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398 ウラノスのラビュリントス
しおりを挟むイベント期間中、午前と午後にファッションショーをこなし、空いた時間には講演会やサイン会を挟みつつ、さらには地域の病院や老人ホームを慰問し、幼稚園や学校なんかにも訪問する。テレビの企画である密着取材をはじめとして各種メディアへの対応も忘れない。これに経済界やら政治の大物小物をまとめて笑顔であしらう。
ようやく夜となり滞在している京都のホテルに戻ったとて、それで終わりではない。
今度は自身が手がけるブランドの商品開発のインターネット会議に参加したり、執筆依頼などの細々とした仕事を片づける。それこそゆっくり食事をとっている暇もないほど。
ブラックな労働環境、何それ?
と言わんばかりの、殺人的なまでにびっちりの超過密スケジュール。
それを不平ひとつ零さずに、ルクレツィア・ギアハートは淡々と消化していく。
◇
精力的に働くその姿を目の当たりにしておれが思い出したのは、昭和の時代に活躍していたある作家先生のインタビュー記事。
記者が問う。
「どうしてあれほど多筆かつ、大量の仕事をこなせるのでしょうか?」
すると作家はニコチン含量のヘビーなタバコをくわえながら答えた。
「あぁ、そんなのは簡単だ。寝る時間と飯の時間をガリガリ削ればいいだけのこと。趣味も気分転換の散歩も必要ない。クソをするのも三分以内。なにせ一日に許される時間だけは、貧乏人も金持ちも、才能がある者もない者も、大人も子どもも、男も女もみな同じだからな。いっぱい書こうとしたら、どうしたって相応の時間が必要になる。気分が乗らないだの、アイデアが浮かばないだの、スランプだのとグダグダぬかしている暇があったら、ただひたすら書く、書く、書く。これに尽きる。多少の出来の悪さはあとで修正すればいい。だがいじくりまわす原型がなければ、それもままならないからな」
ルクレツィア・ギアハートもこれと似たようなもの。
そりゃあインタビューに答えていた作家みたいに泥臭くはないし、傍目にはスマートかつ効率よく、てきぱきと仕事をこなしているように見える。
だが、それを支えているのは多大なる自己犠牲。己の人生の時間という対価を払うことで、彼女はいまの脅威的な仕事量を維持し続けている。
来訪初日に探偵事務所をひとりでこっそり訪ねてきた夜。
おれにとってはいつもとたいして変わらないダラダラした時間であったが、彼女にとってはどうにか調整し絞り出した希少な時間だったんだ。
そう考えるとちょいと感慨深いものの、だからこそいっそう彼女という人物がわからなくなる。
動物至上主義を掲げる集団・聚楽第の危険な思想に賛同し協力している、破滅願望を持つ快楽主義者。世界中の人々を惹きつけてやまないトップモデル。あらゆる方面に多大な影響力を誇るインフルエンサー。目の前の仕事に一心不乱に打ち込む誠実かつマジメな女性。一方で立ち食いそばをウマそうにすすり、夜の街で無邪気にはしゃぐ。
ころころ変わる眼差しと表情。
まるでその都度、仮面をつけ替えているかのよう。
知れば知るほどに、理解が深まるどころか困惑が増すばかり。
「とらえどころがない……。ああいうのを蜃気楼のような女っていうのかねえ。もしくは一度ハマったら抜け出せなくなる危険な底なし沼。おー、くわばらくわばら」
タラップの階段へと足をかけたところで立ち止まりおれがつぶやくと、すぐうしろを歩いていた芽衣がトンと腰にぶつかる。
「ちょっと、四伯おじさん。そんなところで急に止まらないで下さいよ。ほら、さっさとのぼる。せっかく前乗りするんですから、早く行って船内を探険しないと」
言いながら尻をバシバシ小突いてくるタヌキ娘。
高月史上、最大の祭りももうすぐ終わる。
残すところは最後の締めとなる空中パーティーのみ。
これに招かれているおれたち。
というか、我が尾白探偵事務所にとってはここからが本番。
だから先に飛行船スカイウォーカーに乗り込んで、ちょいと下調べをと考えた次第。
なにせこの飛行船は全長百二十四メートルにもおよぶ、規格外のシロモノ。通常の大きな風船に船体を貼り付けただけのようなモノとは造りが異なっているそうで。
前乗りの件をおれが頼んだとき、ルクレツィア・ギアハートはにやりとしてこう言ったものである。
「それがいいでしょうね。みんなあの子をいろんな名前で呼ぶけれども、私に言わせれば、あれはちょっとしたウラノスのラビュリントスだもの」
ウラノスのラビュリントス。
天の迷宮とかいった意味。
おそらくはクレタ島にあったといかいうミノタウロスの住む迷宮に引っかけての言い回しなのだろうが、またなんとも大袈裟な。
やれやれ、せいぜい遊園地にある迷路のアトラクション程度だろうに。
なんぞと余裕でいられたのはタラップの階段をのぼりきり、搭乗口より内部へと一歩足を踏み入れるまでのこと。
「えっ、なんだよ、これ? まじで鉄の迷宮じゃねえか。どうしてこんなのが空を飛ぶんだよ」
「うわー、ぶつ切りの階段がいっぱい」
探偵と助手は壁に設置された案内図を前にして、そろってあんぐり。
白いプラスチック板に印刷されてある内部構造は、多層構造をしており、いろんな区画に分かれており、階段や廊下もいっぱい。それこそ本当に豪華客船の中みたいで、とってもややこしい。
うーん。迷子になりそう。
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