おじろよんぱく、何者?

月芝

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438 初恋の君

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 やたらとセミの声がやかましい夏の日。
 依頼人に会うため、おれと芽衣が訪れたのは地元にある医大の入院病棟。
 指定されたのは上階の個室。
 扉をノックすると「どうぞ」との優しげな声。
 ベッドにて上体を起こし、待っていたのは品のいい白髪の老嬢だった。

 彼女の名前は吉野桜子よしのさくらこ
 高月の地では知られた和菓子屋の先代主人のご内儀さん。早くに夫に逝かれて以来店を切り盛りしていたが、いまは息子夫婦に跡目を譲って、のんびりと余生を過ごしている。
 いや、過ごしていたというべきか。
 残念ながら彼女はすでに余命宣告を受けており、残りの時間は幾ばくもないとのこと。
 そのわりにはあっけらかんとしているのは、当人いわく「自分なりに精一杯がんばって、人生やりきった」との自負から。
 そんな吉野桜子だが、こうして病院のベッドでひとりぼんやり過ごしていると、やたらと思い起こされるのが昔のこと。

 じつは若かりし乙女の頃。
 吉野桜子には将来を言い交わした相手がいた。想いが高じるあまり駆け落ちをも目論んだほど。
 しかし計画はあえなく失敗。薄々怪しいとにらんでいた親族らに阻止されてしまったのだ。
 時代が悪かったといえばそれまで。だが、まだまだ家や家族の繋がりが重んじられる時代にあって、ましてや旧家のお嬢さまともなれば惚れた腫れただけではどうにもならなかったのである。
 周囲の猛反対にあって無理矢理引き離された二人。
 相手の男はそのまま姿を消し、彼女の方は親の勧める相手と半ば強引に見合い結婚をさせられ、この話はそれきりとなってしまった。

「まぁ、こんな色恋沙汰はあの頃にはわりとありふれた話なんですよ。それに私も若かった……。なんだかんだで死んだ亭主はいい人でしたし、息子や孫にも恵まれました。結局はこれが正解だったのでしょう」

 そう言って少し照れた老嬢の表情は晴ればれとしたもの。彼女は言葉を続ける。

「でもね。いざこうして冥土へ旅立つ日が近づくと、どうにもあの人のことが気になってしまってねえ。いえ、べつに未練とかじゃないんですよ。あんな風に別れてしまったものの、私の方はこうして幸せに過ごせましたから。けれども、だからこそあの人の方はどうだったのかしらって思うようになって。その後の消息が知れたところで、いまさらどうなるものでもなし。頭ではわかっているんですけど、やっぱり気になって気になって。このままだとどうにも心残りになりそうで」

 吉野桜子の依頼は「初恋の君の消息を知りたい」というもの。
 じつはこの手の依頼はけっこう多い。老境に差し掛かって、ふと思い出すのはというパターン。
 けれどもとかく思い出は美化されており、記憶は自分に都合よく改竄されているケースもままある。
 過去をほじくり返して思い出の重箱の隅をつついてみれば……、おっふ。
 必ずしも望んだ結果が得られるわけじゃない。
 というか大抵ががっかりすることの方が多い。知りたくなかった、知らなければ良かったと後悔することも。
 ゆえに「いかなる内容であっても受け止める覚悟はあるか」とおれは問う。
 すると吉野桜子は「ドンとこい」と今日一のいい笑顔。
 彼女が覚悟を決めている以上は、それに応えるのが探偵のお仕事。おれたちはこの依頼を受けることにした。

  ◇

 初恋の相手は特別。
 という話はよく耳にする。
 男女ともにその傾向はあるようだが、とくに女性に多いそうな。

「ふーん、そういうもんですかねえ」

 色恋にはとんと縁のないおぼこタヌキ娘、サイダー味の棒アイスをがりがりかじりながらの気のない返事。
 いったん事務所へと戻る帰り道でのこと。

「まぁな。とはいえ実際にご対面となったら双方が気まずい想いをするだけだがな。『芸能人のアノ人はいま?』みたいな企画じゃあるまいし、たいていは現実に擦り切れて劣化しまくりだから」

 身も蓋もない言い方をすれば、かつてのマドンナや王子さまが、いまも原型をとどめている方が圧倒的に少ないのだ。
 たいていが「あー、ちょっとかつての面影があるかも」程度である。
 ひどい時には「誰これ」状態にて完全に別物。
 もっともそんなことは依頼する側も百も承知。それでも一縷の望みを捨てきれないのもまた人の性。
 おかげで街の探偵屋さんは今日もおまんまの種にはこと欠かぬと。

「しかしよくもこんな写真を残していたもんだな。これだから女はおっかねえ」

 おれは依頼人より提供された一枚の写真を眺めながら、ため息ひとつ。
 古ぼけ黄ばんだ白黒写真にはスーツ姿のすらりとした男が映っている。
 昭和の銀幕スターみたいな容姿。いまの目から見ても充分に男前で通用するだろう。
 脇から写真をのぞき込んだ芽衣が言った。

「たしかにカッコいいですね。最期にひと目会えるものならばと桜子さんが思っても不思議はありませんよ」
「そうだなぁ」

 適当に相槌をしつつおれは写真をひっくり返す。
 裏には「東條左馬之助とうじょうさまのすけ」という走り書き。
 これが探し人の名前。
 手がかりは依頼人から提供されたいくつかの個人情報と、名前とこの写真のみ。
 半世紀以上も経っていることだし、はてさてどうなることやら。


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