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034 墜ちた槍

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 十二支族の獅族(シゾク)と言えば、祖は槍の製造にのめり込み、やがてはそれがこうじて扱いに長けるようになり、いまでは武門としておおいに名を馳せている家柄。
 その族長の嫡子として生を受けたオレことサガンは、物心がつく前から槍の稽古に明け暮れていた。
 いずれ父の後を継ぐ身ゆえに修行は厳しかったものの、どうにか期待に応えようとオレは必死にがんばった。
 創意工夫にて、やがて盾と短槍をもちいる独自の戦い方を確立してからは、周囲の誰もが「さすが」と認めるようになる。「いずれは士鬼衆として招聘されるやもしれん」とさえ言われていた。
 しかしそんな日々はあまり長くは続かなかった。
 九歳下の妹シルラの誕生がすべてを変えた。

  ◇

 獅族では女の身とて、嗜みとして槍の基礎を学ばせる。
 だからシルラが四歳になったとき、はじめて槍を模した棒を持たせた。
 大人に言われるままに棒を握り、見よう見真似にて「てしっ」と、たどたどしい気合い声にて突きを放つ幼女。
 瞬間、父の目がクギづけとなった。
 オレも妹から目が離せなかった。
 その場にいた一族の者たち、その誰もがシルラを、彼女が楽しげにふるう棒を凝視する。
 以降、誰もオレを見る者はいなくなった。
 父の興味は完全に妹へと移り、周囲の期待もまた妹へと向いた。
 いかにオレが努力を積み重ねようとも、いかに大会で華々しい成績をおさめようとも、いかに一族の栄誉を高めようとも、返ってくるのはおざなりの誉め言葉だけ。
 誰もオレのことをまともに見ようとはしない。
 それもそのはずだ。
 大人たちは見てしまったのだ。みんな知ってしまったのだ。
 ホンモノの輝きを。
 ニセモノとホンモノを並べれば、そのちがいは一目瞭然。
 イヤでもオレは思い知る。「己はしょせんまがい物でしかなかったのだ」と。
 それでも諦めきれずに足掻き続けていたのは、武人としての意地か、それとも兄としての立場ゆえかは、自分でもよくわからない。
 とっとと己の限界を悟り、それを受け入れてラクになっていれば、きっとまたちがった道もあったのかもしれない。

  ◇

 自分の中で張りつめていた何かが、プツンと切れたのはオレが二十一才の頃。
 屋敷の敷地内にある練武場にて、後進の指導に当たっていると、父より「話があるから残るように」と声をかけられる。

 夕暮れ時。迫る薄闇の中、静かになった練武場。
 灯りもともさず正座にて向かい合う父と息子。
 二人きりとなったところで告げられたのは「槍の修行はもうよい。おまえにはこれより次期族長として必要なことを学んでもらう」という言葉。
 父からの最後通牒を受けて、オレは全身の血がカッと熱くなるのを抑えられない。怒気もあらわに「なぜだっ!」と叫び、立ち上がらずにはいられない。
 本当はわかっていた。
 わかってはいたが、どうしてもそれを受け入れることができなかった。
 もしもそれを認めてしまえば、これまで己が積みあげてきたすべてがムダであったことを、まるで意味がなかったことを、認めることになってしまうから。
 父とてひとかどの武人。ゆえにオレの気持ちがわかるはずだ。
 なのにどうして、どうしてそのようなヒドイ言葉を息子に投げかけることができるのか?
 オレが激情のままに、ずっと心の内にてくすぶっていた想いを吐き出すのを、父はただ黙って聞いていた。一切目をそらすことなく。
 でもそれは、かつてオレから離れた視線が戻ってきたわけじゃない。
 オレが欲しかったのはそんな目じゃない。

「おまえの槍はしょせんその程度のシロモノであったのだ。盾を手にした時点で、わしにはわかっていた」

 声の調子こそは、物分かりの悪い息子を諭すかのように穏やかであったが、その内容はあまりにも辛辣にて残酷。
 父の双眸にありありと浮かんでいたのは憐み。

「そんな目でオレを見るな! 見ないでくれ! 見るんじゃねぇーっ!」

  ◇

 窓より差し込む最後の残光が、練武場の一点を突き刺す。
 そこには血だまりの中、動かなくなった父の姿があった。
 オレは呆然と立ち尽くし、これを見下ろす。
 流れる血にてじょじょに白さを増す骸が、闇の中にて際立つ。
 床板を伝わり広がる血が、漂うニオイが、周囲の闇をいっそう濃く深くする。
 急に腕が重くなり、オレは槍をとり落とす。
 まるで槍そのものがオレを拒むかのようにして、手を離れた。
 いや、ちがう。
 オレこそが自分の槍を裏切ってしまったのだ。
 あれほど後生大事にしがみついていたというのに、捨てるときは存外あっけない。
 なんと滑稽で、愚かなのだろう。
 自分自身にあきれ、つい口からもれたのは自嘲。
 やたらと乾いた耳障りな笑い声。
 不快でたまらないのに、それを止められない。

 どれほどの時間、そうしていただろうか。
 気づいたときには、自分の背後に明かりを持った男が立っていた。
 館に出入りを許されている行商人のフーグ。

「ご覧の通りでな。すまないが、誰か家の者を呼んできてくれないか」

 オレがそう言うと、フーグは首を横にふる。

「いいえ、それはいけません。もしもことが露見すれば、一族郎党にも累がおよぶこととなりましょう。それはきっと亡き御父上も望みますまい。ここはこのフーグめにおまかせくだされ」

 まるで許しを請うように、両膝をついてこちらを見上げてくるフーグ。
 うやうやしい態度ながら、その瞳の奥には妖しい光が灯っている。
 どうしてオレが翻意し、フーグの申し出を受け入れたのかは覚えていない。

 父の亡骸は人知れず姿を消し、練武場にあった惨劇の痕跡も煙のごとく失せた。
 その夜のうちに「たまたま視察に立ち寄った石切り場にて、崩落事故に巻き込まれて死去」という筋書きが仕立てられる。
 視察に同行していたフーグをはじめとする、複数の証言および目撃者らの存在もあって、この事故は周囲になんら疑われることなくあっさり受け入れられた。
 ほどなくしてオレは跡目を継ぎ、新たな族長となった。
 だがそれは同時に傀儡の族長の誕生をも意味していた。
 要求に応じるうちに、次第にドロ沼へとはまっていくオレとフーグの関係。
 やがてフーグより恐るべきたくらみについて聞かされたときにも、オレは特に抗わなかった。
 すでに何もかもが遅すぎる。
 あとはどこまで落ちていくか。
 ただそれだけのこと。


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