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215 振り出しに戻る
しおりを挟む緑川操と名乗り尾白探偵事務所に依頼を出した女の正体は、女優の卵。
本名を御堂由佳という。
あらためて素の彼女と会ってみて、百八十度ちがう印象におれは内心ドキドキしっ放し。
うちの事務所を訪問したときにはやつれが見え隠れ、ともすれば陰気ですらもあったというのに、目の前にいる彼女はボーイッシュでハツラツとしている。
あのすべてが役に入り込んでの演技だというのだから、役者ってすげえな。
いいや、ちがうか。御堂由佳の才能がすごいのだ。
この子はまちがいなく売れる。いずれ世にその名を轟かせる大女優となるのにちがいあるまい。演劇の素人であるおっさんにそう言わしめるほどのキラメキが、彼女の中には宿っている。
けれどもその才ゆえにおれはたったの一日で、彼女のもとへと辿り着けたのだから皮肉な話だ。
緑川操は演劇関係者。そう当たりをつけて、おれがまず向かったのは情報屋をしているアナグマのショーンのところ。
あいにくとおれに演劇鑑賞の趣味はない。だから誰かそっち方面に明るい人物とのつなぎを頼むつもりだったのだが……。
「あー、それならうってつけなのがいるぞ。うちのカミさんだ。昔っからアングラ専門の芝居狂いでよ。有力な新人発掘を生きがいにしている」
で、早速、紹介してもらって「いつもうちの主人がお世話になっております」「いえいえ、こちらこそ」と挨拶ののちに、かくかくしかじか。
事情を説明したら、ショーンの奥さんがポンっと手を打ち鳴らす。
「あら? 尾白さん、それっていつのこと。へー、四日ほど前に事務所にねえ……。だったらたぶん由佳ちゃんじゃないかしら。あの日、たまたま駅前で見かけたのよね。あの子は初舞台の頃から追っかけてたから、すぐにわかったわ。変装してたからてっきり何かの役作りをしているのかと思って。邪魔しちゃ悪いからあえて声はかけなかったんだけど」
世に数多ある劇団、ごまんといる役者やその卵たち。
とはいえ実際にそれらと遭遇する機会が多いかといえば、演劇のメッカの地でもないかぎりはあまりない。ましてや大坂と京都の狭間の高月となれば、なおさら確率はぐぐんと下がるはず。
ちょいとひと当たりする価値はあると判断したおれは、ショーンの奥さんから御堂由佳の詳しい情報を得て、さっそく彼女が所属する劇団のところへと向かった次第。
◇
おれは御堂由佳と連れだって最寄りの喫茶店へ。
稽古終わりで腹が減っている彼女が、大盛りのナポリタンにパクついているのを眺めながら、おっさんはピザトーストセットのホットコーヒーをちびりちびり。
内心で「うーん、これはひょっとしたらハズレかもしれない」と嘆息。
だってさっきの舞台や、この食事風景からはとてもストーカーを行うような子には見えないのだから。それともこれもまた演技なのか?
なにやら疑心暗鬼にておっさんが眉間にシワを寄せてムズカシイ顔をしていると、不意に皿から顔をあげた御堂由佳。
えらく真剣な表情にてこっちを見つめつつ「探偵さん、そのピザトースト、いらないのならちょうだい」と言ったもので、おれは「好きにしろ」と苦笑い。
御堂由佳の腹がすっかり満ちたところで、ようやく本題に入ったのだが……。
「ごめんなさい。じつはインターネットの掲示板で割りのいいアルバイトを見つけて飛びついただけなの」
ガバッとテーブルに手をつき、頭を下げる御堂由佳。
やりとりはすべてメール。
依頼主とは面識なし。
ぶっちゃけ相手が男か女かもわからない。
でもって探偵から上がってくる報告書は、そのまま指定された私書箱へ投函される予定だった。
「いやぁ、ちょーっと怪しいかなぁとは思ってたんだよねえ。あはははは」笑う御堂由佳はあっけらかんとしたもの。苦しい懐事情といまどきの若者らしい軽さで「ついね。それに探偵を騙すとか、役どころとしても面白そうだったから」と言われては、もうマジメに怒る気にもなれない。
まぁ、実際のところ彼女は何も悪いことはしていないわけだし、ただ代役を引き受けただけ。探偵業を続けていれば稀にあること。
とはいえ「今回は不問にするが二度と怪しいバイトに手を出すなよ!」と柄にもなく説教を垂れてから、伝票を手に席を立つ。
「せっかくの才能をしょうもないことで潰すなよ。知り合いの奥さんがあんたの大ファンなんだ。『あの子は絶対に売れる』ってそりゃあすごい剣幕でよ。だからまぁ、そのなんだ、がんばれよ」
「……うん。あの、本当にごめんなさい。私、ちょっといろいろ焦ってたみたい。迷惑をかけたお詫びに今度芝居のチケットを送るから」
「あぁ、楽しみにしとくよ。じゃあな」
会計を済まし、御堂由佳とはそこで別れた。
よもやの「振り出しに戻る」の展開。
なのにおれの足どりがあまり重くないのは、夢に向かった突き進む若者と接して元気をもらったおかげか。
にしても用心深い相手だな。わざわざ役者を使って代役を立てたり、すべてのやりとりをネットで済ませたり、あくまで自分は矢面に立つつもりはないってことか。
小賢しいというか、なんとも鼻につくやり口である。
その一端に触れたとき、おれが最初に思い浮かべたのは例の天本心太の彼女が巻きこまれたストーカー事件のこと。
「もしかして前回の反省を踏まえて、こんな手の込んだことをしたのか? だったら山下真美じゃなくてどうして天本心太なんだ?」
うーん、わからん。
より深まるナゾにおれはますます首をひねるばかり。
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