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044 楔

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 わたしの中ではずいぶんと長いこと、呪槍からのびた黒い糸たちを相手に奮闘していたつもりであったのだが、実際の時間はほんのまばたき数回程度のことであったらしい。
 その証拠に、すぐ背後にいたフーグの邪魔が入らないどころか、その声すらも途中からはまるでわたしの耳には届いていなかったのだから。
 よろずめの呪槍が折れて地面に転がったところで、わたしの視界より黒い糸が消え、そして周囲の時の流れも正常に戻る。
 とたんに聞こえてきたのは「バカなっ!」というフーグの叫び声。
 これにて地の神トホテからの依頼は完了。
 でもまだ終わりじゃない。だってあいかわらず退路はサガン率いる若手連中にふさがれているし、周囲にはフーグの手の者たちもいる。
 それになにより、サガンはさっきこうも言っていたではないか。

「じきにあちらでも片がつくはずだ」と。

 これってつまり同時進行にて、何かが画策されているということだよね?
 詳しいところを訊きたかったのだが、フーグは折れた槍を見下ろし呆然自失中。彼の手の者もどうしたらいいのか、オロオロするばかりでちょっと話を聞けそうにない。
 わたしが困っていたら、期せずして答えがもたらされた。
 炎路にて、シルラさんとにらみ合いを続けていたサガンが口にしたのである。

「あきらめろシルラ。どのみちもう間に合わぬ」
「どういう意味だ、兄者」
「ロウセの忘れ形見ウルレンを旗印に掲げた彪族(アヤゾク)の残党を筆頭に、申族(シンゾク)、狼族(ロウゾク)、鷲族(シュウゾク)、そして我が獅族(シゾク)の若い連中が中心となっての一斉蜂起」

 告げられたのは王族と評議会への武力による反旗。
 目的は彪族の復権、現体制への不満と自分たちの待遇改善。
 技術大国であるパオプは、どうしてもそっち方面の人間が重用されがち。あらゆることの比重がそちらに傾く。いかに武門の誉れと持ちあげられたとて、心血を注いで鍛えあげた技がふるわれる機会はほとんどなく、ついには飼い殺しのまま生涯を終えることになる。
 それだけ国が安定しており、平和だということ。
 本来ならばよろこばしいこと。誇りに思うこと。
 そんなことはわかっている。わかってはいるが、このままだと自分も自分の曽祖父や祖父や父たちのように、ただ虚しく老いて朽ちてゆくことになる。
 頭では理解していても、若さがそれを受け入れられない。
 そんなのはイヤだという無念の想いが捨てきれない。
 ずっと燻っていた想い。そこに激しく燃え盛るための燃料として放り込まれたのが大義名分。
 それが不遇な幼女ウルレンと彼女をとりまく不可解な状況。

『大逆事件の裏には王家の陰謀や、評議会の卑劣な思惑が潜んでいる』

 実際にはそのような事実はなく、むしろ女王ザフィア以下が、なんとか残された者たちのことを守ろうとしたのだが、それゆえに詳細を公にできなかったことが、逆に都合よくねじ曲げられ利用された形となる。

「ちょっと匂わせるだけで、どいつもこいつも義憤にかられてホイホイと。いやはや、若さってのはじつに素晴らしい」

 一見すると感心し褒めているようで、そのじつ嘲りと蔑みが混じったサガンの態度。
 これには対峙しているシルラさんもおもわず怪訝な顔をするほど。
 サガンにつき従ってきた連中も動揺しざわつく。
 するとこの場の全員に聞こえるようにして、サガンがいっそう声を張りあげた。

「まぁ、十中八九、蜂起は失敗するだろうな。いくらシルラと剣の母の身柄をこちらが押さえたからとて、まだあちらには士鬼衆が三人もいる。配下には熟練した猛者たちも多数。勢いだけの若手なんぞまるで相手にならぬ。じきに鎮圧されてしまうことだろうよ」
「なっ! だったらどうしてこのようなことを」
「どうして? さっきもいっただろう。『いろいろあってこういう仕儀になった』と。ことの成否はどうでもいいんだよ。国に楔を打ち込むという目的は達せられたのだから」

 若手が集って大規模な問題行動を起こした。
 その事実こそが肝心にて肝要。これによって世代間の溝が深まることになる。
 拭いきれぬ不信、相互不和の種はすでにまかれた。あとは各々が持つ疑心暗鬼の心が、勝手にこれを存分に育ててくれることであろう。
 彪族の処遇を巡っても、さぞや紛糾するはずだ。まだ幼いウルレンの扱いも大いなる火種になる。
 国としては後顧の憂いを絶つべくバッサリ切り捨てるのが正解だろう。
 だがそれを行えば、まちがいなく中央は求心力を失う。かといって放置すれば大火事になるのは必定。
 大人たちにできることといったら、フーグから適当なウソを吹き込まれて育てられたウルレンの誤解を少しずつ解いていくしかないが、それがいかに困難なことか。
 正しいことと、誤ったこと。善意と悪意。いろんなことが入りまじってこんがらがって、すでに真実が真実としての意味をなさない状況が形成されてしまっている。

「十二支族の結束とやらも、いままで通りにはいくまい。これにてフーグの狙いであったパオプの国力を削ぐという目的も達成された。もっともヤツにとってはあの気味の悪い呪槍こそが大事であったようだがな。まぁ、それも俺にはどうでもいいことだ」

 サガンのその言葉が終わるやいなや、ズドンととてつもなく重たい音が一帯に響いた。
 それはシルラさんが手にした愛槍の石突にて、地面を叩いた音。
 込められていたのは「怒り」の感情。
 女武官の全身より発せられているのは、凄まじいまでの覇気。
 その場にいた全員がすぐさま察して、あまりの迫力に思わず息を呑んでしまうほど。

「兄者の言ってることはひとつも理解できん。さっぱりわからん。ただ、何度もくり返している『どうでもいい』という言葉だけは、どうにもガマンならぬ」

 シルラさんは怒っていた。
 若い連中をそそのかして、大勢巻き込み、扇動しておいて、あとは野となれ山となれという、兄サガンのその投げやりな言動にもの凄く怒っていた。


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