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第十六話 魔都の夜
しおりを挟む気づけば奥向きの雑役夫として、安土の城に雇われる身となっていた鈍牛。
仮にもここは天下布武を掲げる覇者の居城にて、本来であれば人の雇い入れは、かなり厳しい。
確かな筋からの紹介なり、信用のおける人物の縁故なり、誰でも彼でもというわけにはいかないはず。
だが下働きの下働きみたいな軽い立場なのと、あくまで仮採用、女どもからの「ぜひに」との熱心な後押し、あと何故だか奥女中でもかなりの立場にある、お勝さまからの了承が天より降ってきて、とんとん拍子にて話がまとまってしまった。
これには当人がいちばん困惑したのは言うまでもない。
そして、彼のそんな姿を密かに目撃していた者たちもまた、おおいに困惑する。
それは安土の地へと各地より派遣されていた忍びたち。
日々、夜陰に紛れて悪鬼羅刹が蠢き、魔都と化しつつある安土城下。
そこに君臨する魔王の城は、最重要の監視対象にして、攻略すべき場所。
見事におさえたならば、自分たちの腕を誇示し、その名を日ノ本中にしらしめることができる。
だから伊賀、甲賀、風魔、根来などなど、数多の忍びたちが集っては、互いを牽制しつつ、どうにか他を出し抜こうと躍起になっていたところ。
それなのに気がつけば、まんまと内部に入り込んだ男がいる。
一体何者? と自然と注目が集まることに。
ざんばら髪にて六尺越えの大男。なぜ猫を連れているのかは不明ながらも、ひょっとしたらどこぞの秘蔵っ子なのかもしれない。
そんな憶測が飛び交い、疑心暗鬼の末に、ついにはもう様子見は終いだと化け物どもが動き出す。
ここにきて安土の夜の危険度が一気に数段階も跳ねあがった。
一方、自分発信によって、そんな物騒な事態になっておろうとは、夢にもおもわない青年。
ここでも鈍牛は鈍牛であった。
芝生仁胡という、いまは亡き両親がつけてくれた立派な名前があるものの、あだ名を知られたとたんに、そちらの呼び名が早々に定着。
鈍牛はとにかく真面目。言われたことには全力で取り組む。しかもこれまでにつちかってきた技術をいかんなく発揮するので、仕上がりもよいときては、各方面にて非常に重宝がられた。
それこそ針仕事から、武具の手入れまでなんでもござれ。
しかも親しみやすい性格ゆえに、遠慮せずに気安く頼めるとあって、男女を問わず人気に。
仕上がりが評判となって、さらに用を頼まれる機会が増えていく。
鈍牛としては目の前の仕事をせっせと片づけていただけなのだが、仕事をこなしてもらった側は、彼の容姿をひと目みたら二度と忘れない。
知らず知らずのうちに鈍牛は自分の顔を周囲に売り込む格好になっていた。
お城に勤めること一月も経つ頃には、早や、みなに顔を覚えられて、堂々とその辺をうろつけるぐらいには信用を得るように。
ある晩のこと。
その日は月もなく、空には雲が垂れ込めており、いつになく暗い夜であった。
ふと、尿意をおぼえた鈍牛。
下働きの者らが雑魚寝をしている大部屋からそっと抜け出し、静々と厠へとむかう。
用をすませて戻ろうと廊下を歩いていたら、頭の上に乗っていた愛猫の小梅が「にゃあ」と鳴く。
見れば廊下の先にて、雨戸の一枚が外れていた。
誰ぞが閉め忘れたのかと近寄ってみる。
するとその先に広がる闇の向こうから、かすかに聞こえてくる音がある。
音の方を目を凝らして見てみる。
ここから見える城の屋根の上では、はげしく動く二つの影。
三丈(約九メートル)もあろうかという長い鎖。
先端には重たい分銅が付いており、これを二本同時に手足のごとく自在に操っていたのは、甲賀者の六道左馬之助。
ブンと振り払われたクサリは鉈のごとき荒々しい切れ味をもち、やすやすと木々をもへし折る。飛ばした分銅にいたっては鎧武者の体を貫通するほどの威力。
だが、そんな相手に一歩も引かぬのが五尺(約百五十センチ)ほどの棒杖を持った根来者の亜門。
彼の杖は仕込み杖にて、三節棍になってのびたり、先端から槍の穂先が顔を出したり、さらに他にもいろいろからくりが隠されている品。
多彩に変化する戦い方にて、相手の攻撃を巧みにいなし、時に翻弄し、隙あらば首元をかき切ろうと狙う。
足場の悪さなんぞものともせずに、屋根の上を両者が跳ねて駆ける。
