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053 ある物語のはじまり

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 女王ザフィアより発せられた伝令。その口から王城での争乱がいちおうの決着をみたことを告げられたのは、帰路の途上にあったシルラ率いる調査隊。
 安堵しつつ首都ヨターリーへ帰還すると、城へと通じる道へと詰めかけた大勢の民の歓声によって、出迎えられる。
 どうやら世間的には「剣の母とディッカ姫が地の神トホテの神託を受けて、これを果たすために火の山へとシルラたちが出向き、見事に達成しての凱旋」ということになっているらしい。
 木を隠すならば森の中ではないが、彪族(アヤゾク)を中心にした若手の一斉蜂起を緊急訓練と称し、すべてをごっそりモミ消すにあたって、女王が放った第二の矢がコレ。
 なにやらよくわらかないが、国の危機を救った英雄を祀りあげることで、世間の目をごっそり欺くという算段。
 けれどもその裏には、獅族(シゾク)の族長であり兄でもあったサガンの罪の責任をとって、シルラが士鬼衆の立場を退くことを許さない。「一人だけ逃げて楽になんてさせない。ともに重い荷を担いで歩いてゆけ」との、女王の強い意思が込められてあった。
 否応にもそのことを理解したシルラは「やれやれ」とぼやきつつ、周辺から向けられる声援に応える。

「まったく、きびしい御方だな。我らが女王さまは」

 女武官は居ずまいを正し顔をあげる。
 その表情には、もはや一片の迷いもなかった。

  ◇

 謁見の間にて、凱旋したシルラさんから報告を受ける女王ザフィアと評議会の面々。
 その後は、祝賀会が盛大に催される。
 主賓席にて、顔を引きつらせているシルラさんを眺めているのは楽しかったが、わたしは頃合いを見計らって「ほほほ、ちょっとお花を摘みに」と言って、宴席をこっそり抜け出す。
 向かったのは、あれから数日経っているのにもかかわらず、昏々と眠り続けているウルレンちゃんのところ。

 わたしが顔を出すと、ずっとウルレンちゃんの看病をしていたギテさんは首を小さくふるばかり。
 いまだに目覚める気配はないらしい。わたしの水を飲ませてもダメ。医師たちにも念入りに診てもらったんだけど、肉体的には問題がなく、おそらくは心の問題なのだろうという話であった。
 小さなカラダで受け止めるには、彼女を巡る出来事の数々はあまりにも重すぎる。
 だからウルレンちゃんが現実を拒絶しても、安易に「それはダメ」とはわたしにはとても口にできない。
 眠り続ける幼女の額にかかった前髪。
 それを指先でそっと整えながら、「わたしって、じつはものすごく恵まれているよね」とつぶやかずにはいられない。
 頼りになる働き者の父に、美人で気立てのいい母、世界一かわいい妹、口やかましいけれども悪いことをしたらビシッと叱ってくれる神父さま、いろんなことを教えてくれる呪い師のハウエイさん、なんでも拵えてしまう鍛冶師のボトムさん、ポポの里の安全を守ってくれている隻眼隻腕隻足のロウさん、いつも気苦労の絶えない里長のモゾさん、イケてない幼なじみのサンタ、里のみんな……。
 そりゃあ、辺境の隅っこ暮らしにて、お世辞にも快適だとは言えない。
 それでも帰れる場所があって、待ってくれている人たちがいる。
 それはとてもとても幸せなこと。

 わたしがぽつぽつとそんなことを口にしていたら、ギテさんが「確かにその通りです。だからとて、あなたがこの子に負い目を感じる必要はないのですよ」と言ってくれた。

「むしろ負い目を感じるべきは、我々大人なのですから」とも。

  ◇

 眠り続ける幼女の目元からときおり雫がこぼれ落ちる。
 それを手ぬぐいで拭くギテさんのまなざしはどこまでも優しい。

「この子は、母親の幼い頃にとてもよく似ています。大きくなったらきっと、すらりとした美人になりますよ」

 老嬢が昔を懐かしむ。
 その口から語られたのは、まだ誰もが笑えていたあの頃。

 ロウセの若妻にして、自分の命と引き換えにウルレンを産んだ母親は、ギテの遠縁にあたる娘であった。
 カラダは丈夫ではなくて、線も細かったが、芯がしっかりとしており心優しい女性であった。
 少しだけ歳は離れていたが、それは仲睦まじい夫婦であった。
 懐妊したことがわかったときのロウセのよろこびよう。親友であるレキセイ、その妻であったザフィア女王もまた祝福し、すぐさまギテに祝いの品と手紙を託して向かわせたほどである。
 思えばあそこが幸せの絶頂であったのだ。
 自身が優れた医師でもあったロウセは、愛妻のカラダがとても出産には耐えられないと判断し、なんとか妻を説得しようとした。
 しかし妻はかたくなにこれを拒絶。

「自分はどうなってもかまわない。だからこの子だけは」

 目立ちはじめたお腹を愛おしそうにさすりながら必死に懇願されて、ついにはロウセの方が折れることになる。
 こうしてウルレンが生まれたのだが、母は我が子をたった一度だけ抱擁して息をひきとった。その死に顔は満足げにて笑顔すら浮かべていたという。
 最愛の者を授かるのと、最愛の者を失う。
 そんな経験を同時にしたロウセの胸中は、とても余人にはかれるものではない。
 だからこそ、彼は娘の心臓にある不治の病を知ったとき、あれほど苦悩し、ついには道を踏み外してしまったのだから。

  ◇

 昔語りを終えたギテさん。
 しんみりとした態度とは裏腹に、ギュッと手ぬぐいを握りつぶし「だからこそ、私は怒っているのです」と心中をぶちまける。

「どうしてロウセは一人ですべてを抱え込んだのでしょうか?
 どうしてレキセイは一人で親友を助けようとしたのでしょうか?
 困っていたのならば素直に女王さまに泣きつけばよかったのです。周囲にすがればよかったのです。それを面子だのしきたりなんぞと、ごちゃごちゃごちゃごちゃ。
 まわりくどいことをしたあげくに、勝手に逝くだなんて……」

 ギテさんの怒り。
 それは身勝手に自己完結している男たち全員への怒りであった。
 残された女たちの気持ちを代弁する怒りであった。
 相談すらもされなかった自分の不甲斐なさに対する怒りでもあった。
 それらが巡り巡って、いまなお幼子たちを苦しめていることへの怒りでもあった。

「ウルレンの未来は、この老骨が全身全霊を賭けて守ってみせます。ええ、守ってみせましょうとも」

 決意表明にて、もともとシャンとしていたギテさんの背筋がいっそうシャキンと真っ直ぐにのびた。
 女王さまたちも悪いようにはしないって約束してくれたし、この分ならばきっと大丈夫であろう。
 などとわたしが安堵していたら、うっすらと開いたウルレンちゃんのまぶた。
 まだ意識がはっきりせずにぼんやりと天井を見つめているウルレンちゃんを、ギュッと抱きしめたギテさんが「よかった」と泣いていた。
 わたしはそんな二人を残し、そっとその場をあとにした。


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