誰もいない城

月芝

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056 スズメバチの女怪

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 肥大化した青虫の中からあらわれたのは、頭がスズメバチで体が人間の女の怪異。
 流暢に人語を話し、一見すると会話が成立しそうではあるが、そうじゃない!
 こちらを完全に食べ物として見ている。
 その時点で交流もへったくれもない。
 そして本を貪り喰らうことで変態を遂げたこの女は、とても危険だ。
 これまでの怪異のように、ただ一方的に自我を押しつけてくるだけの存在ではない。
 遥かに高い知能を有している。
 背中に羽らしきものが見当たらないので、羽化という表現が適切なのかはわからないけど、それに近しいことを果たした現時点でコレだ。
 ボクの知能を超えるのなんて、ほんのすぐだろう。
 時間が経過するほどに、きっと手がつけられなくなる。
 殺るなら今しかない。
 羽化したてで、まだ新しい体に慣れていない今しか。
 でもボクにはヤツを倒すために必要な肝心の武器がない。

 素手は?
 ダメだ。話にならない。
 辺りに落ちているぶ厚い本で殴りかかる?
 背後からの不意打ちならばあるいは、もしくは本の固い角を使って狙えば……。
 棚を倒して下敷きにするのはどうだろう?
 あの女体に秘められている膂力は未知数。でもきっと見た目通りなんてことはない。
 何か、何かないのか? ここでヤツを退治できる手段が。

 散乱している書籍、倒れた棚、大量の紙類、ほぼ密室状態の図書室……。

 向けられる捕食圧に苦しみながらも、ボクは懸命に手段を考える。
 じりじりと後退している最中、グイっといきなり引っぱられた。
 一瞬、足が止まる。何者の仕業かとドキリとするも、実際には肩かけカバンが棚の角に少し引っかかっただけのこと。
 そこでようやく自分がカバンを持っていたことを思い出す。
 それぐらいにボクは追い詰められていた。
 カバンの中身をざっと確認。そして奥底にひと筋の光明を見つけた!
 それは折りたたんだ厚手の表紙に綴られてあるブックマッチ。これまでに何度か使用したので、残りの火種は十六となっている。
 ボクは一度に二つ、火をつけるなり、最寄りの床と棚へと放つ。
 とたんにブスブスとイヤな音がして、焦げたニオイが周囲に漂い始めた。
 ボクはヤツがいる部屋の奥から目をそらすことなく、ゆっくりと後退を続ける。
 途上でさらに二つ、火種を放った。
 その頃になると、最初の火種がメラメラと赤い焔の舌を覗かせ始めており、煙が一帯に充満してゆく。
 小さな炎が寄り集まって大きくなっていく。
 パチリパチリと爆ぜる音に「なんだ、これは?」というヤツのつぶやきが重なった。

  ◇

 初めて目にする火事という現象にヤツが戸惑っている。
 いい具合に煙が目隠しとなってくれているうちに、出口を目指す。
 ボクが選択したのは火責め。
 図書室への出入り口は一か所のみ。室内には紙という可燃物があふれており、ヤツがいるのはその最深部。焼き窯としては十分すぎる条件を備えているはず。
 いかに知識を蓄えて羽化したとて、ヤツはまだ生まれたばかりの赤子も同然。
 知っていることと、理解していることとは、まるでちがう。
 頭の中にある情報と己の肉体、それらと環境との間で行うべきすり合わせ作業がまだ終わっちゃいない。その間隙を突く!
 一歩まちがえれば共倒れになるかもしれないけど、ボクは他に方法を思いつけなかった。
 足早やに後退しつつ、ボクは追加で二つマッチを擦り、棚の下部へと放り込む。炎は下から上へと燃えあがるはずだから、より火の回りが激しくなることを期待して。
 これでブックマッチを半分使い切った。残りは十。
 そこかしこにて赤い火の手があがりつつある図書室内。
 じきに盛大に飛び火して、いずれは室内全体を焼き尽くすはず。火災が建物全体にまでおよぶかもしれないが、ボクは炎よりもあの女怪の方が脅威度が高いと定めた。頭のいい怪異なんて冗談じゃない。あれはとても放置できる存在じゃない。
 燃え盛る火事場の深奥でヤツが「おのれ、こざかしいマネを」と猛り吠えているのを尻目に、ボクは先を急ぐ。
 いいぞ、そろそろ出口が近い。このまま逃げ切る。
 そこでダメ押しとばかりにボクは最寄りの本棚の中身をぶちまけ、軽くなったところで蹴倒すと、さらに二つ、火種を放つ。これで残りは八。
 すでに図書室の内部は煌々と焔の赤に照らされている。
 もう充分だろう。そう考えてブックマッチをカバンに戻そうとした時のこと。
 いっきに膨れ上がった緊張感。猛烈な勢いにて迫る捕食圧。まるで自分の首に死神の鎌が押し当てられたような……。

 絶対の死。

 それを前にしたとき、ボクがとった行動は尻もち。
 なんてことはない。心底ビビッた。膝がガクガク震えてチカラが入らない。よろめいたところを足下の本を踏み、そのひょうしにすってんころりん。
 あきれるほど見事にずてんと転んだ。
 あおりを喰ってボクの左肩から投げ出されたのは、相棒の白い腕。
 でも結果として、この転倒によりボクと相棒は九死に一生を得る。
 直後、ついさっきまで自分が立っていたあたりを突き抜けたのは、一本の棒状のモノ。
 それはスズメバチの女怪が手の平より放った長大な針。
 針はボクの身にこそ当たらなかったものの、転んだひょうしに宙を舞っていた肩かけカバンに命中。あっさり貫通し、中にあった本やら荷を意にも介さず穴を穿つ。
 後方の棚に突き立つ針。
 よもやの飛び道具の登場に、ボクが真っ青になっていたら聞こえてきたのは、「ちいぃ、ハズしたか。ならばいま一度」というヤツの声。
 もたもたしていたら串刺しにされる。
 ボクはあわてて起きあがると、カバンと相棒を拾いあげて駆けだす。
 その際に少し離れた床にあるブックマッチが目に入るが、そちらは諦めた。とても拾っている余裕はない。
 すでに出口の扉は視界の先に見えていた。

 あと少し。
 というところで、ボクはわざと膝を折って前方へと倒れ込む。
 間髪入れずに鋭い風切り音が鳴った。
 頭上を通り過ぎたのはスズメバチの女怪の追撃。
 開けようと扉にとりついたとき、こちらの背中が完全に無防備になる。だからそこを狙われると思ったんだ。
 だってボクならばきっとそうするから。なまじ知恵をとり込んで人間らしくなったのが裏目に出たな。
 ボクは扉に突き立つヤツの針に手をかけると、これをおもむろに引き抜く。重い。ちょっとしたバールほどもあるじゃないか。こんなものがまともに当たったら即死だ。連射できなくて助かった。
 それを持ってボクは図書室の外へと。
 すぐさま扉を閉めて、コの字型の取っ手の部分に太く超大な針を差し込む。
 これがつっかえ棒となり、扉は開閉できなくなった。
 ようやく焼き窯が完成。
 あとはスズメバチの女怪がこのままおとなしく逝ってくれることを願うばかりである。


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