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007 暁闇と夕凪
しおりを挟む淡墨桜花女学院の広大な敷地内には礼拝堂が存在する。
だからとてミッション系の学校というわけではない。
もともと教会があった場所に、あとから学校が建てられたのである。
ふつうならばその際に移転するなり、取り壊すなりするのだけれども、創設者は残すことを選択した。
仁のチェックポイント、礼拝堂のマリア観音が正解なのかはわからない。
だが、他に思いつく場所もないので、とりあえず向かうことにした一期と千里であったが、第二校舎を一階まで降りてきたところで――
「止まれ、センリ」
一期が制止する。
緊迫した声にて、千里もすぐに従った。
「どうかしたの、一期」
「……これを見てみろ」
ジャケットの内ポケットから取り出したタバコ、箱から一本引き抜き、一期はそれをピンっと指ではじき前方へ飛ばす。
くるくると飛んでいったタバコがピタリ、何もない宙にて静止した。
「?」
驚いた千里がよくよく目を凝らしてみると、廊下を横断するようにして張られている細い糸のようなものがあって、それにタバコがくっついているのが見えた。
「これは……蜘蛛の糸かな。でもどうしてこんなところに? 第二校舎ってば、けっこう生徒が出入りしているんだけど」
蜘蛛が巣を張ることなんて、べつに珍しくない。
とはいえ、それは物陰とか繁みの奥とか、家の隅っこの暗がりなどの死角での話だ。
日常的に大勢の生徒たちが行き来する廊下の真ん中に張ったりはしない。
たんに通り道として張った可能性もあるが……
千里が不思議がっていると、一期は気色ばむ。
「この糸はたぶんアイツの仕業だ。クソっ、よりにもよってあんな女を寄越すとはな。
どうせこんなことだろうとおもった。
連中、はなからまともに旗合戦をするつもりがないようだ」
真面目にオリエンテーリングをしない。
それすなわち、てっとり早く旗役を折って白黒つけるということ! 力に訴えるということ!
千里にとっては由々しき事態である。
「ね、ねえ、連中っていうのは、その、対戦相手のチームのことよね?」
「……そうだ。暁闇組(ぎょうあんぐみ)と呼ばれる一派に属する者たちのことだ」
暁闇組は過激思想を持つ集団である。
人間たちが我が物顔で暮らしている、数もあまりに多くなり過ぎた。そのくせ自らの愚行を一切省みようとしない。
そんないまの世の在り方に強い不満を抱き、窮屈をしいられている妖らの解放と適者生存での淘汰を求めている。
ようは原始の弱肉強食の時代に戻そうという考え。
そのために暗躍している一派である。
対して一期が所属している一派を夕凪組(ゆうなぎぐみ)という。
こちらは現状維持にて様子見、適度な距離を保ちつつ人間との共存を願う一派である。
両陣営の対立はここのところ激化しており、事態を収束するために旗合戦が開催されることになったのだ。
だが開始早々、雲行きが怪しくなってきた。
「連中はとにかく荒っぽい。まともに相手をしたら疲れるだけだ。さいわい反対側にはまだ糸が張られていないようだし、あっちから行くぞ」
この糸は鳴子みたいなもの、うっかり切ったらこちらの居所がたちどころに相手にバレる。
遠回りになるがしょうがない。
余計な接触を避けるために、一期と千里は迂回路を選択する。
だがしかし――
◇
蜘蛛の糸はあちらこちらに張めぐされていた。
それらを避けて慎重に進むうちに、気がついたらふたりは第二校舎二階とクラブ棟とを繋ぐ渡り廊下にいた。
渡り廊下は中庭の上をまたぐようにして通されている。長さと幅はちょうど小学校にある二十五メートルのプールと同じぐらい。
ここは他所よりも空気がひんやりしている。日当たりがあまりよくない。設置されている窓が小さいタイプだからだ。これは事故防止のためと、あくまで明かりとりを目的としているからである。
日中でも薄暗い渡り廊下、そのため気がつくのが少し遅れた。
クラブ棟へと続くたもとに人がいた。
ぴっちりした黒のライダースーツ姿にて、起伏のあるボディラインを惜しげもなく晒しているのは黒髪の女性である。
艶のある長い髪は腰にまで届きそう。首からうえにのっている小顔が白い、肌がまるで陶器のような質感を持っている。切れ長の目元は涼やかにて鼻筋も通っており、口元は花の蕾をおもわせる。
妖艶……そんな言葉がよく似合う。
大人の色香がここまで漂ってきそう。
同性である千里もおもわずポーっと見惚れてしまった。
しかし一期は苦々し気に舌打ちしては「やはりアンタだったのか、夾竹(きょうちく)」と女の名を吐き捨てた。
絶世の美女は暁闇組・小柴夾竹(こしばきょうちく)と名乗り、「はぁい、よろしくね」と手をひらひらさせたもので、釣られて千里も愛想笑いにて応じようとするも、次の瞬間のこと――
ギャン!
唐突に鋭い金属音が鳴ったとおもったら、千里の眼前で火花が散った。
飛んできたのは夾竹の放った糸にて、これまでの糸とは違い硬化されており、触れたらスパッと切れる極細の鋼線のようなもの。
はじいたのは一期らしいのだが、一瞬のことにて詳細は不明だ。
「へっ?」
わけがわからず千里が呆けていたら、
「ヤツの攻撃だ! ぼさっとするな構えろセンリ、その木刀は飾りなのか?」
一期に怒鳴られた。
どうやら夾竹から鋼糸で首を刈られかけたらしい。
ヤバい連中とは聞いていたが、出会ってすぐにニコニコしながら命を獲りにくるほどとはおもわなかった。
「邪魔をして悪い子ね。せっかく苦しまないように逝かせてあげようとしたのに。
まぁいいわ、そんなにお姉さんと遊びたいんだったら相手をして、あ・げ・る」
眼福ものの顔が歪み口元の蕾がほころぶ。
夾竹がにちゃりと厭らしい笑みを浮かべた。
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