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006 乙女フラッグ
しおりを挟む旗合戦とは、いにしえから伝わる調停の儀である。
腕輪をつけた旗役の人間を守りながら、ともにチェックポイントを巡るオリエンテーリングのような競技、五番勝負にてクリアまでの時間で優劣を決める。
負けた方が勝った方に従う。
だが……
千里が動けるようになったところで、ふたりは調理実習室を出た。
うしろを気にしつつ第二校舎の廊下を並んで歩く。
意外にも一期は歩くペースを千里に合わせる気遣いをみせる。
ふたりが向かっていたのは学校の敷地内にある礼拝堂だ、その道すがら。
一期が旗合戦についてかいつまんで教えてくれたのだけれども、内容がざっくりし過ぎておりわかったような、よくわからないような……それになにやら含みのある物言いである。
「ねえ一期、私、『だが……』のあとが、とっても気になるんだけど」
自分のことは好きに呼べと言われたから、遠慮なしに下の名前で呼び捨てにしつつ、千里は露骨に訝しむ。
ジト目を向けられ、一期が「わかった、わかったから。いい加減にそのむかつくナメクジみたいな目を向けるのをやめろ」と観念し白状した。
「あー、まず旗合戦では旗役を守るのが大前提だ。だが裏を返せば、旗役さえへし折ってしまえばその時点でゲームオーバーということになる」
「へし折る? 旗を?」
「旗役を、だ」
「でも旗役ってば人間なんだよね」
「そうだな」
「それをポキってへし折るの?」
「だから、さっきからそう言っている」
「えーと、それってつまり相手の心を折る的な……」
「まぁ、それでもべつにかまわないが、ふつうは物理的にへし折るな。なにせそっちの方が簡単だ」
「………………」
体を張るどころの話ではない。
旗役は命賭けだった!
「冗談じゃない! そんな危険なゲームに付き合ってなんていられないよ、私ヤメる!」
駄々をこねる千里を、一期はフッと鼻で笑った。
「それは無理だとさっきも話しただろう。はなからセンリに拒否権はない、諦めろ」
「なっ、じゃあ、なんでよりにもよって私なのよ? 子孫なら他にもいるはずじゃない」
「たまたま条件に合致したのがセンリだったんだろう。旗役は生娘と相場が決まっているらしい」
「はぁあぁぁぁっ、いまどき処女信仰とかありえないんですけどぉ!」
ジェンダーフリーが声高に唱えられている昨今にあるまじき、前時代的な考え。
千里は憤りつつも、ふとあることに気がついてしまい愕然とする。
「えっ、ちょ、ちょっと待って。……ということは沙織ちゃんてば、すでに経験済みなの? ウソでしょう。少し前に法事で会った時には『え~彼氏なんていないよ~』とか言っていたくせに」
沙織とは千里の一歳年下の母方の従妹である。
どうやら知らぬうちに先を越されてしまったらしい。
いや、べつに後先を競うようなことではないのだが、千里はなんとなくモヤモヤする。
「ぐぬぬぬ……それもこれもすべてご先祖さまが悪い。もう、いったい何をしてくれちゃったのよ」
「さあな、だが俺たち妖なんぞに関わった時点で、きっとロクなことじゃないのだけはたしかだろう」
いま一期はさらりと口にしたが、そうなのである!
粟田一期なる青年は自称・妖怪であった。
なぜ自称なのかというと、現時点では彼がそう主張しているだけだからである。見た目はどこか陰のあるものの普通の青年だ。
だから千里が「だったら証拠を見せろ」と言ったところ「面倒だ、おいおいわかる」とはぐらかされてしまった。
普段ならば「そんなバカな」と一笑に付すところだけれども、大禍刻という現在の状況がそれを許してくれない。
あと一期はあまり説明がうまくないようだ。口下手うんぬんではなくて、他者との言葉によるコミュニケーションを億劫がっている節がある。
まだまだわからないことだらけ。
にもかかわらず、どうしてふたりが礼拝堂を目指しているのかというと、どうやらそこがチェックポイントであるらしいから。
いつの間にやら千里の腕にはまっていた銀の腕輪――五つの珠が埋め込まれており、チェックポイントを通過することで、それぞれに仁・義・礼・智・信、五常の文字が浮かびあがる仕掛けになっているという。なお任意での脱着不可。
文字とチェックポイントは連動しており、文字に由来する物や場所が設定されている。
最初のチェックポイントは仁だ。
仁とは仁愛のこと、「他人に対する親愛の情、優しさ」を意味している。
「何か校内でそれらしいものに心当たりはないか?」
一期から訊ねられて「う~ん」としばし腕組みで考える。
ふと千里の脳裏に浮かんだのは、礼拝堂に安置されているマリア観音像の微笑みであった。
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