六道のクサリが風を切り正面から突っ込んできたので、これを杖ではじいた亜門。
が、ほぼ同時に足下を這うようにして、もう一つの分銅が迫る。
これを受ければたちまち足の骨を砕かれ、高所より転げ落ちてしまうことであろう。
とっさに飛んで二撃目をもかわした亜門。
この隙にいっきに間合いを詰めてと考えたが、それはかなわない。
長いクサリが大きく波をうち、蛇体のごとくうねる。ただクサリを揺らしたのではない。見ればクサリ全体が静かに、でもはげしく回転しており、触れれば肉が抉られそうな勢い。
瞬時に受ける道をあきらめて、おおきく後方へと遠ざかった亜門。
土壇場で踏みとどまる。躊躇や迷いではない。あくまで冷徹な見極めの上での行動。
それをこの刹那の中で行うことの難しさを知る六道が、おもわず「ううむ」と唸らされる。
「オロチとの異名は誇張ではなかったか、甲賀の六道左馬之助」
「おうとも。その見事な身のこなし。さすがは根来の亜門どの。お噂はかねがね」
強敵を前にして不敵な笑みを浮かべる両者。
これまで散々っぱらに鍛えあげ、練りに練りあげた技を存分に振るえる相手となんて、そうそう巡り合う機会はない。ましてやそれが名うての忍びとあっては、魂そのものまでもが歓喜に打ち震えずにはいられない六道と亜門。
安土の城の屋根にて龍虎が声なく吼えた。
忍びたちの術比べを、遠目に眺めていた鈍牛は、ただただ感心するばかり。
「いやぁ、お良さんもすごかったけど、これはまた別格だ。足場の悪いところで、あれだけはげしくやり合っているのに、ほとんど音もしないし、瓦の一枚も割れてないとは、おそれいった」
道を究めし者というものは、とにかくうつくしい。
何やら後光でもさしているかのように感じられ、視る者を魅了する。
だから鈍牛、パンパンと手を鳴らし、とりあえず彼らを拝んでおいた。
許されるのであれば、勝負の行方を最後まで見ていたいところだが、雑役夫には明日も早くからたくさんの仕事が待っている。
名残惜しいが、雨戸を閉めて寝床の大部屋にもどることにする。
外された雨戸をとりに庭へと降りた鈍牛。
突然に、庭に置かれてある石灯篭に向かって、ぺこりと頭を下げて「ごくろうさまです」と言った。
しかし相手は石の塊につき、返事をするわけもなく、周囲には他に誰の姿もなかった。
いったい彼は誰に向かってあいさつをしたのであろうか?
その答えは鈍牛が雨戸を閉め終わって、廊下の向こうに消えてから判明する。
ざらりとした肌を持つ重そうな石の灯篭。
それが急に立っていることをやめて、くしゃりと地面につぶれ、襖二枚ほどの大きさの黒い布となる。
布がばさりとひるがえり、中から姿をあらわしたのは忍び装束の男。
顔の下半分が赤い襟巻に埋もれるようにして隠れており、人相こそははっきりしないが、その目には獲物を狙う猛禽類を彷彿とさせる鋭さがあった。
「……何者だ。オレの隠形を見破っただけでなく、変化の術までも」
この男の名は加藤段蔵。
かつて武田家の下にいたが、あまりの化け物ぶりゆえに、ついには仕えていた信玄からも恐れられて殺されそうになった忍び。
現在は正体を隠し、気まぐれに流しの仕事を請けながら、各地をぶらぶら。勝手きままに暮らしていた。
近頃、評判の安土の城下町の様子を見物がてら、ついでに天守にでも忍び込もうと悪戯心を起こしたまではよかったのだが、よもや正体を見破られるとは。しかも何事もなかったかのように見逃されるなんて。
すべてが初めての経験にて、段蔵ほどの男ですらもが、とっさに動けなかったほどの衝撃。
忍びが術を破られる。
情けをかけられる。
それは屈辱以外の何者でもない。
だというのにふしぎと怒りがわいてこないことに、段蔵は首をかしげる。
「やれやれ、侵入がバレた以上は今宵は退散するしかあるまい。煌びやかな見た目に騙されたわ。よもやあんなモノを放し飼いにしておるとはな。ここはとんだ伏魔殿よ。あそこではしゃいでいる連中よりも、よほど手強いわ」
向こうの屋根の上にて、楽しそうに戦っている二人の忍びの姿をちらりと見て、そうつぶやいた加藤段蔵。体の輪郭がぼやけはじめたとおもったら、じきに闇に溶けて消えてしまった。
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