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045 兄と妹

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 チラリとこちらを見たシルラさんに、わたしは小さくうなづく。
 とたんに女武官の姿が消えたとおもったら、近くにいた二人の敵勢が崩れ落ちる。
 そっちに目を奪われていたら、また別の敵が吹き飛んで仲間もろとも団子になって転がる。
 電光石火の動き。
 まるでクンロン山脈一帯を縄ばりにしている銀禍獣ライユウのよう。

「何をぼんやりとしている、射ろ!」サガンが叫んだ。

 あわてて指示に従ったのは弓の武門で名高い鷲族(シュウゾク)の若者たち。真相を知ってなお命じられるままに動くのは動揺ゆえか、あまりのことに思考が停止してしまったがゆえか。
 素早く動くシルラさんの肩や足を狙って一斉に矢を放つ。
 そのことからして今回のたくらみに加担した若い連中には、彼女を殺すつもりはなかったのだろう。
 けれどもいかに必中を誇る矢だとて、そこに必殺の想いが込められていなければ、おのずと勢いが削がれているもの。
 一度に放たれた五本の矢。そのすべてがシルラさんの槍によって、あっさりはじかれてしまう。それどころか「ぬるいっ!」と狙った相手から一喝されて、射手たちはすくんで二の矢を繋げなくなる始末。
 その隙をついて、次々と敵を叩きふせていく女武官。
 しかし彼女にも暴走した若者たちを必要以上に傷つける意図はないらしく、放たれる攻撃はすべて槍の柄や石突による打撃ばかりであった。

 瞬く間に十二もの数が倒された。
 これを前にして「もういい」とイラ立つサガン。
 自身が武器を手に、シルラさんの前へと出る。

  ◇

 炎路にて対峙するシルラとサガン。
 シルラは愛用の長槍をかまえ、サガンは盾と短槍をかまえた。

「こうやって立ち会うのはずいぶんとひさしぶりだな、兄者」
「あぁ、おまえが十五か六の頃以来か」

 得物を手にしてかまえたとたんに、各々が抱えている諸々がするりとどこぞに失せた。
 残されたのはお互いの身にしっかりと刻み込まれた武のみ。
 怒りも憎しみも悲しみも、いかなる感情も戦いには不要。
 槍の穂先を鈍らせる一切を廃し、兄と妹は向かい合う。
 じりじりと両者が間合いを詰める。
 先に動いたのはシルラ。
 自分の長槍の間合いになった瞬間、赤い海に漂う熱気をも巻き込んだ鋭い刺突を放つ。
 当たれば即死してもおかしくない、情け容赦のない一撃。
 これを手にした盾にて受けたサガン。盾の曲面を活かして攻撃を受け流すのと同時に、もう一方の手に持つ短槍を横に払う。

 瞬時に両者の間合いが離れ、距離が生まれる。
 シルラの左太ももには浅い裂傷ができており、血がにじんでいた。
 サガンの盾にはヒビと抉れが生じている。

「あれをそらすか。どうやら鍛錬は続けていたみたいだな、兄者」
「ふん。たった一撃で特注の盾がこのざまよ。やはりホンモノはちがうな」

 いま一度、かまえなおし、向かい合った兄と妹。
 静かに呼吸を整え、下腹に気力を溜め、今度はサガンが先に動く。
 盾を前面に押し出しての突撃。
 シルラの視界が盾によって埋め尽くされる。
 間髪入れずにくり出されたのは短槍の穂先。
 狙ったのはシルラの右足の甲。
 肉食獣が獲物を狩る際にとる行動は主に二つ。いきなり急所に牙を突き立て一撃にて仕留めるか、あるいは足を傷つけて機動力を奪ってから仕留めるか。
 サガンが選んだのは後者。手強い妹を倒すためならば、なりふりかまってはいられないとの判断。
 気圧されシルラが身を引けば、そのまま押し切る算段でもあった。
 だがしかし、シルラは臆することなくかまわず踏み込んできた。
 足の甲を貫かんとした短槍の切っ先が、その内側へと潜り込んできた具足にて、穂先ごと外側にそらされる。
 直後に盾を横殴りの衝撃が襲う。
 シルラが踏み込むのと同時に腰の回転だけで放ったもの。
 最低限の体重が乗っただけの一撃だというのに、サガンのカラダは盾ごと吹き飛ばされた。

「なっ!」

 おどろきつつも、どうにか体勢を維持し後方へと逃れるサガン。
 そこにシルラの槍の追撃。
 とっさに盾にて受け流そうとするも、持ち手に伝わってくる感触にサガンはぞっとした。
 槍の穂先がズンズンとめり込んでくる。このままでは盾ごと貫かれる!
 サガンは迷うことなく盾を手放すと、かわりに自身の腰へと手をのばした。掴んだのは小太刀の柄。すかさず抜き、短槍と短刀の二刀流に切り替える。
 槍の優位性は、なんといってもその間合いの広さにある。
 しかしいったん懐に入られると、とたんに長柄が邪魔となり不利になる。
 槍の武門に生まれ、物心つく頃より厳しい鍛錬を積んできたのは伊達ではない。サガンは誰よりも槍を熟知しているという自負がある。たとえ実力では天賦に恵まれた妹にかなわずとも、積みあげてきた経験は自分の方が遥かに多い。
 接近し、短槍にてシルラの槍の動きを止め、その隙に小太刀を脇腹にねじ込む。
 もはや武芸でもなんでもない。がむしゃらな攻撃。
 勝てるなんて思っちゃない。これでシルラを、士鬼衆に選出された女武官を殺せるとも思っちゃいない。それでも多少の手傷を負わせられたら、己の積みあげてきたものがウソではなかったことだけは証明されるはず。
 けれどもサガンは思い知る。
 そんな感傷や矜持すらもが、武の道には不要であったということを。

 サガンの短槍はシルラの槍を見事にひきつけることに成功。
 ほぼ密着状態にて、己が勝ちを確信したサガンが下から腹へとねじ込むようにして、小太刀を放つ。
 が、その切っ先がはじかれた!
 それをなしたのもまたシルラの槍。
 なんと、いつの間にかシルラの槍が半ばにて二つに分かれており、左右の手にて短槍が握られていたのである。
 驚愕にカッと目をむくサガンに、シルラが悲しげに告げた。

「私はずっと兄者のことを尊敬していたんだ。こんなことになってしまい、本当に残念だよ」

 二つの穂先が閃き十字に駆ける。
 サガンの胸元が大きく裂け、これにより兄と妹の対決は決着した。


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