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008 影法師と赤い仏壇
しおりを挟む蔵の中も調べなければならない。
地下室も探さないと。
古い日誌にあった房江さんが拾ってきたものも気になるが……
健斗が向かったのは仏間だった。
赤漆の大きな仏壇は壁に埋まるようにして、ぴったり備え付けられてある。
扉には鍵がかっており、そのせいでまだ挨拶ができていない。
仏壇のすぐ下に引き出しがある。ここに鍵があるのではと健斗はにらんでいたのだけれども、はたしてその通りであった。
引き出しの中には他に数珠や経典、ライター、箱詰めのお線香に蝋燭などの仏壇まわりの品と、四角いクッキーの缶が入っていた。
クッキー缶の中身はフィルムのネガであった。
セピア色の想い出たち。
ふと気になったのが映っている人物について。
じつは健斗は房江さんの顔を知らない。
この家には写真立ての類がひとつも見当たらなかった。もっとも独り暮らしで自分の写真を飾っていたら、それはそれでちょっとひくが……
弁護士の阿刀田さんによれば、お淑やかで美しい人だったらしい。
「ひょっとしたらこの中に映っているかも」
健斗は、試しにネガをひとつ手にとり、照明の明かりにかざしてみる。
でもネガの一コマを凝視するなり「えっ!」
保存状態が良かったのであろう。多少の経年劣化はあるものフィルムそのものに問題はない。
だというのに、その中の小さな世界では奇妙なことが起きていた。
映った景色や建物などの背景はそのまま鮮明に残っている。
なのに人物像だけがおかしい、影法師のようになっていた。
手にしたフィルムのそのコマだけなのかと思いきや、他のもすべて同じ。
人のところだけ判別がつかなくなっている。
「これも、これも、これも、これもこれも、これもこれもこれも! 全部……なんなんだよ、これ?」
畳の上に広げられたフィルムのネガたちに映っているのは、すべて影法師であった。
まるで誰かがそこだけを執拗に黒く塗りつぶしたかのよう。
悪寒が走り、健斗はたまらずネガから目をそらした。
◇
フィルムのネガをクッキー缶に戻したところで、健斗はびくりとする。
ズボンのうしろのポケットに突っ込んであったスマートフォンが震えたからである。
画面に表示されているのは見覚えのある番号、ひと目するなり健斗は顔をしかめた。
最悪だ。二度と目にすることがない番号だと思っていたのに……
それは元カノの番号であった。
すでにアドレスから登録を抹消してあったので、名前が表示されることはない。
なのにすぐに誰からかわかった自分に健斗は腹を立てるとともに、あれだけの仕打ちをしておいて、いまさら何の用があるというのかと訝しむ。
もちろん健斗が電話にでることはなかった。無視をする。
着信音は十分近くも鳴り続けてから、ようやく止んだ。
「いまさら何だってんだよ。まさかとはおもうけど、遺産のことを聞きつけてヨリを戻すつもりとかだったら、マジで気持ちが悪いんだけど」
健斗は吐き捨てた。
だとすれば、いったいどこから情報が洩れたのか?
誰にも話してはいない。諸手続きを代行してくれた弁護士の阿刀田さんには守秘義務がある。付き合うようになってからまだ日は浅いけれども、おりに触れて彼が発する言動から、阿刀田さんが故人である房江さんを慕っていることがよくわかる。
そんな阿刀田さんが、房江さんの後継者である健斗の不利益になるようなことをするとはおもえない。それに阿刀田さんこそが事前に忠告してくれていたではないか。
『この手の話は、どれだけ隠していてもいずれ外部に洩れるものです。なにせ餓えたハイエナどもは無駄に鼻が利きますからね。ゆめゆめご用心を。もしも厄介なことに巻き込まれそうになったら、いつでもご連絡下さい』
とすれば、考えられるのはアレかもしれない。
健斗には心当たりがひとつだけあった。
それは大学の事務局に休学届けを提出した時だ。ついでに滞っていた学費の支払いや、奨学金の返済手続きなどをまとめて片付けた。
健斗としては人生をやり直すにあたって、後腐れがないようにと考えたのだけれども、はたから見れば貧乏学生が急にはぶりが良くなったように映ったのかもしれない。そのせいで悪目立ちしたのだ。
事務員らが噂していたのを、元カノがたまさか耳にしたのかもしれない。
中学や高校よりかはずっと自由とはいえ、大学もまた狭い檻の中である。噂が広まるのにさして時間はかからない。それは健斗が身を持って体験している。
「はぁ、しくじった。なんだかんだで浮かれていたのかも。今後はもっと身辺に気をつけないと。でも、まぁ、さすがにアイツもここまではやってこれないだろうし、問題はないかな」
健斗はスマートフォンを操作して元カノの番号を着信拒否設定にする。
よもや向こうから連絡をとってくるとはおもわなかったので油断していた。
「これでよしっと」
この家にきてから奇妙なことが続いている。
薄気味が悪くないと言えば嘘になる。でもだからとてすぐに逃げ出したいとまでは、健斗はおもわない。
なぜなら理不尽な目になんて外の世界で散々に合ってきたからである。
実体験をともなう恐怖と得体の知れない恐怖。
ふたつを天秤にかけたとき、健斗には現実の方がずっと怖かった。
一番怖いのは人間だ。
元カノに会いたくない。浮気相手の顔も見たくない。形ばかりの親族連中もそうだ。
とにかく二度と関わりたくない。
何よりもその想い、忌避感が今は勝っている。
着信拒否をしたことで問題がひとつ片付いた。
少し気分が楽になった健斗は、気を取り直して小さな鍵を仏壇の鍵穴に差し込んだ。
が、鍵はびくともしなかった。
「えっ、なんで?」
ひょっとしたら鍵の大元がサビて回りが悪くなっているだけかもと、より力を込めてみるが仏壇の扉はガタガタ鳴るばかり。いっこうに開きそうにない。
物が物なだけに、まさか無理矢理にこじ開けるわけにもいかない。
「家のどこかに潤滑油のスプレーがあればいいんだけど。なければ今度、町に出たときに買ってこないと。最悪、鍵屋を呼ぶことになるかも。まいったなぁ」
出張料込みでいくらかかることやら。
余裕で払えるとはいえ、余計な出費があまりうれしくない。
健斗は嘆息にて、仏壇はいったん諦めることにした。
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