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其の三百十五 一柱 炭
しおりを挟む逃げた「お犬さま」を放置すれば、変事は六兵衛長屋だけに留まらず、ゆくゆくは江戸市中に広がる。
そうなる前にすみやかに回収する必要がある。
とはいえ相手は御眷属様である。腐っても神獣、特異にして神出鬼没、どうやって捕まえたらいいものやら。藤士郎にはまるで見当もつかない。
しかし堂傑は「自分に考えがあります」と言った。
「解決の糸口は、さっき差配さんが教えてくれましたので」
いっしょに話を聞いていたはずなのだが、藤士郎にはとんと思い当たるふしがない。
不思議がる藤士郎に「まぁ、見ていてください。つきましては用意したいものがありまして」となにやら自信ありげであった。
◇
あれこれ準備を整えるために奔走していたら、あっという間に日が暮れて――。
はや、その日の夜更けとなった。
三葉の婆さんの部屋の裏手、長屋のみんなが洗い物を干したりするのに使っている共有の空き地にて、繁みに潜んでいたのは堂傑と藤士郎である。
視線の先には封を切った炭俵が三つ、地面に置かれている。あれは「お犬さま」を誘い出すための餌だ。
最初に確認された黒い獣は、夜も遅くに長屋の一室に忍び込んでは、ばりぼりと炭を喰らっていたという。
人にもいろいろ好みがあるように、「お犬さま」にも好みがある。
どうやら黒い奴は、夜間に動き、炭が好物であるらしい。
差配から聞いた話から、堂傑はそう見当をつけた。
するとその狙いはどんぴしゃ、大当たり!
ふたりが見ている前で、闇がぬらりと動く。
どれだけ目を凝らしても姿は見えない。けれどもたしかに気配を感じる。景色が少し歪んでおり、透明な何かがそこにいるのがわかった。
それはのそりのそりと炭俵へ近づくなり、頭を突っ込んでは、ばりぼりばりぼり……。一心不乱に炭を貪り始めた。
豪快な食べっぷり。よほど腹が減っていたのだろう。みるみる炭が減っていく。
それに合わせて透明であった体が、じょじょに浮き上がってくる。
大きな黒い狼。
いや、より正確には狼らしき獣と言うべきか。お稲荷様と狐みたいなもので、人の目には同じように映るが、厳密には違うみたいな。
にしても、えらく食いつきがいい。
さすがは打てば響くことから炭琴とも称される、上物の信州炭だけのことはある。けっこう値が張ったが、用意した甲斐があったというもの。
黒の「お犬さま」はすっかり炭俵に夢中になっている。
いまなら背後から近寄って、簡単にふん縛って捕まえられそう。
なんぞと藤士郎が考えた刹那、ぎょろりと動いたのは「お犬さま」の目である。
「えっ、いまこっちを見たの! 隠れているのがばれた?」
驚く藤士郎に、はっとした堂傑が「いけません、九坂さま。余計なことは考えないでください」と慌てて嗜める。
俗世に取り残された「お犬さま」は、かなり神経質になっている。とくに害意の類にはとても敏感だ。いらぬことをたくらめば、たちまち看破される。
堂傑より注意されて、藤士郎はいまさらながらに「お犬さま」を怖いとおもった。
なにせ距離を取っていてもなお、こちらの心が読まれるのだ。苦もなく気取られる。まともに対峙したらどうなることやら。
おっと、これもまた余計なことだ。
いかに剣客の性とはいえ、ついどう戦うか、どう倒すかなどを考えてしまう。
藤士郎は「いかんいかん」と頭の中から雑念を振り払う。
◇
次第に黒の「お犬さま」の食べる勢いが落ちてきた。
腹が膨れてひと段落したのであろう。
頃合いを見計らって、ひとり前へと出たのは堂傑である。
「お犬さまをあまり刺激したくありませんので、自分がいきます。九坂さまはそこに居てください」
堂傑は人化けの術を解いた。
鼬頭の僧侶姿にて「もし」と静かに声をかけた。
これに反応して、黒の「お犬さま」がゆるりと振り向く。
堂傑は地面に正座をし両手をついては、滔々と御身が置かれた現状を語り聞かせた上で、恭しく差し出したのは三峰神社の裏札である。三葉の婆さんが所持していた三体の御札のうちのひとつ。
御札を挟んで堂傑と黒の「お犬さま」は、しばし、ぼそぼそと小声で何事かをやり取りしていたとおもったら、黒の「お犬さま」の身がぐにゃりと歪んで傾き、御札へと吸い込まれるようにして消えてしまった。
どうやら説得に成功したらしい。
でも、とたんに堂傑の身がぐらりとしたもので、藤士郎は慌てて繁みから飛び出す。
駆け寄り声をかければ、堂傑は全身びっしょり汗をかいており、ぐったりしていたが、命に別状はなく、藤士郎もほっと胸を撫で下ろす。
「うぅ、緊張しました。なにせ相手は神獣ですからね。自分のごとき鼬の化生には荷が勝ち過ぎていますよ」
「いえいえ、ご立派でしたよ、堂傑さん。徳を持って相手を説得する。その姿は、まるで幽海さまみたいでした」
鼬頭の堂傑は藤士郎に褒められてはにかんだ。
かくして一柱目の確保に成功する。
残りは二柱……。
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