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其の二十七 ナマウレコボシ
しおりを挟むところは店のほど近く。日中でもつねに薄っすら影がさし空気もひんやり、人どころか野良猫もほとんど通ることがない路地裏、そこにある寂れたお稲荷さん。
ここに元置屋の女将である老女を呼び出した三人の女たち。
のこのことあらわれたところをすかさず取り囲む。
「あんた、客引きなんかして、いったいどういった了見なんだいっ! しかもそれで小遣い稼ぎをするなんて!」
いきなりのケンカ腰にて詰問したのは緒方野枝。
寂しい場所にて、一対三と多勢に無勢。
こんな状況ゆえにさぞや心細く、老女も震えて怯えているのかとおもいきや、さにあらず。
いつもの殊勝な態度はどこへやら。
するりと気弱な老婆の仮面を脱いでは「ふん、だったらなんだってんだよ。あんたらだって似たようなことをしているじゃないか。ぎゃんぎゃん文句を云われる筋合いはないね」とふてぶてしい本性をさらけ出したもので、平林環などは「まぁ」と口に手をあて心底からの呆れ顔。
反省するどころか、この開き直り。
怒り心頭となったのが緒方野枝である。
「なんだとっ! てめえといっしょにすんじゃねえぞ。このくたばり損ないめがっ!」
感情のままに罵詈雑言を吐き出しては、いまにも飛びかからん勢い。
それを背後から羽交い絞めにして止めていたのは影山秀子である。
いつもは理路整然と相手を言い含める影山秀子が、このときばかりは口をつぐんで制止役に徹していた。
そんな三人をねめつけ「ほほほ」と高笑いをあげる老女。
「おや、遠慮はいらないんだよ。ほれほれ、どうした? やるならやってみな。ただし、その時点であんたらは詰みだがね」
三人が口は出しても手が出せないのを見越しての挑発。
万が一、傷でも負わせようならば、この老女はたちまち御方さまに泣きつき、訴えるのが目に見えている。
現時点で、すっかり老女に篭絡されている御方さま。結果は言わずもがなであろう。
「はん、しょんべん臭い小娘どもが束になったところで、この私の敵じゃないんだよ。下僕なら下僕らしく、分をわきまえて、おとなしくご主人さまに尻尾だけ振っておきな」
そんな痛烈な言葉を残して、きびすを返した老女。
三人はそのうしろ姿を射殺さんばかりににらみ、見送るのみ。
この対決は老女の圧勝であった。
「ちくしょう、あの鼬婆めっ、好き勝手いいやがって」
地団駄踏んで悔しがる緒方野枝。
「あれがあの女の本性……、最初っから胡散臭いとは思っていましたが、まさか、アレほどとは」
額にじわりと浮かんだ汗をハンカチで拭いながら、平林環は物憂げな表情。
そんな中で影山秀子がぽつり。
「あの人、邪魔ね」
多弁な彼女にしては珍しい。とても短い言葉。だがその言葉の響きに込められた念の強さを感じて、ふたりはギョッとなる。そして緒方野枝と平林環は目撃する。
影山秀子の眼鏡の奥にある切れ長の瞳に、妖しい光が宿っているのを……。
◇
老女と三人官女がばちばちとぶつかってから数日後のこと。
真夜中に女のところを訪れた相談者があった。
専属の人力車を走らせての来訪。
全身黒ずくめ。顔は頭巾で覆われており、爛と光る目元がわずかに露出しているだけ。名前も身分も伏せたまま。それでも仕草の端々や、佇まいから滲みでる品の良さは隠しきれない。
やんごとなき身分の奥さま。
だがそれだけじゃない。得体の知れない凄味のようなものを感じて、女はすっかり萎縮してしまう。
彼女を前にして、なせだか思い起こされたのは、かつて旦那さまが寝物語にしてくれた、異国のおそろしい伯爵夫人のこと。若い娘を殺しては、その新鮮な血を溜めた風呂に浸かり、美貌を守ろうとした鬼女の話。
頭巾の奥さまが「人魚のミイラ」を持参して視立てを頼んできた。
一角獣のツノの次に旦那さまが提示したのは人魚の肉。なので、これでもいちおう条件は満たしている。たとえそれが猿と魚を繋ぎ合わせた贋物だとしても、こちらにはそれを証明する術がない。
だから女は請われるままに、こっくりさんを行った。
頭巾の奥さまがたずねたのは「腹のやや子は夫のか?」というもの。
それすなわち不義密通の告白!
いきなりそんなことを聞かされて面喰らっている女。しかしかまわず指先のコインは皮紙の上をつつつと滑り続けては、文字から文字へと。
そうして得られた回答は「ちがう」であった。
女は背にだらだらと冷たい汗をかくのを止められない。
顔を伏せ、できるだけ向かい側に座る相手と目を合わせないように、その姿を視界におさめないようにする。いっそ耳も塞ぎたいところではあったが、あいにくと片手がコインにとられておりそれはままならぬ。
頭巾の奥さまは「そう」とだけ。
続けて、こうお訊ねになる。
「ではどうすればよい?」
するとこっくりさんが言うことには「おがたのえにたのめ」という助言が降ってきたもので、これには女も首をひねることになる。
「その方とお知り合いですか」
頭巾の奥さまからのお訊ねに「は、はい。うちに出入りをしている者で。その、親しくさせていただいております」と女はしどろもどろとなりながらも答える。
これに鷹揚にうなづいた頭巾の奥さま。「では、よしなに」との仰せ。
静かなのに有無を言わせぬ圧。女は「かしこまりました」と平伏するばかり。
◇
そんなことがあった翌日。
女はさっそく事情を説明して「近いうちにそちらに先方の遣いの方が顔をだすかも」と伝えると、主人より頼りにされた緒方野枝は喜色を浮かべて「おまかせあれ」と良い返事。
「おっと、こうしちゃいられない。すぐにナマウレコボシを手配しないと」
馴染みのない言葉に女がきょとんと首をかしげると、急に落ちつきを失った緒方野枝が「えーと、キノコの一種です。とはいえ御方さまには縁のないシロモノですから」と言いながら「それじゃあ準備がありますので、失礼します」と腰をあげて、さっさと行ってしまった。
「あらあら、なんとも忙しないこと」と女はくすり。
しかしよもや、これが元気な緒方野枝の姿をみかけた最後になろうとは思いもよらなかった。
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