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284 てろ

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 下校時に二人仲良く通学路を歩いていたのはミヨちゃんとヒニクちゃん。
 そんな幼女たちの足がとまったのは一軒のお店の前。
 シャッターが閉じられており、閉店を告知する張り紙。
 紙はほんの数日、外気にさらされただけでカピカピ。はやくも紫外線にて色味も黄ばみはじめており、端っこがペロンとはがれている。

 ここは蕎麦屋だったお店。
 先代のころは手打ちそば、それも年がら年中、ザルのみで勝負するというムチャな経営を通していたのですが、時代の波がそれを許さない。
 どんどんと舌が肥えていく客、増えるライバル店、下がる商品価格に上がり続ける原料や光熱費。そして巷にあふれる紛い物。
 なんちゃって蕎麦が大手をふってまかり通る世の中にて、悪銭が良貨を駆逐するかのようにして、ドンドンと肩身が狭くなっていく本物を提供するお店。
 それでも妥協を許さない職人気質な店主の腕に惚れこんで、通い続けた常連たちのおかげで、先代の頃はなんとか経営が成り立っていた。
 だが二代目となった頃から、とたんに雲ゆきがあやしくなる。
 大学出にて海外に留学経験もあり、きちんと経営学やらいろんな学問を詰め込んだ立派な頭の息子さん。
 頑固一徹なんて、いまどき流行らない。これからはIT化だの、効率化だのとガシガシ好き勝手にやりだした結果、常連たちはまたたく間に離れてしまった。
 息子さんとしてはゆくゆくはフランチャイズ化とかチェーン展開なんぞも考えていたようですが、それが果たされることはありませんでした。
 そこまで行くこともかなわず、早々にお店がつぶれたからです。
 それも仕方がありません。だって息子さんはお客さんのことも、従業員たちのこともちっとも見ていなかったのですから。
 彼が熱心に追っていたのはパソコン画面の中の数字ばかり。
 数字のためにこれまで付き合いのあった問屋を切り、取引のあった農家を切り、ずっとお店を支えてくれていたお客を切り、苦楽をともにしてきた従業員をも切る。
 経営者として利益を追求することはわるいことではありません。
 ですが数字をただの数字としてしか見れなかった彼はあまりにも若かった。
 根拠のない自信、自身の頭脳を過信し、己はかしこいとうぬぼれていた。
 それはきっとその通りなのだろうが、かしこい人間がかならずしもすぐれた経営者になるわけじゃない。

 そのイチという数字の背景にある意味を考えなかった。
 そのジュウという数字が何によって生み出されているのかに想いを馳せなかった。
 そのヒャクという数字は、、他のヒャクと見た目は同じでも中身がまるでちがうことを理解する努力を怠った。

 そしてヒニクにもこのお店にトドメをさしたのは、彼が推進した人事とIT機器。
 正社員を排除して、すべてアルバイトにまかせて人件費を極限までしぼる。
 当然のごとく人員もギリギリ、現場への負担がつらつら降り積もる雪のごとく増していき、心の堰の限界を超えたとき、パンドラの箱が開かれる。
 インターネットに投稿された悪質動画。
 営業後に、厨房にて悪ふざけに興じるアルバイトたち。
 その映像が流出、たちまち場所が特定されて、あとは坂道を転げ落ちるどころか、飛行機からダイブするかのごとく急降下にて、お店は立ちゆかなくなり、御覧の通り。

 後に残ったのは多額の負債。
 原因となったアルバイトたちと裁判で係争中とのウワサを耳にするけれども、賠償額なんてたかが知れているだろうとのこと。

「こういうのってバイトテロって言うんだって」

 やたらと閉店事情にくわしいミヨちゃん。なにせ彼女には強力なお年寄りネットワークがついているので、街で起こったたいがいのことについては知りうる立場にある。
 蕎麦屋の先代とは微妙に生きている時代がズレており、直接の面識はないけれども今でもその腕を懐かしんでいる老人仲間たちはおおいそうな。

「おばあちゃんとか、やっこ姉さんは食べたことあるって言ってたけど。あーあ、わたしも食べてみたかったなぁ」

 そう言ったミヨちゃん、ちょっとしんみり。
 するとおもむろにヒニクちゃんが口を開いた。

「バイトテロは造語」

 傾奇者とか、つい悪ふざけしちゃう若者は昔からいたらしいけれども、
 これを非正規雇用の待遇に問題があるからとかいう社会問題にするのは、
 ちょっとちがう気がする。根本は個人の倫理観の問題だと思うの。
 ……なんぞと、コヒニクミコは考えている。


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