おじろよんぱく、何者?

月芝

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637 箱根の嫁獲り競争 第五区

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『山を制する者が箱根を制する』

 という格言でお馴染みの難所。
 この場所を経験したことのあるランナーたちは、いちように顔をしかめて云うそうな。

「あそこは地獄だ」と。

 古くから数多の旅人たちを苦しめ、ときに拒絶し、はね返してきた。関東と東海域をへだてる天下の険である箱根連山。これをぶち抜くようにして走破するのが、箱根駅伝を象徴する第五区。
 距離と中身がこれほど乖離している場所はそうそうないだろう。
 ひたすら斜面をのぼっていくイメージが強いが、じつはそうではない。

 スタート直後こそはしばらく緩い道行き。
 本格的な上りが始まるのは箱根湯本駅前を過ぎた三キロあたりから。そこからは勾配がずんずん増し、標高もずんずん上昇、そのくせ気温はがガクンと下がる。ぐねぐね曲がる山道をひたすら進むこと、じつに十三キロにもおよぶ。
 これが、まぁ、辛い。
 近くて遠いライバル。懸命に手足を動かしたとてなかなか前とは距離が縮まらず、かといって油断しているとあっという間に背後から追い抜かれる。
 同行者がいれば競い合いの潰し合いとなり、いなければ孤独にて山に苛まれるばかりの地獄道。
 これを乗り越えて到達するのは標高874mの「1号線最高地点」
 でもって一転して下り坂となる。箱根神社の門前町である元箱根まで駆けおり、ようやく山道が終わったとホッとしたのもつかの間、最後の嫌がらせだとばかりに一キロほどの上り坂が待っている。
 あがって、おりて、またあがって……、その先の芦ノ湖にて箱根関所南の交差点を右折したところに往路の終点、栄光のゴールテープが待つ。

 山を駆けるのと平地を駆けるのとはまるでちがう。
 そして上り坂と下り坂をうまく走るのにもまた技術がいる。
 上り坂では足の裏全体を使ってしっかりと大地を捉えて歩幅は小さく。やや前傾姿勢となり自然と足が前に出るように意識する。チカラまかせに足で体を押しあげるのはダメ。腕は少し大振りなぐらいがちょうどいい。呼吸と足運びを合わせることが大事。あと腰のひねりも忘れてはいけない。このひねりがスムーズな出足を誘発し、疲労を軽減し、リズムとペースを維持させる好循環を産み出す起点となる。

 下り坂では速度が乗りやすい分、自制が必要。正しいフォームと体の使い方を守らないと、たちまち関節や筋肉に負荷がかかって、故障の原因となりかねない。かんちがいをしてはいけない。下り坂は重力を利用して極力体力を温存しては、次に備える場所なのだから。

 ここを攻略するために己をイジメ抜き、肉体改造に励んできた猛者ども。山のエキスパートらが集い、しのぎを削る区間。
 それゆえであろうか。
 ときに箱根の山が気まぐれに祝福を授けることがある。
 恩恵を受けし者を「山の神」と呼び、その神が降臨した年の駅伝はよりいっそうの白熱と熱狂を招き、そして新たな伝説が生まれる。

  ◇

 早川沿いの国道をさかのぼり第五区を五キロほども進んだところから、エンジンがずっと唸りっぱなし。
 それだけ傾斜がきつくなってきたせいだ。ならばマシンパワーにていっきに駆け上がりたいところだが、曲がりくねったコースがそれを許さない。
 箱根山に入ってから、運転席に座る瑪瑙さんの顔つきがかわった。目つきが鋭くなり、軽口に応じることもなく、左手が忙しなく動いている。シフトレバーと小刻みなクラッチ操作により、セカンドからトップギアの間をいったり来たりしては、路面状況に合わせて的確な走行を実現している。

「ラリーカーを選んで正解だったな」
「山道なんて四駆の独壇場みたいなものですからね」

 瑪瑙さんの邪魔をしないように、探偵と助手はこそこそ話。
 ちなみに四駆とは四輪駆動の略である。
 エンジンで産み出されたトルクを四輪すべてに伝えて、四輪すべてを駆動輪として用いる方法のこと。パワフルにて雪道ぬかるみなどの悪路もなんのその。
 まぁ、とどのつまりはミニ四駆のオモチャでお馴染みのアレのことだ。

「……のはずなんだが、がんばるなぁ、火車お七」
「レディースのチームを率いているのは伊達ではないみたいです」

 褒めていたのは、いまだトップを譲らない火車お七が化けているのはメルセデス・ベンツSSKっぽいクラシックカー。
 旧式ゆえに本来であれば六気筒にて時速二百キロそこそこしかでないはずなのだが、とてもそうは見えない走りっぷり。おそらく外部のデザインだけを拝借して、中身は別物にカスタムされているのだろう。
 とはいえ優雅なフォルムゆえに、山道などの悪路には不向きなのはいなめない。
 その証拠に、ひとつカーブを曲がるたびにチーム尾白は、トップとの差を順当に縮めていたのだから。
 どうやら瑪瑙さんはこのまま火車お七の背後にはりつきプレッシャーをかけながら、下りとなったところでいっきに仕掛けるつもりのようである。
 だがしかし……。

「やはり来ましたか」と瑪瑙さん。

 バックミラーに映っていたのは二台の車両。
 赤い流星のタカシと黒鉄の幽霊が上り坂をものともせずに猛追!
 少し遅れて黒い三連星の姿もあった。


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