白き疑似餌に耽溺す

月芝

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020 婚約解消

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 ついに信也が房江との婚約を解消すると言い出した。
 例の社長令嬢に乗り換えるつもりなのだ。

「話し合いに行くから、おまえもついて来い」

 兄は弟に命じる。弟の隆は弁護士の卵ゆえに、交渉の矢面に立たせるつもりなのだろう。信也はいつもそうだ。要領のいい兄は厄介事を他人に押しつけては、のらりくらりとやり過ごす。
 そんな信也を隆は心の底から軽蔑していたが、それでも大人しくついていく。
 べつに兄のことなどはどうでもよかったが、房江のことが心配であったからである。

 話し合いの場に房江が指定したのは、自分の実家であった。
 大学を卒業後、彼女は花嫁修業と称して家に戻っていた。
 信也が運転する自動車で先方へと向かう。自己愛の塊である信也は、基本的に自分しか信じていない。だからハンドルを他者に委ねたりはしない。バスやタクシーなどの場合はともかく、それ以外は極力自分でハンドルを握ろうとする。
 これがまた他人の目には「気が利く」と映るのだから、皮肉な話であろう。

 近づくほどに、山々が存在感を増し、緑の気配がぐんと濃くなった。
 県道をそれて私道へと入り、山間に通された道を車はひたすら進む。
 深山の奥にある蔵持ちの立派な一軒家、信也は何度か来訪しているが、隆はこれが初めてであった。そしてきっと最後になるだろう。
 私道に入ってから、見渡す限りがすべて三峯家の地所だと聞かされて、目をぱちくりさせるばかり。
 助手席にて車窓の景色を隆が熱心に眺めていると、運転席の信也は笑いながら言った。

「どうだ、広いだろう? とはいえ、しょせんは山ばっかりだからな。たいした価値はねえよ。とはいえ、ちょいと惜しいかな。おっ、そうだ! なんだったら、おまえ、房江を貰ってやれよ。そしたらおれたちは本当の穴兄弟ってな。あっははははは」

 信じられない。なんという無神経かつ失礼な発言であろうか。自分にも、房江にも。
 隆は窓ガラスに映る兄を睨みつけながら、爪が深く食い込むほどに拳を強く握る。湧き上がる憎悪、これまでに貯め込んだ鬱屈した想いがどろりとうねる。
 車内にて同じ空気を吸っているということが気持ち悪い。心の内で隆は「くたばれ」と念じつつ、窓を少し開けた。

  ◇

 到着した隆たちを、房江は門前で出迎えてくれた。
 でも挨拶もそこそこに、隆はすぐに違和感を覚える。
 なんというか、静か過ぎるのだ。家から人の気配がまるでしない。
 それもそのはず、房江のご両親は旅行中にて不在であったのだ。
 つまり、家には彼女がひとりきりということ。
 しかしこれは奇妙な話だ。
 破棄に相当する婚約解消という娘の一大事、その話し合いの席に、両親が不在?
 隆は訝しむも、信也は「かえって面倒がなくていい」なんぞとうそぶき特に気にしない。
 房江は、ただいつもと同じように控え目な笑みを浮かべているばかり。

 ――何かがおかしい。

 どうにも厭な予感がする。
 ふつふつと湧いてくる不安を抱え、隆は案内されるままに三峯宅へとお邪魔する。
 用意されたスリッパを履き、玄関から一歩中へと踏み出したとたんに、隆はぞっとした。
 家の中が妙に冷え冷えとしていたからだ。
 両親が旅行中とはいえ房江がいる。
 人が生活をしていれば、おのずと家の中には温もりが宿るもの。逆に長いこと留守にしていたら、たちまち温もりが失せてしまう。
 三峰の家の中には温もりがなかった。まるで人が暮らしている場所とはおもえない。いっそのこと空き家にでも案内されたと言われた方が、まだ納得するだろう。それに気のせいか、けっして日当たりが悪いわけじゃないのに、屋内がやたらと薄暗く感じてしようがない。陽の届かぬ隅の暗がりの陰が濃く、まるでそこだけぽっかり切り取られたかのような錯覚を覚える。

 躊躇する弟をよそに、兄はさっさと家に上がり込み奥へと行ってしまった。

「さぁ、隆さんも」

 房江にうながされて、隆もおずおず信也のあとに続いた。

  ◇

 話し合いの席とはいえ、すでに信也の気持ちは固まっている。
 他人の心なんぞは慮らない信也が翻意することはない。あるとすれば自分にとってさらなる利得なり、旨味が生じる時だけだ。
 いまでは房江も、もう信也の酷薄な正体に気がついてるのだろう。
 取り乱すこともなく、泣くこともなく、淡々と婚約解消にともなって清算すべき事柄についての協議に応じるばかり。
 それでも詰めることは多々ある。この時代、結婚は家と家同士のことにて、当人同士が辞めたと言って、はいおしまいとはならないのだ。
 とくに今回は信也からの一方的な解消だ。有責はこちらにある。
 だから代理人のような立場である隆は、せめてものお詫びにと房江に出来るだけのことはしてあげるつもりであった。
 なのに房江はあっさりしたものにて、これには隆もいささかひょうし抜けしたものである。それどころか「隆さんが来て下った助かったわ。ありがとう」とお礼まで言われて、かえって恐縮する。

 そうやってふたりにて細かいところ詰めていると、はやくも退屈した信也が言った。

「おい、房江。喉が渇いたぞ」

 もはや婚約者でもなんでもないのに、この横柄な物言いに隆はカッとなる。

「おい兄貴、いい加減に――」
「冷蔵庫にビールがあるわ。でも、車の運転があるからダメね。これがひと段落したらお茶を淹れるから、それまで待っててちょうだい」

 房江がそう言いながら小首を振ったもので、立ち上がりかけた隆はふたたび腰を降ろした。
 一方で信也は房江の忠告を聞き流し、さっさと台所の方へと行ってしまった。
 どこまで身勝手なのか。隆は代わりに兄の無作法を詫びようとする。
 だがしかし、そのとき隆は見た。
 房江の顔に張り付いていた凄惨な笑みを。
 でも驚くあまりまばたきをしたら、もう消えていた。
 いつもの柔和な彼女の顔に戻っている。
 だからてっきり自分の見間違いか、たまたま照明の加減でそう見えただけなのだろうと、思い込もうとしたのだけれども……


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