乙女フラッグ!

月芝

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001 星と亀

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 青い空に白い雲、風穏やかにしてチチチと鳥がさえずる、本日は晴天ナリ。
 うららかな女子高の昼休みのことである。
 一台のバスが校門からゆっくりと敷地内に入ってきた。テレビ局のロケバスだ。
 停車し、とある人物が姿を見せたとたんに、出迎えに集まっていた生徒たちからは拍手と歓声が沸いた。
 いまをトキメク男性アイドルの何某――本日は、スポーツ特番のインタビュアー役としての来校。
 女子高生にイケメンアイドルとか、腹を減らした鯉だらけの池にエサを投げ込むようなもの。ぴちぴちがビチビチ群がり、騒ぎになってしかるべし。
 おかげで興奮した生徒たちを押しとどめようと、テレビ局のスタッフや学校の警備員に先生たちが壁となり、必死な形相で汗だくとなっている。
 だというのに当のアイドルさまは、手を振り余裕の営業スマイルなのだから、なかなかどうして神経が図太い。

 そんな下界の喧騒を、校舎屋上の高見からふたりの生徒がフェンス越しに並んでぼんやり眺めていた。

「うわぁ、ついにアイドルまで来ちゃったよ、マイっち。
 にしても、今週だけで三社目かぁ。テレビ局の他にも雑誌やら新聞の取材もあったよね? う~ん、ここのところ報道合戦がますます過熱しているような気がする」
「あーそりゃそうよ、チリちゃん。なにせ、いまや星華嬢は次期オリンピック金メダルの最有力候補なんだもの。
 べっぴんさんだしスタイル抜群、話題性も充分、あれじゃあ周囲が放っておかないって。大手の芸能プロダクションやモデル事務所のところからも、スカウトがたくさんきているって話だし。
 スターよ、スター。
 名前のとおり、お星さまピーカピカってね」

 星華嬢とは、鳳星華(おおとりせいか)という二年生の生徒のことである。
 優れた生徒を集めた特進クラスに在籍する彼女、同学年ながら一般クラスであるふたりとでは住む世界がちがう。
 いいところのお嬢様にして、お母さんが北欧系外人の超絶美形ハーフ、陽光きらめく新雪をおもわせる長い銀の髪を持ち、眉目秀麗にして才気活発、文武両道を掲げる淡墨桜花女学院(うすずみおうかじょがくいん)の理念を体現している人物。
 そんな星華が所属するフェンシング部は、個人団体において国内の大会を総なめにしており向かうところ敵なし、快進撃を続けている。

「うぅ、それにひきかえうちときたら……」
「えぇい、みなまでいうな! 本気で泣けてくるでしょうが」

 チリちゃんとマイっちと呼び合うふたり組は「「ハァ~」」
 そろって深いため息をついた。
 なにせ彼女たちが所属している剣道部ときたらここのところ奮わず、地区大会で万年三回戦止まり。
 部員らの実力はけっして悪くない。練習だって真面目にこなしている。
 にもかかわらず本番になるとからっきし、なぜだかうまくいかない。
 実力うんぬんではなくて、よくトラブルに見舞われるのだ。

 直前に捻挫をしたり、風邪をひいたりなんてしょっちゅうだ。
 事前に何度も確認したというのに、試合前の竹刀の計測検査に引っかかったり、会場へ向かっている途中に人身事故などで電車が止まったり、バスが渋滞に巻き込まれて間に合わなかったこともある。
 そのためいつもバタバタしており、十全にて試合に臨めず敗退してしまう。
 まぁ、当人の不注意だといえばそれまでなのかもしれないけど……
 あと顧問のクジ運が壊滅的に悪いのも忘れてはならない。毎度毎度、早いうちに強豪校とぶつかるもので、いかんともしがたく。

 片や飛ぶ鳥を落とす勢いのフェンシング部。
 片や不調にて低空飛行を続けている剣道部。

 競技の在り方、和と洋の違いはあれども、同じ剣を扱う部活ということもあって、両部はなにかと比べられることが多かった。

「しょうがないよチリちゃん。ほら、昔からよくいうじゃない、『名は体をあらわす』って。千里の道も一歩から、いまさら焦ったってしょうがないわよ。うちらはうちでマイペースにコツコツ行きましょう」

 マイっちこと瀬尾麻衣子からポンと肩を叩かれ、甲千里は唇を尖らせる。
 じつは千里と書いて「せんり」と読むのが正しいのだけれども、小学生の頃に誰かが「チリ」と呼んだのがきっかけとなり、いつのまにか定着してしまった。
 いちいち訂正するのも面倒なのでそのままにしているが、よくよく考えてみたら、わずか三文字の名前からさらに一文字削られるのって、いったい……

 千里という名前の由来は、先ほど麻衣子が口にした通りである。
 両親は『我が子には堅実な人生を歩んで欲しい』との願いを込めたそう。
 ちなみに苗字の甲は「きのえ」と読む。
 とても珍しい苗字ゆえに、初見で正しく読まれたことはほとんどない。
 でもって、甲の字は亀の甲羅を連想させるものだから、甲と千里が合わされば、どうしたってトボトボ歩く鈍亀の姿を思い浮かべるわけで……
 両親には悪いけど、年頃の娘としては「どうせならば私も輝ける星の方がよかった」というのが千里の本音であった。

「わかってるって。でも私だって少しぐらい輝いてみたいのよ、夢見たっていいじゃない。――って、えっ?!」

 横を向いた千里は大きく目を見開く。
 そこにいるはずの麻衣子の姿が消えていた。
 ばかりか、屋上には他にも何組か生徒たちがいたはずなのに、それも失せている。
 それだけではない。
 慌てて下界に視線を戻すと、あれほど賑やかであったロケバスの周辺も無人と化していた。

 いつのまにか音も絶えていた。
 しぃんと静まり返っている。
 ついいましがたまで聞こえていたはずの校内の喧騒、鳥の鳴き声、風の音、近くの道路を走るクルマの音などなど、全部途絶えている。
 屋上から見える範囲に人っ子ひとり見当たらない。
 なのに日常の風景はそのまま。
 ほんのまばたきの間に、世界から人間だけがふつりと消えてしまった?
 異様な静寂の中、千里は呆然と立ち尽くす。


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