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439 偽りの君
しおりを挟む吉野桜子より、かつての想い人である東條左馬之助を探して欲しいとの依頼を受けて動き始めた尾白探偵事務所。
しかし調査を続けるほどに、何やら雲行きが怪しくなってくる。
東條左馬之助の出身大学と学部がわかっていたので、裏から手を回して卒業名簿を過去にさかのぼって総ざらいしてみたのだが、どこにもそんな人物は見当たらなかった。
その過程で運よく当時、同大学の学生だったという老爺に話を聞ける機会を得たので写真を見せてたずねてみたけれども、首をひねられる始末。
老爺によれば「こんな男前がキャンパス内をうろついていたら、女どもがけっして放っておかんよ」とのこと。
早くも頓挫しかける調査。しかしその老爺が思わぬヒントをくれた。
「おや、このスーツ。ふむ、まちがいない。あそこのテーラーでこしらえた品じゃないかな」
当時、本格的な洋装はすべて受注生産。仕立て屋に頼んで採寸から繕いまでおまかせの一点モノ。ゆえにいまのようにポンと金さえ出せば買えるというわけではなかった。また職人が手間暇を惜しまずに制作するので、けっして安価ではない。
だからこそ羨望の的であり、「いつかは独り立ちしたら自分も仕立てるのだ」と昔の若者は夢をみたものである。
いろいろ話を聞かせてくれた老爺もその口だったらしく、はじめて仕立ててもらった品はいまも大切に保管しているからこそ、すぐにスーツの出所に気がつけた。
このテーラー、いまでも営業を続けており老舗として業界に勇名を馳せている。
しかしこの手の店はガードが固い。特に顧客の個人情報に関しては鉄壁といっても過言ではないほど。かくかくしかじか、事情を説明して情に訴えたところで容易くは転ぶまい。
そこでおれたちは正攻法はあきらめて邪道に走る。
◇
長年老舗テーラーに勤め、引退した元職人に狙いを定めて接触をはかる。
その方法は超ベタ。
いまだにかくしゃくとしており朝夕の散歩は欠かさないという元職人。彼の散歩コースに偶然を装い芽衣を投入。
わざとらしく彼の目の前で荷物をぶちまけるタヌキ娘。
ひらりはらりと舞い落ちるのは一枚の写真。例の東條左馬之助の写っているもの。
親切な元職人は自分の前に落ちたそれを拾って、もしも見覚えがあれば「おや、これは」となるという算段。
狙い通りの反応を彼が示したところで、すかさず芽衣が「じつは……」と切り込む。
まんまと策が成功し、物陰より様子をうかがいながらほくそ笑むおれ。
しかし話を聞き終えて戻ってきた芽衣からの報告を受けて困惑することになる。
「四伯おじさん、あの元職人さんってばこの人のことはよく覚えているって言ってましたよ。男ぶりもさることながら、なんでも一時期やたらと羽振りがよくて何着もオーダーしてくれたんだとか。でも名前がちがうんですよねえ。注文書には『山田太一』ってサインしていたらしくって」
あのテーラーは高額のスーツを扱うだけあって身元の確認にはとてもうるさい。
ゆえにサインを偽るとは思えない。
しかしだとすれば、これはどうしたことであろうか。
東條左馬之助と山田太一という二つの名前。
あんな男前がぽんぽんいるわけもないことから、普通に考えれば吉野桜子に名乗っていた方が偽名ということになる。
山田太一の名でも念のために一度名簿をさらってみるが、おそらくはそんな卒業生はいないだろう。
経歴も名前もウソ。
旧家のお嬢さまとお近づきになるために見栄を張ったというには、あまりにも念が入り過ぎている。
そのくせやたらと羽振りがいい男前。
やんごとなき身分の王子さまが正体を明かすわけにはいかず、身分を偽って令嬢と逢瀬を重ねたというシンデレラパターンもありうるものの、その可能性は限りなくゼロに近かろう。
普通に考えたら女を食い物にする詐欺の類。
「ちょ、ちょっと四伯おじさん。どうするんですか? まだ調査を続けるんですか」
想定していたよりもはるかに悪い結果になりそうなことに激しく動揺する芽衣。
はっきり言って余命わずかな老嬢に告げるような内容ではない。最悪ショックで心臓が止まり、とどめをさしかねない。
しかし依頼人は言った。
『いかなる結果でもドンとこい』と。
彼女の覚悟を無下にすることはかえって失礼となる。
それにまだそうと決まったわけじゃない。結論を出すには早すぎる。
ゆえにおれたちは調査を続行することにした。
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