これから夫は聖女様を愛する予定です

mokumoku

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1巻

1-1

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 ――てつくやいばが大地を支配する季節、死神の吐息が空を覆い、白銀の世界は永遠の静寂に閉ざされる。一筋の光が大地を照らすだろう。時が止まる瞬間、聖女は静かに姿を現し、絶望のふちに立つ者たちに、彼女の手が差し伸べられる――


 アークレディア国の現王太子、バルディオス・ラヴェルディアが誕生した時……予言者はこう言った。
 その予言を聞いた管理人は眉をひそめ、それは決定事項かと尋ねる。
 予言者はこう答えた。 

『王太子殿下が成長した時、異世界から聖女が舞い降りて世界を救う。その聖女は彼の真実の相手だ』

 その予言に一番胸をで下ろしたのは、この国の令嬢たちかもしれない。 
 なぜなら、この国で王族の婚約者になるということは、同時に小指をなくすことを意味しているからだ。世継ぎを産むまでの間、王家に伝わる秘術で小指をとられてしまう。

「殿下は素敵だけど……小指をとられるのはごめんだわ」 
「女性の心は小指に宿るっていうのに、困るわよね」 

 適齢期の令嬢たちは口々に言う。 
 小指をなくした女性は……他の男性に恋をすることもないので不貞をすることもないと、アークレディアでは考えられているのだ。 

「身体の一部を預けるだなんてあり得ないわ。ああ、殿下のお相手が私でなくてよかった」 

 令嬢たちがそう言って安心する一方で、国は異世界の女性との間にできるであろう子を、王家の後継者にするのは反対だった。 
 聖女が来る前に、この国から婚約者を選出して王太子と子どもを作らせなければ……そうして選ばれたのが、侯爵家の令嬢レアセル・アルヴェスティアだったのだ。 

「いいか? レアセル、お前の役目は聖女様が現れるまでに王太子殿下と世継ぎを作ることだ」 
「はい」 

 王太子との婚約を告げられた成人の日、レアセルは父の言葉にただただ頷いた。 
 レアセルと王太子バルディオスの結婚式準備は急ピッチで進められ、レアセルはバルディオスと会うより前にウェディングドレスの採寸をされた。


 でも、レアセルはそれで全然かまわなかった。 
「気持ちをないがしろにされているわ!」なんて憤慨することはあり得ない。 

(キャー! わ、私が殿下の婚約者、つまりはいずれ正妻に……? 信じられない! 夢みたい!) 

 レアセルはその日の夜、こっそり自作したバルディオス君人形を寝床でギュッと抱きしめた。 

(幸せ……!) 

 レアセルはこの婚約に非常に満足していた。 
 なぜならレアセルは、バルディオスの大大大大ファンだからだ!
 物心ついた頃には、レアセルは自分より少し年上の王子様の存在にあこがれていた。 

(デビュタントで初めてご挨拶をした時、すごく素敵だった……)

 レアセルが初めて王の前で挨拶をした時、バルディオスもその隣に座っていた。
 彼は、首元に手を添えてそっぽを向いていたのだけれど。 

(バルディオス様は私のことを見もしなかったけれど、身分が違うのだし当たり前だわ。そんなこと……なんの問題にもならない) 

 だから自分がバルディオスの婚約者に選ばれたと聞いて、倒れてしまうかと思った。 
 婚約者には絶対に公爵令嬢のソフィア様が選ばれるだろうと思っていたからだ。 
 二人は年齢こそ違うが幼馴染おさななじみで、パーティーの時などもいつも仲睦なかむつまじい。美しいソフィアと格好いいバルディオスが並ぶと、とても釣り合いが取れていて、一対の人形を見ているかのようだった。

(お二人の結婚式……絶対絶対お祝いに参上いたします!) 

 レアセルはそう誓っていた。 
 しかし、現王の弟を父に持つソフィアとバルディオスはいとこにあたる。それでは子を生すには血が濃すぎると懸念したバルディオスの祖父である前王が『侯爵家以下の令嬢と結婚させるべし』と遺言をのこしていたのだ。 
 身分が侯爵令嬢以下で独身で、年がバルディオスに近い令嬢――そんな存在はレアセルしかいなかった。他の令嬢たちがこっそりと胸をで下ろす中、レアセルはまるで夢を見ているような心地になった。


 ◇◆◇◆◇


「初めまして。私、レアセル・アルヴェスティアと申します」 
「……バルディオス・ラヴェルディアだ」

 婚約後の初めての顔合わせで、レアセルが深くお辞儀をして挨拶したのに対し、バルディオスは腕を組んで不機嫌そうに名乗るのみだった。


 非常に失礼な態度だ。普通の令嬢ならば、機嫌をそこねてもおかしくない。 
 しかし、レアセルは素っ気ない態度にも興奮した。 

(キャー! 生殿下……生の殿下よ!) 
「殿下、お茶をどうぞ」 
「……ああ」 

 挨拶の後、庭のガゼボに用意されていたティーセットで、レアセルがバルディオスのカップにお茶を注ぐ。 

(殿下のお茶を注いじゃった!)

