おじろよんぱく、何者?

月芝

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696 デコトラ

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 高月をきわきわの方にまで南下すると、荒涼とした風景が広がっている。
 中央からは距離があり、周囲に民家もなく、市バスの経路にも含まれておらず、利便性は悪い。ゆえにみな素通りするばかりにて、都市開発から取り残されてひさしかった区画。しかしいちおうは国道沿いということもあり、ぽつぽつとボロっちい倉庫なんぞが点在していた。あまりの寂れ具合にカラスも寄りつきやしない場所。
 そんな雰囲気を一変させたのが、デデンとそびえ立つ巨大物流倉庫。
 灯りが絶えることはなく、いつも大型トラックがせわしなく出入りをしている。
 近隣随一の存在感、群を抜いての規模と威容を誇る。
 ゆえにいつの頃からか「不夜城」と呼ばれるように。
 ちなみに草野球チーム・リアルベアーズのメンバーらのほとんどが、ここに勤務している。
 しかし、よもやそこのトップが妖艶な人魚さんだとは、誰が予想しえたであろうか。

「というか、ここ、ばりばり内地なんですけど。ふつう人魚といえば海辺じゃないの?」

 おれが率直な疑問をぶつけると、「ほほほ」と上品に笑う人魚さん。

「いやだわ、探偵さん。いつの時代の話をしているのよ。いまどきキラー衛星がぶんぶん頭の上を飛び回り、パソコン一台でサイバー戦争を仕掛けられるご時世なのに」

 本当にそうなのか? だからとて魚が陸にあがるのはまたちがうような気がせぬでもない。
 おれは首をかしげるも、瞬間、ぶるるとカラダが震えた。
 おっと、忘れていたが、おれは尿意により目を覚ましたのであった。
 昨夜はしこたま飲んだもので、いよいよ膀胱がピンチ。
 だもんで「ちょっとトイレを借りたいんですけど」と言えば、「あっちよ」と親切に教えてくれたもので、さっそく広くてふかふかのベッドから抜け出して向かおうとしたのだが……。

「あらぁぁぁぁ?」

 ベッドから一歩踏み出したら、床がなかった。
 かわりにあったのは水。
 あいにくとおれはアメンボではないので、当然ながら水の上なんぞは歩けない。
 ドボンと盛大に落ちる。ちべたい、深い! 足がちっとも届かない。沈む。
 すぐさま両腕をバタバタ、水をかいて浮上しようとするも濡れた衣類が邪魔をして、うまく泳げない。いや、ちょっと見栄をはった。本当は、それがなくてもうまく泳げない。おれは基本的に運動全般がいまいちなのである。
 でもって遅まきながら、この部屋そのものが巨大な水槽であることに気がつく。
 さっきまで寝ていたのは中央に浮かべられていたエアーベッドであったのだ。どおりでふよふよ頼りないはずだよ、ゴボゴボゴボゴボ……。

  ◇

 しこたま水を呑み、意識朦朧となっていたところを救ってくれたのは人魚さん。
 いや、もとはといえば彼女せいでこうなったのだから、とんだマッチポンプ?
 とか考えていたら、ぐったりしているおれの顔へと近づいてくるのは、人魚さんの美貌。
 はっ、まさか、全野郎どもの憧れ、美女による人工呼吸なのか。そんな、いきなりは困る。こっちにも心の準備というものが、ドキドキドキ。
 なんぞいう男の下心は、直後に振るわれた往復ビンタによって粉砕された。
 人魚さん、起こし方がとってもワイルド。

 顔をぱんぱんに腫らしたおれ。おかげで目は覚めたものの、すでに尿意は失せている。
 いろいろあって、しれっと水の中でやっちまった。
 だから素直に「ごめんなさい」とあやまったら、人魚さんは「気にしなくていい。私もたまにやってるし」と言った。

  ◇

 おれの中にあった人魚像を早々に木っ端みじんにしたこの女性、名前を乙姫さんというそうな。
 あの浦島太郎で有名な竜宮城の乙姫さまと関係があるのかどうかは「ヒ・ミ・ツ」とのこと。
 でもって人魚ってのは妖の類ではなくて、れっきとした海の種族。
 陸でいうところの鬼たちみたいなものにて、人魚は人魚という生き物なんだと。
 ちなみに深海の奥底には人魚の大帝国があって、虎視眈々と星の覇権を……。

「とまぁ、そんなことはべつにどうでもいいのよ。じつは尾白名探偵の腕を見込んで、ちょっと頼みたいことがあってね」
「いやいやいや! 深海の大帝国とかめちゃくちゃ気になるんですけどっ。あと仕事の依頼ならふつうに電話なりメールをくれたらいいじゃん! なんかまわりくどいっ」
「そんなにかっかしないで。じつはことがことだけに、あんまり表沙汰にはしたくなかったのよ」
「……えーと、それってけっこうヤバめの内容だったりします?」
「いまのところはそうでもないわ。けどことと次第によってはラグナロク計画が前倒しにされて、最悪、海底大戦争になっちゃうかも」
「めっちゃ、責任重大! 街の探偵屋さんには荷が重いっ。他を当たって!」
「えー、でも知り合いに相談したら、あなたに頼むといいって」
「誰だよ、その迷惑な知り合いって」
「南禅寺照庫寅くん」
「むっきー、デコトラかぁーっ」

 南禅寺照庫寅(なんぜんじでことら)。
 ごてごて電飾で飾ったトラックみたいな名前の彼は、南禅寺一党を率いるいまの頭領。都のタヌキ界のみならず動物界にも顔が利く男。京の都のタヌキたちの仕切り役でもある。愛妻家の子だくさんでも有名にて三男六女のおとっつあん。
 なお下から二番目の八葉には、以前に芽衣がカラス天狗どもとひと悶着を起こしたときに、世話になったこともある間柄。

 ちくしょう、やられた。デコトラの野郎め、紹介のていをとって厄介ごとをこっちに丸投げしやがった。


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