの……」
「あー、綾ちゃんね。とってもいい子だけど、あの子はあんまりオススメしないわよ」
「それって、さっきおれが感じたふしぎな感覚に関することか。なんていうか、いきなり腰砕けにされちまった。こんなのは初めてだ」
柔道六段のウシ男の投げ技なんて目じゃねえ。身も心もキレイさっぱりスパンと払われた。彼女に抱きつかれて、上目遣いで「ねえ、ダメかな」とかおねだりされたら、指輪でもバッグでも何でも買い与えてしまいそう。
だからとて惚れたはれたとはちがう。だからこそこの感情の正体がわからずにおれはモヤモヤしている。
そんなおれをジト目で見つめる安満中さんが「やれやれ」とタメ息。
「そう。あなたって、見た目よりもずっと感受性が強いみたいね。見た目はさっぱりまったくぜんぜんアレだけど」
何やらくり返しディスられているような気がしなくもないが、そこはあえてスルー。
するとようやく安満中さんが教えてくれた。
「あの子の名前は芝生綾。芝生一族の血を現代に伝える者」
忍者といえば、あまり詳しくない者でも伊賀だの甲賀だのという名前ぐらいはすぐに出てくるだろう。
一方で知名度がほとんどないマニア向けの一族なんかも多数存在している。
芝生一族もまたそのうちのひとつ。
というか知ってるマニアを探すのが至難なほどの、どマイナーっぷりを誇るのが芝生一族。
なにせロクすっぽ活躍していないのだから、それも無理からぬこと。
ただしそれは人間側の視点から見ればの話。
これが動物側となると事情がいささか異なってくる。
たしかに芝生一族は歴史の表舞台にも裏舞台にも、楽屋どころか客席にすらも顔を出してはいない。だからとて弱いのか、無能なのかというとさにあらず。
むしろ強大なチカラゆえに、意図的に市井へ埋没していたからこそ現代にまで生き残れたのだ。
そのチカラはいくつかあるが、動物たちをとくに警戒させたのが「獣を使役する術」である。いかなる暴れ馬をも瞬時に手なずけ、猛るウシを片手でいなし、ときには一度に何万羽ものトリたちを操ってみせたとも伝わる。
ただ歴史の紆余曲折を経て術そのものはとっくに忘却の彼方へと失せており、当の綾も自分がそんなすごい一族の血を引いていることすら知らない体たらく。
◇
説明を終えた安満中さんが、冷たい水の入った紙コップを差し出す。
受け取ったおれはこれをゴクゴクいっき飲み。
「そうか、彼女があの芝生一族の末裔だったのか。どおりで……って、ちょっと待て。術はとっくに失われているんだろう? だったらどうして」
「さぁてねえ、それこそ血のなせる技ってことなのかも」
「血のなせる技って、マジかよ」
術を使わず、当人も自覚なく、ただ触れただけですっかり骨抜きにされる。あらがうという意識すらも抱けない、あのすさまじい影響力。
もしも現代に術が伝わっていたらと想像すると、おれはゴクリ。天敵の二文字が脳裏に浮かぶ。
潤おしたばかりのはずのノドがやたらと渇きやがる。だからおれはもう一杯水をごちそうになり、どうにか落ちつきを取り戻した。
というか、そんなスゴイ綾ちゃん先生とおれはこのあと面談をするわけだ。
………………おっさん、超ピンチ!
ダメだダメだダメた。二人っきりは絶っ対にダメ。
助っ人がいる。彼女の影響力があまりおよばない鈍いのが。
しかしとっさにそんな都合のいい相手は思いつかない。
こうなればとりあえず芽衣を呼び出して……と思ったのに愛用のパカパカガラケーがウンともスンともいわない。
どうやら奈良からこっち、ハードワークの連続にきてさっきのウシ男の投げ技でトドメを刺されてしまったようだ。
なんてこったい!
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