 レアセルは感動で目を潤ませた。 
 なんと言っても、レアセルにとってバルディオスは世界一素敵な男性だ。 
 実力で王の座を勝ち取った、戦闘派の祖父の血を引いているだけあって、バルディオスはとても体格がいい。ガッチリした体躯たいくに涼しげな顔立ち……


(素敵~! 今は私しか殿下の横顔を見ていないのよ! 独り占め!) 

 横顔なのはバルディオスがレアセルに興味がなさそうに、そっぽを向いているからなのだが…… 
 レアセルは全く気にする素振りはなく、ただただバルディオスをうっとりと眺めた。 
 軍服のような正装も、その短い黒髪も……レアセルは全てを目に焼き付けておこうと思った。 

(私はあくまでもお飾りの婚約者……聖女様が来るまでのつなぎなのだし、次いつ会えるかわからないもの……) 

 レアセルはバルディオスがカップを持つ節くれ立った手を盗み見て、コッソリ鼻息を荒くした。 

(ああ、手までかっこいい……!) 

 レアセルは幸せだった。
 あまりペラペラと話してはせっかくの落ち着いた空間の邪魔をしてしまうと思い、レアセルは静かにバルディオスの後ろの庭を眺めるふりをした。


(素敵素敵素敵! かっこいい! お茶飲んでる! 生きて動いてるわ……今私が吸った空気……もしかしたら殿下の吐息が入っているかも! 殿下の体内を一度巡った空気が今私の身体の中を巡っているかも! 嬉しい! 気絶しそう! 幸せ!)

 にこにこと微笑むばかりのレアセルと、目を合わせようとしないバルディオスの初お茶会で、互いに名乗った以上の会話が発展することはなかった。


 ◆◇◆◇◆


「なぜハルカに冷たく当たる? 彼女が庶民だからか?」 
「……違います。ただ、マナーがなっていないので」 

 私はパサリと扇子を開き、苛立いらだちのあまり引きつる口元を隠した。 
 私の夫である王太子殿下は、聖女ハルカの腰を抱き、いとおしそうに彼女を見つめながら言った。 

「なあ、もう少し彼女を温かく迎え入れることはできぬか?」 

 ハルカは目を潤ませながら可愛らしい声で「殿下……いいのでございます。正妻はレアセル様なのですから……」と夫に告げる。 
 うんざりして、思わず扇子を振り上げた私を、夫は冷たい眼差しで見つめた。

「独占欲が強く……意地の悪い女はきさき相応ふさわしくない」 

 そう言って、聖女を強く抱き寄せたあなたは、私を牢獄に入れた。


 冷たく湿った石の上で、寝転がったまま動けなくなったことはあるか? 
 とても惨めで苦しい。それでもまだ生きていたかった。死の間際――死にたくないと願った。 
 まだ自分に優しく接してくれていた頃のあなたを思い出すと、涙が頬を伝う。 
 ああ、殿下――


 ◇◆◇◆◇


「は!」 

 レアセルは飛び起きた。心臓がドクドクと痛いほど鳴っている。 
 変な夢を見た。
 聖女と名乗る女性が異世界からやってきて、バルディオスと結婚する夢だ。 
 それは予言通りで、全く問題ない。
 問題は、正妻のレアセルが側室の聖女をいじめた挙句、投獄されてしまうことだ。 

(な、な、な、なんて夢なの!? 私……この独占欲をどうにかしないと牢に入れられちゃう‼ 殿下を眺めることができなくなっちゃう‼)

 レアセルはもしバルディオスが側室を作っても、仲良くしていくつもりだった。 
 大好きなバルディオスが選んだ女性を、大切にしてあげたいからだ。自分は運よくバルディオスと結婚できたが、本当はバルディオスが真に愛する人が正妻になるべきなのに……


