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046 呪怨暴走

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 シルラさんの戦いぶりを前にして、わたしは「ほへー」と感心するばかり。
 強いとは思っていたけれども、あれほどとは。もしも殺る気だったら一人でこの局面を打開できちゃったかもしれない。
 手の中にいる白銀のスコップ姿のミヤビと漆黒の草刈り鎌姿のアンも「あれでもう少し性格がきめ細やかでしたら」「……じつに惜しい」とぼそり。

 まぁ、なんにせよあっちも落ちつきそうなので、やれやれとわたしが油断していたら、視界の隅にて何かがガサゴソ動いているのに気がついた。
 反射的にそっちに顔を向けたわたしは「げっ!」とのけぞる。
 折れたよろずめの呪槍。
 その後ろ半分の方が、おかしなことになっている。
 まるで編まれた紐をほどくかのようにして、黒い槍身がはらりはらりとほつれてゆく。
 ほつれた一本一本が、濡れた長い女の髪の毛のようであり、それらがうねうね。

「あれは……、もしや槍が禍獣化した? そんなバカな、ですわ」とミヤビ。
「……お風呂の排水溝のアレっぽい。なんか気持ち悪い」とアン。

 呆気にとられているうちにも激しくなるうねうね。
 のみならず、何やら増殖して膨れあがっているような気がする。
 ……じゃなくって、本当に大きくなっているよ!
 うねうねが、わさわさになり、にょろにょろして、ぬたぬたな髪の毛の巨大なお化けみたいな姿になっちゃって、一同あんぐり。
 サガンとシルラさん、兄と妹の因縁対決に決着がついて、しーんと静まり返っていた現場が、一転してハチの巣をつついたような騒ぎになる。
 まんまと乗せられ、たくらみに加担してしまった調査隊の若い連中は、目まぐるしく変わる事態と判明した真実、指揮官不在ということが重なって、狼狽するばかり。
 フーグ率いる一党もまた似たような状況にて、こちらも混乱していた。
 ついでにわたしもオロオロ。
 そんな中にあって、唯一しっかりしていたのがシルラさん。

「落ちつけ、バカ者どもがっ!」大音声にてビシリと一喝。敵味方関係なく彼女は告げる。「ただちに全員、赤い海より退避せよ!」

 メスの獅子にはたてがみは生えていないはず。
 なのにその時、わたしは確かにシルラさんにそれを見た。

  ◇

 敵味方が入り乱れての退避行。
 殿(しんがり)にて、勇猛果敢に髪の毛のお化けに立ち向かうシルラさん。
 わたしも白銀の大剣の姿となった勇者のつるぎミヤビに飛び乗り、同じく漆黒の大鎌の姿となった魔王のつるぎアンを率いて、これに加勢する。
 めったやたらと斬りまくりつつ、手持ちの水筒に水の才芽のチカラを込めてシルラさんにふるまう。これで元気百倍、灼熱地獄でもへっちゃらで戦えるはず。
 が、倒しても倒してもきりがない。
 切ったはしから復活しては増殖増毛、のびて襲ってくる。

「あーん、きりがないよー」

 わたしが弱音を吐くと、ミヤビが冷静に現状を分析。

「よろずめの槍に残った呪怨が暴走しているのですわ。それが尽きぬかぎりは、いくら斬ってもムダかと」

 槍から解放された魂がたくさんいた一方で、一部がそれをかたくなに拒絶する。
 濃縮された憎しみや怒りがあまりにも強すぎたのだ。憤怒の矛先は「この世に生きとし生けるもの。そのすべて」であり、つまりは永遠に他者を呪いながらもがき苦しみ続けることになる。
 苦しむ魂を救うとか、完全に神父さまの領分。
 辺境育ちの小娘には荷が重すぎる!
 いっそのことミヤビの天剣(アマノツルギ)のチカラによる白焔にて焼き払うという手もあるけれども、場所が場所なだけにどっかん大噴火とかになったら目も当てられやしないよ!
 どうしたものかとわたしが悩んでいたら、シルラさんが言った。

「どうにか時間を稼いでみんなを逃がす。そのあとは赤い海がヤツを始末してくれるはずだ」

 時がくれば割れた赤い海がふたたび満ちて炎路が閉じる。
 さしもの怪物とて、アレに呑み込まれてはひとたまりもあるまいとの算段。
 同じ焼き払うにしても、火の山自身が持つチカラならば問題なし?
 なんら確証があるわけではないけれども、いまはこれに賭けるしかない。
 そう判断し、わたしたちは懸命に動く。

  ◇

 みんなを逃がし現場に踏みとどまること、そこそこ。
 ついにその時が来た!
 気配を察知して駆け出すシルラさんに続き、わたしたちも戦線を離脱。
 傍目にはゆっくりに見える赤い海の変動。でも岸から眺めているのと、実際に炎路の真ん中で体験するのとでは、ぜんぜんちがう。
 灼熱が左右からせり上がってる。熱気はまるで透明な壁のようであり、これに押しつぶされるかのような錯覚に襲われる。
 真っ直ぐに前方へとのびた足下の炎路が、じょじょに先細りしていく。
 うしろをふり返ると、追ってくる髪の毛のお化けの姿。
 逃げ切れるか微妙かもと判断して、わたしはシルラさんに「ミヤビに乗って!」と声をかける。けれども彼女は「ダメだ。引き離し過ぎては、やつまで向こう岸にたどりついてしまう」と断る。
 こんな局面にもかかわらず女武官は、自分の走る速度と、敵の動き、周囲の状況の変化をきちんと推し量っていたのだ。そればかりか「先に行け」とわたしに告げさえもした。

「そんなことできないよ」

 躊躇するわたしに、ニヤリと不敵な笑みを浮かべたシルラさん。

「大丈夫だ。それより、もしものときは援護を頼む」

 声に込められてあったのは信頼にもとづくお願い。
 女武官の心意気を前にして、これに応えないのは辺境女がすたるというもの。
 わたしはうなづくと、ミヤビに頼んで先を急いだ。


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