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其の二百三十三 勝守の鈴
しおりを挟む花のお江戸は本所深川、その隅っこにあるのが柳鼓長屋だ。
もとはちがう名前だったらしいのだが、ある出来事があって以降、こう呼ばれるようになったという。
まめに掃き清められているらしく、小綺麗にされてはいるが見た目はどこにでもある、ごくふつうの長屋である。
けれども、木戸を潜って奥の突き当りにまで進むと一本の柳の木が生えており、その脇には祠が祀られている。
この柳……、じつは狸が化けたものと伝わっており、なむなむ手を合わせて願い事を念じつつ、幹を叩いて「ぽんっ」と鳴れば願いが叶うとか叶わないとか。
ゆえに柳鼓と呼ばれている。
そして隣にある祠は、この由来を面白がった当時の住人の大工がちゃちゃっとこしらえたもの。すると別の大工の住人が張り合って「だったらおれも」と作った手慰みが、ご神体のたぬきの彫り物であった。
箱と中身が揃うと、なにやらありがたみを感じるもので、木ともども祠も住人たちから大切に守られてきた。
しかしこのたぬきのご神体、ちょいと困った癖がある。
いつの頃からか――。
「ちょいちょい、勝手にいなくなるんだよねえ」
妙ちきりんなことをお花が言い出したもので、藤士郎は「へっ?」と素っ頓狂な声をあげた。
聞けば、ご利益を信じて……。あるいはそこそこ古い品なので値打ちもの? もしくは好事家に売れるかもしれない。
なんぞと考える不心得者に盗まれること十指ではとても足りぬ。
だが不思議なことに、しばらくすると人伝にひょっこり帰ってくる。だいたい十四、五日ぐらいで。
ほかにも、ふつりと煙のごとく消えていることもある。
かとおもえば、いつのまにやら戻っているというから、驚きだ。
「本所七不思議より、よっぽど奇妙じゃないか! なのにそんな話、ちっとも知らなかったよ。にしてもお花ちゃんは、よく通りすがりのわたしがたぬきの彫り物を持ってるってわかったね」
「あー、それは婆ちゃんゆずりの力のおかげかな。すぐにぴんときたんだ」
「お婆さまゆずりの力?」
「うん、あたいの婆ちゃんってば、その筋ではけっこうな有名人なんだよ」
「えーと、その筋って、ひょっとして裏稼業の元締めみたいな……」
ここのところ、なにかとそっち方面とかかわる機会が多かった藤士郎は、つい眉根を寄せ警戒心もあらわとなるが、お花は「あっはっはっ、ちがうちがう」と手を振り、これを笑い飛ばす。
お花の祖母は、名の通った払い屋なんだそう。怪異相手に「えいや」と塩をまけば、たちまち追い払ってしまう凄腕なんだとか。
とどのつまり知念寺の巌然和尚のご同業ということである。
◇
お花に案内され、藤士郎は長屋の奥へと到着した。
「よいしょ」
ぴんとつま先立ちにて祠の格子戸を開けたお花に促されるままに、藤士郎は懐から取り出したたぬきの彫り物を中に納めたのだが、その時のことであった。
たぬきの彫り物の首からさげられている鈴に気が付いたお花が首を傾げる。
「あれ? この鈴……、もしかして『勝守の鈴』じゃないのかな。こんなものどこで拾ってきたのかしら」
勝守とは、さる神社の分社のことだ。
場所はここ深川の北隣、本所は吾妻橋の近くにあって、山の神様である「大山祇命」と、勝負の神様である「建御名方命」が一緒に祀られている。
そのため、あらゆる勝負事にご利益があるというので、博徒らが賭場通いの前に、こぞって参拝に訪れている。
その分社で人気なのが「勝守の鈴」という御守り。
まんま鈴の形をした御守りにて、嘘か誠か、こいつを身に着けておけば勝負運がぐんぐん鰻のぼりになるそうな。
でも一日限定三十しか売りに出されないので、毎度、争奪戦が勃発してはけっこうな騒ぎになっているんだとか。
賭け事とはとんと縁がない藤士郎も、そのような鈴があることは知っていたが、実物を目にするのは初めてであった。
だから、しげしげ眺めていると、たぬきの彫り物の首から鈴をはずしたお花が、それを藤士郎へ投げて寄越す。
「ついでだから、お兄さん、帰りがてらその鈴を分社に返しておいて」
お守りは授かった寺社に返納するもの。
たぬきのご神体がわざわざ連れてきたということは、適当に処分してはいけないということなのであろう。
「えっ、わたしがかい?」
「そうよ。だってあたいはまだ子どもだもの。博徒どもがたむろしているところになんて、行けるわけないじゃない」
「うっ、たしかに」
「じゃあ、そういうことで、よろしくね」
にっこり笑うお花、まだ幼いというのに随分と押しが強い。これもまた祖母の薫陶ゆえか。
こうして半ば押しつけられるようにして鈴を預かることになった藤士郎は、柳鼓長屋をあとにして本所にある分社へと向かった。
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