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67 巣立ち
しおりを挟む翡翠(ひすい)のオオカミのラナが、夜の闇の中にて、かりそめの華やかな姿をさらしている都と西の森の魔女との物語を語り終える頃。
すでに遠くの空が白々とし始めておりました。
「ここがエライザさんが住んでいた国だったんだね」
話に耳を傾けていたルクが、ちょっとさびしそうにつぶやきました。
「あぁ、そして大事なモノを見失い、自ら大切なモノを手放した連中は、ほどなくバツを受けることになる」
「バツ?」
「ほら、そろそろ明るくなってきたから見えるだろう。都の周辺をよく見てみな」
ラナに言われたとおり、目をこらして見てみると、そこには湿地を利用した畑らしき姿があります。
この湖では昼は水があるのに夜になると消えてしまう。どうやら日中は水に沈んでいるらしくて、気づけなかったみたい。
キュバスという植物は、かなりかわった環境にて育つようです。
ですが畑はずいぶんと荒れているように、ルクの目にはうつりました。
「いくら強い植物といっても、完全にほったらかしていたら、そりゃあ枯れもするさ。富をもたらす宝もじきに失われる。そして連中にはこれを生き返らせる術はない。なにせ賢人はもういないからね。しかも……」
魔女が去ったことにより、この土地に施されていたささやかな魔術の効果も、とっくに切れているそうです。
じきにまたカビとキノコだらけになるだろうと、ラナは言いました。
彼女の話を聞いて、西の森の魔女エライザのことを知り、ますます人間という生き物がわからなくなってしまったルク。
かつて霧のオオカミのハクサも、地の国の人間の不可解さについて言及しておりました。
ティア姫や勇者たちと接し、いいニオイがする人たちがいると知りましたが、同時にイヤなニオイがする人たちが多いことも知りました。
会う人、知る人によって、あまりにもちがい過ぎる。このことにルクは頭を悩ませます。
そんな愛弟子に師匠は語りかけます。
「いそいで答えをだす必要はないよ。ここを見せたのは、おまえに欲望のおそろしさを知っておいてもらいたかったからなんだ」
「よくぼうの、おそろしさ?」
「そう。なにも人にかぎったわけじゃない。魔法使いの中にも白銀の魔女王みたいなヤツがいる。ケモノの中にだって小狡いヤツはいる。欲望ってヤツはね、そこいら中に落ちているんだ。歩いているといやでも目に入るぐらいに、たくさんたくさん。生きていれば、つい気まぐれで拾うこともあるだろう。だけど抱えきれないぐらい拾っちまうのはダメだ。こうなると、もう一歩も動けなくなってしまうから。ここまではわかるかい?」
「うーん、なんとなく。とりあえずあんまりお腹いっぱいには、ならないほうがいいってことかな」
「フフッ、お腹いっぱいか……。なんともルクらしいね。でもいまは、まだ、それでいいよ。で、とってもなんぎなことに、この欲望がまた水のようにコロコロと姿をかえるから困るんだ」
誰かに好かれたい。大切に思われたい。ダレかにとっての、かけがえのない存在でありたい。愛し愛されたいと願うのも欲望。
ダレかを守りたい。ダレかを助けたい。ダレかに勝ちたい。それも欲望。
何かが欲しい。何かを捨てたい。それもまた欲望。
善なる願い、邪まな願い、無垢(むく)なる願い……、込められた想い、色、向かう先、関係なしに根底には欲望がある。
それはみんなの中にあって、ときに一歩を踏み出す勇気を与えることもあれば、暗い闇の底へと引きずり込んでしまうこともある。
「もしもルクが欲望にのまれそうになったら、旅の中で出会った、いいニオイのする者たちを思い出すんだ。そうすればきっと迷うことはないだろう」
そう言いながら、音もなく立ち上がったラナ。
なにやら星の都のほうを、じっとにらんでいます。凛とした雰囲気が強まり、まとっている空気がかわりました。
滝つぼの深淵のような碧さを持った瞳にて、見据えていたのは黒いまだらオオカミっ! ずっとラナが探し求めている相手の姿が、城壁の上に。
向こうもこちらをじっと見つめています。
しばらくすると、先に視線をそらしたのは黒いまだらオオカミ。きびすを返すと壁の向こうへと姿を消しました。
「ルク、あんたとの旅はここまでだ。とりあえずひと通りの修行はつけた。よくがんばったね。おまえは、もう、いっぱしの御使いの勇者さ。私はヤツを追う。縁があったらまた会おう」
「あっ、ラナ!」
ルクが名前を叫んだときには、すでに翡翠(ひすい)のオオカミは駆けだしていました。
緑の突風が吹きぬけるかのように、水がもどりはじめた湖面を渡っていく。
あっという間に星の都にまでつくと、そのままの勢いにて城壁の向こうへと消えてしまいます。
水色オオカミの子どもは、遠ざかる彼女の背中を、ただダマって見送ることしかできませんでした。
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