高槻鈍牛

月芝

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第七十八話 双斧とお良

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 古今東西の忍びが入り乱れての狂宴にて、無理なく無駄なく狩りを続けていたのは、クノイチのお良。
 混戦の最中にあって、決して周囲の空気に流されることなく、間隙を縫って着実に成果をあげていく。
 自分には甚内や段蔵や鬼女のような、化け物じみた力はない。あるのはたゆまぬ鍛錬と実践にて磨き上げてきた技のみ。だから己の分をわきまえ、けっして増長せず、淡々とことに当たる。忍びとしては至極真っ当なこと。だが基本ゆえについつい忘れがちになってしまうことでもある。
 人は驕る。経験を積むほどに、鍛錬を重ねるほどに、強くなるほどに、環境に慣れるほどに……。これらをねじ伏せ完全に御するのもまた稀有な才能。
 お良は自制を武器に戦場を駆け抜ける。
 そんな彼女の前に立ち塞がったのは、両の腕に手斧を持つ忍び。

「じつに忍びらしい見事な働きぶり。あんた、いいクノイチだなぁ。オレは世鬼の五郎左、どうだい? うちの嫁にこないか」

 熊のように毛むくじゃらな男にいきなり口説かれたお良。
 返答は棒手裏剣での一投であったが、それはあっさり斧の身ではじかれた。

「気が強いのもいいねえ。ますます欲しくなってきた」

 舌先で自分の上唇をぺろりと舐めた五郎左。
 いきなり無造作に手斧の一本を投げつける。
 風を切り勢いよく向かってくる斧。下手に受ければ小太刀が折れると判断したお良は、これを横にかわし、相手の懐へ飛び込もうとした。
 だが五郎左の空いた方の手の動きを見た瞬間、すかさず地面に伏せる。
 その頭上を先ほど飛んでいったはずの手斧が横薙ぎに通過。
 よくよく見れば、五郎左が黒い紐にて闇に紛れて手斧を操っていたのである。
 これにいち早く気づけたからこその無事。
 クノイチの反応のよさに五郎左が小さく舌打ちをする。
 だが舌打ちをしたかったのは、むしろお良の方。
 こうなってくると先の口説き文句も、どこまで本気かわからない。
 存外、クノイチという生き物は、その過酷な生き方ゆえに、心のどこかで直向な愛に憧れているところがある。闇と虚実の世界に身を置くがゆえに、ついつい光に憧れ夢をみる。世間より悪女だなんぞと言われる者ほど、心の内をさらってみれば、案外、乙女な一面が沈んでいたりするもの。
 とはいえ、それを承知にてこれを突いたのだとしたら、ちょいと許せないねえとお良は思った。

 鎖鎌のようにブンブンと振り回しては、放たれる手斧。
 これをかわすのはさほど難しくはない。だがせっかくかわして懐に飛びこんでも、もう一本の斧が手ぐすね引いて待っている。またあの黒い紐も地味にやっかいにて、ときに進路を阻害したり、動きを邪魔したりと、じつに嫌らしい使い方をしてくる。
 五郎左は熊のような見た目に反して、その戦いぶりは慎重そのもの。手堅い攻めに終始し、守りを崩すこともない。焦ることもなくどっしりと構えており、こちらがポカをやらかすのをじっと待っている。
 この戦い、仕掛けているのは五郎左の方にて、いずれはじり貧。
 そこで一計を案じたお良。
 反転し、いきなり尻尾をまいて逃げ出した。
 当然、用心深い五郎左はそこに何らかの意図が込められていることには、気がついていた。だが気づいたうえであえてこの挑発を受けた。すぐさま追尾の格好をとる。
 彼は下手に自分の間合いの外に出られるよりも、確実に内に捕らえておくことを選んだのである。
 ぶん回していた斧を手元に戻す五郎左。
 その動きに合わせて急転して男の下へと駆け寄るクノイチ。

「なるほど、二刀流同士、打ち合ってケリをつける考えか。おもしろい」

 お良の企みを予見した五郎左、勝負に乗ることとして、勇み一歩踏み出す。
 が、二歩目が動かない!
 なんだ? と足下に目をやれば藁草履の鼻緒の部分に鉄の棒が生えており、地面に縫い留められている。
 その正体がいつの間にやらクノイチが放っていた棒手裏剣であると気づいたときには、すでにお良の姿は眼前にまで迫っていた。
 女の派手な動きに目がいくあまり、見逃していた小さな一手。
 いかなる害意も殺意も込められていなかったがゆえに感知できなかった。
 たったこれしきのことが両者の命運を分けることとなる。
 たかが細い鉄棒の一本、力任せに引き抜けぬものでもない。だが左右からくり出される小太刀の連撃がそれすらも許さない。
 至近距離にて打ち合うお良と五郎左。一撃の鋭さは小太刀だが、手斧特有の幅の広い部分が盾となり、峰の厚みがクノイチの連撃を巧みに阻む。
 まともに打ち合えば小太刀の刃が欠け、最悪、折れる。それを狙う五郎左の技はするりと受け流し、ときに受けたとおもえば力を抜いて肩透かしを喰らわせるお良。
 手数が増えていくほどに、己が身の不自由さにおもわず五郎左が吼えた。
 人は手の小指を失うと、とたんに満足に剣を握れなくなるという。人間の体というものは足の先から頭の天辺まで、これすべて繋がっており、すべてが連動してこそ、初めて満足な働きをする。
 忍びとはそれを極めた人種にて、だからこそ常人離れをした人外とおもわれるような力を発揮できる。強靭な肉体を持つだけでは駄目なのだ。それを操る確かな技量がなくては。
 足下の小さな楔。
 これが足の一本を、腰の回りを、背中の筋肉を、肩から腕へといたる力の流れを阻害する起点となっている。
 それゆえに満足に手斧をふるえない五郎左、苛立ちのあまりついに腕のみの力にて、いささか強引な一撃を放ってしまう。
 それとても当たれば敵を一刀両断するほどの威力。だがそれは彼にとっての十全ではない。せいぜい八、どう贔屓目にみても九にぎりぎり届かない。
 これすなわち一の隙を産む。
 そしてクノイチにとっては、これこそが狙いであった。
 無理に振り抜いたせいで大振りとなったところに、すかさず滑り込んだ小太刀の刃。
 脇を深く切り裂かれ、五郎左の片腕が力を失い手斧を支えきれずに、だらりと落ちた。
 堅牢な守りを誇った一角が崩れて、太い首が丸見えとなる。
 その瞬間、お良の瞳が冷ややかな殺意を込めてそちらを向いたのを受けて、がら空きとなった首を守ろうと、五郎左はもう一本の手斧をかざし、次なる必殺の一撃を防ごうと備える。
 が、待てども剣戟は伝わってこず、かわりに残されていた無事な方の腕までもが、だらりと落ちた。
 もう片方の脇の下までもががざっくりと裂けて血が溢れ出ていた。
 殺気と視線による意識誘導。
 かつてお良が安土の地にて相対した恐るべき剣の使い手が用いていた、相手の視線を操る術。それを応用した技を彼女はこの土壇場にてやってのける。
 これにまんまと引っかかった世鬼の五郎左。
 驚愕により目を見開いている彼の首を守るものは、もうない。


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