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其の六十四 飛び首と暴れ胴
しおりを挟む「がぁあぁあぁぁぁぁぁっ」
血反吐を吐きながら、どうにか藤士郎を引き剥そうとする妖白猿。
意地でも離れまいと小太刀を握る手にいっそうの力を込める狐侍。
雅藍と藤士郎はまるで抱き合うようにして、瓦屋根の上を転がり落ちていく。
ついにはそのまま軒先から宙へと。
これに驚いたのが屋根の上の様子を見ていた加賀藩の者ども。
いきなりそんなものが降ってきたもので、あわてて蜘蛛の子を散らす。
直後に、どんっ!
鈍い音がしてもうもうと土煙があがる。
絡まったまま地面に落ちた妖白猿と狐侍。
この時、下に妖、上に人となったのは天の采配か?
おかげで藤士郎は雅藍の身が盾となり助かった。
けれども雅藍はそうはいかない。落ちたはずみで背中をしたたかに打ちつけたばかりか、あろうことか深々と刺さっていた小太刀により心の臓を貫かれ、さらには刃が横滑り、首まで斬り落とされるという憂き目に遭う。
憐れ妖白猿の雅藍。首と胴体が離れ離れに……。
◇
だらりと舌を出し、濁った白眼を見開いたままの猿首。
血だまりにて大の字になっている法衣姿の胴体。
おぞましい光景を遠巻きにし、息を呑んでいる藩士たち。
その視線の先でむくりと起きたのは藤士郎。いかに落下の衝撃を妖白猿の身が肩代わりしてくれたとはいえ、それでも勘定が足らなかったらしい。
立ち上がった藤士郎は、とたんに「あ痛たたたた」と腰をさすり顔をしかめる。槍鬼との戦いからの連戦にて満身創痍。いまにも五体がばらばらになりそう。全身が悲鳴をあげている。
藤士郎は周囲をきょろきょろ。
春姫の身をしっかりと抱いている大槻兼山の姿を発見し、ほっと安堵する。
とたんにふっと気が遠くなった。いよいよ限界か。足腰から力が抜けてへたり込みそうになった。
だがしかし、そこで天から語気を強めた声が降ってくる。
「まだだ! 藤士郎っ」
銅鑼であった。
遠のきかけていた意識が急激に現実へと引き戻される。
背後に蠢く怪しげな気配。
ばっと藤士郎が振り返れば、目の前に迫る牙、雅藍の首による襲撃っ!
なんという執念、いや、恨みの深さか。
このような浅ましい姿となってもなお諦めず、怒りをぶつけてくるだなんて。
とっさに小太刀にて払う藤士郎。鳥丸の切っ先がたまさか右目を裂いたもので、猿首は「ぎゃぁ!」と悲鳴をあげ、いったん飛び退る。
しかしその動きが速い。飛び首となった雅藍は、まるで燕のように空を駆けている。
見失えばやっかいなことになる。だから懸命にその姿を目で追う藤士郎。
だがそのときのこと。突如として横合いからがつんと強い衝撃。
藤士郎の身がくの字に折れ、大きく吹き飛ばされた。
土の上を転がりながら藤士郎が見たのは、拳を固く握り仁王立ちしている妖白猿の胴体。
飛び首のみならず、暴れ胴までもが出現!
あまりのことに周囲の者どもはろくに反応できず。
藤士郎は立ち上がれたものの、すでにふらふら。油断すると膝が崩れてぐらり、仰向けに倒れそうになる。いまひとつ踏ん張りが利かない。
けれどもそんな狐侍の背をうしろから支える者がいた。
誰かとおもえば大槻兼山であった。
「おいおい、かりにも儂に勝った男が、そんな様では困る」
古強者は愛槍を手に不敵な笑みを浮かべる。
「胴体の方は儂が引き受けよう。おぬしはあっちのぶんぶんと小うるさい方を頼む」
土壇場で心強い味方を得た狐侍、うなづきつつ雅藍の飛び首へと立ち向かう。
◇
一方で加賀藩邸の上空にいた有翼の黒銀虎。
眼下の戦いの様子を気にしつつも、駆けつけぬのにはちゃんと理由があった。
此度の一件、あくまで人の手で決着をつけさせようという意図もさることながら、この場面で大挙して飛来した天狗たちのせいである。
隠れ里から行方知れずとなっていた幼子。その行方を血眼になって探していた彼ら。銅鑼と藤士郎によって蔵から助け出され、無事に空へと逃げたところを幼子は発見される。
幼子の無事を喜んだ天狗たち。けれども行方不明となっていた間の話を聞くほどに、みるみる眉間に深い皺を刻み、顔色を変えていく。もとから赤かった肌色が、いっそう赤くなる。
怪しい僧に捕まり、人間らの手により蔵に閉じ込められていたと知って激怒したのだ。
「おのれ! 無礼千万っ。なんたる不敬! 人間風情が、ようも思い上がったわっ!」
そうして怒りのままに天誅を下すべく、やってきた次第。
銅鑼はそれを止めていたのである。
「そこをどけ、我らはどうあっても天狗の威を示さねば気が済まぬのだ」
猛る天狗たちを「どうどう」となだめる銅鑼。
「まぁ、落ちつけって。たしかに今回、人間たちはずいぶんとしくじった。だがそれもこれも猿の妖に騙されてのこと。いまはそのしくじった分をどうにか挽回せんと体を張っている。なぁに、それをもって許してやれとは言わんよ。だがせめてけりがつくまで待ってやっちゃあどうだい? 天誅とやらを下すのは、この結末を見届けてからでも遅くはあるまいよ」
妖と人とでは時間の流れがちがう。百や二百はまだ赤子、三百なんぞは洟垂れ小僧、五百を越えてようやく一人前、さらに千や二千と歳月を重ねていっぱしの大妖といったところ。
悠久にも等しい刻の中を生きる妖。
比べて人の生のなんと儚いことか。やたらと短いうえに、すぐ死ぬ。
それを懸命に燃やしている寸の間すらも、天狗は辛抱できないのか。
長くて立派なのは鼻だけか。持ち合わせる度量はお猪口(ちょこ)ぐらいの小ささか。
そうまで言われては天狗たちも「ぐぬぬ」
天狗たちの傲岸不遜な性質を逆手にとって、舌先三寸で丸め込んだ銅鑼は、にへらとほくそ笑む。
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