水色オオカミのルク

月芝

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219 レクトラム、若き日の肖像。その1

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 微睡の中に浮かぶは過ぎ去りし日のこと。
 まだ若く、幼く、世界が色をなして見えていたあのころ。
 だがココロのうちにわくのは懐かしさなどではなくて、じわりとした痛み。
 真っ白な世界の中にポタリと落ちたひとしずくの黒い何かが、染みとなり、それがじょじょに広がっていく。いっそのこと漆黒に染まればいいものを、ところどころがにじみ、色むらが。まだら模様になって、なんと汚らしく見苦しいことか……。

 だれもがわたしの美をたたえる。
 だれもがわたしの才能をたたえる。
 だれもがわたしのチカラをたたえる。

 幼いころより、周囲の者たちはわたしを天才だとほめそやしていた。
 だからわたしも自分は天才なのだとおもい、持つ者にふさわしい人物になろうと、だれよりも努力を惜しまなかった。
 でも自分のそんなおもいが、ただのかんちがいであったとおもい知らされたのは、わたしがはじめて師となるべき存在と顔をあわせたときのこと。
 腰もすっかり曲がっており、顔はシワだらけ、肌には染みが目立ち、かろうじて残っている頭の毛は縮れており、色は踏みあらされたドロまみれな雪のよう。
 ヨボヨボのサルがローブを着て杖を持っているようにしか見えない男。
 それが歴代最強と云われた魔法使い。
 真の天才を目のまえにしたとき、わたしはすぐに自分との格のちがいを理解した。
 純金と金メッキどころの差ではない。
 地の国の住民たちがいくら望もうとも、天の国にはけっしてたどり着けないのと同じ。
 どれほど太陽に焦がれたところで、いくら手をのばしても届かないのと同じ。
 わたしはメッキですらもなかった。
 己が行きつく先が見えてしまった。いやがうえにも限界がわかってしまった。
 それがこのわたし、レクトラムという名の魔女のはじめての挫折。

 師に弟子入りして、多くの若い魔法使いらと机をならべて、ともに学ぶ日々。
 彼はこの中より自分の後継者を選ぶと公言しており、それすなわち彼がたくわえた英知の結晶を受け継ぐということを意味しているので、学び舎にはつねに水面下にて緊張感が漂っていた。ここにきている時点で、みな「われこそは」という自負を大なり小なり持ち合わせていた。
 ここでもやはりみなわたしをほめる。
 その美を、その能力を、その才能を、ほめそやす。
 後を継ぐのはわたしこそがふさわしいと口にする者までいた。
 事実、わたしはここに集ったどの弟子よりもデキがよかった。
 だがわたしは知っている。
 老いによりしょぼくれた師の瞳が、ただの一度たりとも、まともにわたしの顔を見たことがなかったことを。
 真の天才の目には、わたしなんぞは、そのへんに落ちている石ころとかわらない。
 それがわかっているからこそ、周囲の礼賛がいっそうの空々しく感じられて、わたしのココロを凍てつかせていく。

 どこの世界にも変わり種というモノがいる。
 容姿は冴えない黒髪黒瞳の女。村娘のようなやぼったい格好に、地味な顔立ち。
 ムダに蓄えられた知識によって自然と備わる、魔法使い特有の他者を見下すような高慢さがカケラも見当たらない。
 実際に目の前で魔法を使わなければ、彼女が魔法使いだと気づくこともないであろう。
 およそ魔法使いらしくない魔女。
 エライザという名前の彼女は、しかし突出した人物であった。
 そもそもからして彼女が師に弟子入りした理由が、他者とはまるでちがう。
 みなが己が知識欲を満たすために、師の跡継ぎという立場や英知を欲しているのにたいして、エライザの目的は師が集めていた膨大な魔導書や研究資料、その中でも主に医学や薬学などに精通したモノに触れて、これを深く学び身につけること。
 後継者問題なんぞにはまったく興味をしめさず、使える魔法の種類を増やすのではなく、魔力を高めるのにアクセクするのでもなく、ひたすらそちらに邁進する。
 得意とした空間魔法にしても、それに特化した理由が「あると便利だから」というだけのこと。
 魔法使いはヒトと似て非なる種族。
 その本性は知識に飢えたケモノ。
 欲深なケモノはけっして満足することなく、周囲に転がるありとあらゆる知識のカケラを欲し、これを貪り喰らう。腹が裂けてさえも食べるのをやめようとはしない、あさましい存在。
 あらゆることを吸収して、より大きく膨らもうとする風船のような魔法使いたち。
 そんな中にあって、彼女だけはまるで尖ったトゲのよう。
 おそらく彼女はこの場に集った誰よりも、自分というモノをよく理解している。
 天才でもなく秀才でもなく、ただの凡人。
 でもだからこそ彼女が選んだのはこの道。己が内にあるすべてを、ただ一点に集中して限界の突破をはかる。
 理屈はかんたんだが、失敗すればあとには出来損ないの魔法使いが残るばかり。
 綱渡りどころの話ではない。おそろしく分がわるい賭け。
 そんなエライザに師はときおり「しょうがねえヤツだなぁ」と笑みを見せていた。
 わたしはただの一度として、彼からそんな表情を向けられたことがない。
 どれほど優秀な成績をおさめようとも、他者を圧倒しようとも、血反吐をはくほど努力を重ねようとも、ただの一度たりとも。
 エライザとの出会い。
 おそらくはそれがわたしの二度目の挫折であったのだろう。
 そして三度目にして最大の挫折を与える存在もまた、すぐにあらわれることになる。


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