狐侍こんこんちき

月芝

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其の二百六十七 怪火

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 江戸の町より活気が失せて、すっかり寂しくなっている。
 血祭り炎女事件のせいだ。
 しきりに怯える娘たち。これを笑ってうそぶいていた男たちであったが、どうやら男女のみさかいなく襲われるらしいと知るやいなや、とたんに引っ込んだ。
 誰だって我が身が可愛い。首を斬られて、血飛沫をまき散らしながら、焼かれて死ぬのなんてまっぴらごめんである。
 そんな事態を一刻も早く打破すべく、定回り同心の近藤左馬之助ら町方の者たちが、真相究明に奔走している一方で、九坂藤士郎は日々内職に明け暮れていた。

 藤士郎が自室にてせっせと写本仕事に精を出していると、開け放たれている障子戸から一羽の小鳥が入ってきては、ちゅんと鳴く。
 よくよく見てみれば、それは紙の鳥であった。
 陰陽術の式神である。
 そしてこんな器用なまねができる者を、藤士郎はひとりしか知らない。

「おや、堂傑さんの式神じゃないか。ということは、またぞろ巌然さまから急の呼び出しかな。どれどれ」

 手まねきすれば、紙の小鳥がひょいと藤士郎の腕に留まる。
 するとたちまち鳥の形がはらりと崩れて、二つ折りの紙になった。
 さっそく開いて目を通そうとしたところで、「なにやら妙な気配を感じたが」と縁側より顔を出したのは、でっぷり猫の銅鑼だ。
 巌然和尚はふだんは遣いとして寺の小僧に文を持たせる。
 この小僧、成りはまだ子どもだがたいそうな健脚の持ち主にて、だいの大人でもひいこら泣き言をいうほど急なくらやみ坂の悪路をものともせずに、ひと息に駆けのぼっては、さっさと遣いを済ませて休む間もなく飛んで帰る韋駄天小僧だ。
 それよりもなお速いのが、堂傑の式神である。
 が、これを使う時は決まって緊急性を要する時である。
 ゆえに何事かと興味津々な銅鑼といっしょに見てみれば、こんなことが書かれてあった。

『火急にて、すぐに知念寺まで来られたし。巌然』

 巌然和尚は歩く仁王さまとの異名を持ち、お経を読んでいる時間よりも肉体を鍛えている時間の方がずっと長い人物。その法力は凄まじく、妖退治で知られている名僧でもある。
 走り書きされた文字からは焦りが滲んでいる。
 これは只事ではない。
 藤士郎は銅鑼を連れて、すぐさま知念寺へと向かった。

  ◇

 参拝客はまばら。閑散としている門前通り。
 おみつの茶屋も珍しく閑古鳥が鳴いている。
 それを横目に先を急ぐ。
 知念寺へと到着した藤士郎を待っていたのは、すでに出かける準備を整えていた巌然和尚である。
 顔を合わせるなり「鳥丸は持ってきたか?」と言われて、いささか面喰らいつつも藤士郎はうなづく。
 鳥丸(からすまる)は藤士郎が愛用している小太刀である。
 ちゃんと腰に差しているのを、ちらりと確認しうなづいた巌然和尚は「では行くぞ、ついて来い。細かいことは歩きながら説明する」とさっさと歩き出した。
 ずんずん遠ざかる大きな背中、藤士郎と銅鑼は慌ててこれを追いかけた。

 真っ昼間にもかかわらず町中も閑散としており、道行く人の表情は暗く、ひゅるりと吹く空風もどこか寒々しい。
 早足にて歩きがてら巌然和尚より聞かされたのは、これから向かう場所と用向きについて。
 向かうのは廻船問屋の瀧本屋、用向きはそこの娘とよを保護することである。
 だが巌然和尚がどうしてこれほど慌てているのかという理由を知って、藤士郎はぎょっとなる。

「とよはひどく怯えて取り乱しておってな。まともに話もできないほどとか。どうやら、とよは例の一件に関わっているらしいのだが」

 例の一件とは巷を騒がしている「血祭り炎女事件」のことである。
 とよは死んだ三人の娘たちとは仲が良かったらしく、よく連れ立っては遊びに出かけていたらしい。
 それで次はきっと自分の番だと半狂乱に陥っているそうなのだけれども……。

「だったら坊主よりも先に奉行所なのでは?」

 と、藤士郎は首をかしげる。
 身に覚えがあるのならば、正直に何もかも白状して庇護を求めればいい。
 それをいきなり坊主にすがる意味がわからない。

「あぁ、それか。それは瀧本屋の中で不審な出来事が多発しているからだ」
「不審な出来事?」
「なんでも青白い顔をした若い女の幽霊がうろついているんだとか。あとは怪火でたびたび小火(ぼや)騒ぎが起きて、おちおち寝てもいられないとも」

 そのせいで、とよはますます追い詰められており、家や店の者らもほとほとまいっているそうな。
 これを鎮め調伏し、とよの身柄を知念寺に運ぶ。
 あそこであれば強固な結界が幾重にも施されているし、神仏の守りもあるから安心だ。
 けれども道中に不安がある。
 なぜなら前回の事件、舟宿伊根屋の娘のお真砂が怪死してから、今日でちょうど七日目にあたるから。

「あくまでわしの予想だが、話を聞いた限りでは家での怪異は、とよを表へと誘き出すための罠だろう。かといってこのまま篭っていれば、小火が大火となり、家族や店の者どころか近所や一帯をも巻き込みかねん。だから娘の身柄をうちに移す」

 だとすれば、店から寺までの道中、きっと何かが起こる。
 とどのつまり、藤士郎は用心棒というわけだ。

「聞けば、おまえも一度、煮え湯を飲まされているのだろう? ちょうどいいからしっかりやり返してやれ」

 なんぞとけしかける巌然和尚に、藤士郎は迷惑そうな顔をし、銅鑼は「へっ」と鼻を鳴らした。


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