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521 タヌキと兄ネコ
しおりを挟むサーバルキャット兄弟の兄トロンが物々しい形状をしたアーミーナイフを抜く姿を前にして、芽衣の脳裏をよぎったのはかつて修行時代に師匠であり、祖母である葵から言われたこと。
『いいかい、芽衣。よーく覚えておくんだよ。三メートル程度の間合いならば、下手な拳銃持ちよりもナイフ遣いの方がよほど厄介だ。ぼんやり突っ立っていたら、あっという間に手首や首筋の動脈をスパッとやられて終わっちまう』
拳銃を持つ者が引き金をひく。ほんの少し指先にチカラを込めて曲げるだけ。
そんな仕草を上回るほどに閃くのがナイフの刃。
短く、軽く、華奢で、一見すると他の刀剣類よりもずっと戦闘能力にて劣るように見えて、巧みな遣い手と一定の間合いという条件がそろえば無類の強さを発揮する武器。
トロンはひょろっとした長身にて、手足も長い。そして双眸を見れば刃傷沙汰を躊躇うようなタイプではないことは一目瞭然。
だから芽衣はいっそうの用心をして、トロンのアーミーナイフに注意を払っていた。
だというのに、キラリと光ったと思った瞬間に姿を見失う。
消えたわけではない。トロンの手の中で自在に踊るナイフが素早く向きを変えただけのこと。
芽衣はとっさに身を引く。
直後に、先ほどまで芽衣の左腕があったあたりを銀閃が走った。
もしもわずかにでも下がるのが遅れていたら、たちまち手首を切られていたことであろう。
殺気はまるでないのに、殺意が存分に乗った斬撃。
だがこれで終わりではなかった。
閃く刃が上下左右に動いては、次々と芽衣へと襲いかかる。
舞いや、ダンスとはちがう、武芸の型ともちがって、動き自体は直線的。最短にして最小の労力にて、獲物を仕留めようとする。あるいは動きを封じようとしてくる。
手首にはじまった攻撃が、首筋、肘、膝、腿、目などなど、その都度、もっとも狙いやすい箇所へと向かう。
トロンのナイフは止まらない。
斬り、払い、突き。
派手さはなく、攻撃の構成自体はシンプル。なのに組み立てが自在にてバリエーションに富み、対応が柔軟。加えてトロンのリーチの長さがクセモノ。ナイフそのものは間合いが短いけれども、それを補ってあまりあるのが長い腕。肘や肩、脇の開きに腰のひねりや向きなどで、微妙に変化する間合いと刃の軌道。ときに上空で急旋回したり、滑空してきたかとおもえば、急速反転し、死角から迫る。
これらをどうにか耐えて耐えて、ようやく隙が出来たと思って飛び込もうとしたら、それは罠。
虚実の仕掛け方が絶妙にいやらしい。
◇
戦いの序盤、芽衣は反撃に転じられず防戦一方。
この状況を打破すべくタヌキ娘がとった行動は、キツネ娘とは真逆の動き。
壁を伝い、狭い路地の中を上空へと活路を見出した出灰桔梗。
しかし芽衣は地を這うことを選択。理由はトロンのナイフさばき。下手に飛んでもあれほどの腕ならば空中で捉えられる可能性が高い。そうなれば叩き斬られてしまう。
でも地面をゴキブリのごとくカサカサ素早く這うことで、これを仕留めようとするトロンの腕の動きはかなり限定的になる。
こうなると長身にてやたらと長い手足が逆に不利に働くのにちがいないという、芽衣の読み。
この思いつきは想像以上に効果を発揮する。
「ちぃっ、このガキ、ちょろちょろ逃げ回るんじゃねえ」
トロンが吠える。
戦いのさなかに敵前にて伏せをしては、カサカサ四つん這いになるような相手とはじめて対峙するがゆえに、やや困惑とイラ立ちが隠せない。
いっそのこと取り押さえて組み敷き、ブスリとしてやろうとするも、ちょこまか動き回るタヌキ娘がちっとも捕まらない。そればかりか、ときおりみせる鼻でせせら笑うような仕草がたいそう腹立たしい。
前傾姿勢による腰への負担が地味に蓄積していたところで、ついに距離感を見誤ったトロン。
ナイフの切っ先が空振ったあげくに、地面をこすり「ガリっ」と不快な音を立てた。
刃こぼれしたナイフにトロンが「あっ」とつぶやいた瞬間、勢いよく跳ね起きた芽衣。
「くたばれっ、狸是螺舞流武闘術、突の型、釣り鐘砕き!」
いっきに懐に飛び込んで奥義を放とうとする。
これを迎え撃たんとトロンがくり出したのは右の刺突。
だが少しばかり反応が遅れた。刃に速度が乗る前に接敵されて間合いをつぶされる。
だから余裕で首をかしげてトロンの攻撃をかわした芽衣。だがしかし……。
「なっ!」
目を見開き驚愕する芽衣。
その理由はトロンの手の中にあるはずのナイフが消えていたから。
ちがう、そうじゃない。はじめから持ってはいなかったのだ。
では消えたナイフはどこへ?
その答えはトロンの左手にあった。
この刹那の局面において、さらなる虚実を仕掛けてきたトロン。
すっかり右腕へと意識をもっていかれていた芽衣、その腹部へとめがけてナイフを手にした左腕が猛然とせり上がってくる。
とっさに逃げようとする芽衣だが、その首筋にまとわりついてきたのが先のフェイクの右腕。奥襟をとられて身動きを封じられた。そして抱きかかえられるような姿勢にてナイフを迎えることになってしまった。
己の勝利を確信しにやりとするトロン。
しかし今度は彼の方が驚きのあまり目をみはることになる。
ナイフを持つ左手の進行が止められた。
まるで万力で固定されたかのように動かないばかりが、激痛が発生してたまらずナイフを取り落とす。
それを成したのは芽衣の肘と膝。
アギトのように閉じられ、見事にトロンの左手の甲を捉えたばかりか、骨を砕くことに成功する。
腕を引いて逃れようとしたトロン。
そのアゴをカチあげたのは芽衣の拳。
動揺しているところにまともに喰らったサーバルキャット兄弟の兄トロンは、たちまち白目となってぐにゃりと膝から崩れ落ちた。
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