 レアセルは美味しいところをいただいているのだから、せめて側室にはいい思いをしてほしいと思っていた。 
 それが予言通り聖女様だったとしたら尚のこと。 
 彼女はバルディオスが心から愛する……真実のお相手なのだから。 

(意地悪するつもりはないけど……私の中に眠る独占欲がそうさせているのかな……? こんな夢を見るなんて……) 

 予言を受け入れていたつもりだったが、この夢は、「バルディオスにのめり込みすぎると……彼の想い人に意地悪をしてしまいますよ?」という、婚約者の立場に浮かれていた自分に対する未来からの警告のような気がした。


 レアセルは今までの己の行動を反省し、バルディオスを独占しないことを誓った。

(……わきまえて楽しくいこう、よりよい人生のために) 

 レアセルはそう思いながら、自作のバルディオス君人形をギュッと抱きしめた。 

「お嬢様、大丈夫ですか?」 
「あ……ええ、平気。ちょっと変な夢を見ただけ……」 

 飛び起きた際の物音を不審に思ったのか、侍女がそっとドアを開けてレアセルの無事を確認した。
 レアセルはまだドキドキと高鳴る胸を押さえながら力なく笑う。 

(ああ……嫌だな) 

 レアセルはなんだか嫌な気分を抱えたまま再び眠りについた。
 しかし、自分の立場をわきまえることを誓ったにもかかわらず、レアセルはこの悪夢にこの後も何度も苦しめられることとなる。 


 ◆◇◆◇◆ 


 結婚式までの間、レアセルとバルディオスには定期的にお茶会の機会が設けられている。

「殿下、お会いできて光栄でございます」

 登城したレアセルが挨拶とともに笑いかけると、バルディオスは若干迷惑そうに眉を寄せ「ああ」とだけ答えた。レアセルにとっては、その塩対応もまたご褒美だった。


「殿下、日差しが暑くありませんか? あの木陰に……」 
「いや、いい」 

 日差しが強かったのでレアセルは木陰にバルディオスを誘うが、すげなく断られてしまう。 

(至近距離で殿下を堪能する思惑が……!) 

 レアセルはよこしまな心が通じてしまったのだと、己の欲望を恥じた。 
 その後案内されたガゼボで、レアセルは先日市井しせいで買い物をしたことを話した。 

「皆さん工夫して生活されていて……とても明るく元気でいらっしゃいました。今の政治が成功している証拠ではないでしょうか」 
「……」 

 レアセルが目をキラキラさせてそう言っても、バルディオスは彼女を一瞥いちべつするのみで、無言を貫いている。 

「……す、すみません」 

 その様子を見たレアセルは過ぎたことを言ってしまった、と口をつぐむ。気まずい沈黙が流れ、誤魔化すようにバルディオスにクッキーを勧めた。


「あ、殿下! こちらのクッキーはいかがですか? 私はこのバターがたっぷり入ったクッキーが好きで……フルーツも好きなのでこのドライフルーツが入っているものにしようかと思います」


(クッキーを食べているところを見たいわ! どんな顔で咀嚼そしゃくするのかしら……) 
「いや、今はいらない」 
「左様でございますか……失礼いたしました」 
(くっ! バレているんだわ……私のよこしまな心が!)

 レアセルは目を伏せながらクッキーを手で割り、口に押し込む。
 その後も話は弾まず、今日のお茶会でも二人の仲は深まらなかった。 


 自室で就寝準備を済ませたレアセルは、昼間のお茶会での出来事を思い出し、ため息をついた。 

(やっぱり殿下への接し方が露骨すぎるのかもしれない……めちゃくちゃこらえているけれど、殿下への想いが噴き出してしまっているのかも……) 

 レアセルはバルディオスのことを考えながら鏡を眺めた。
 ヘラヘラと頬をゆるませて目尻を下げた、性格の悪そうな女性が映っている。 

(不気味だわ!) 

 レアセルは愕然がくぜんとした。バルディオスに思いをせている自分が、想像以上に不気味だったからだ! 

(こ、これは……聖女様が来る前に婚約破棄されてしまうかも……! だから私がよこしまなことを考えている時、殿下はより塩対応だったのだわ。殿下はちょっと無口なタイプなだけだと思ってたけど……私が不気味だから喋りたくなかったのかも……) 

 そうして――レアセルは、よこしまな心が顔に出ないようになるまで、鏡の前に座り続けた。 


 ◆◇◆◇◆ 


「あー、やっぱり素敵ぃ!」 

 レアセルはコッソリ絵師に描いてもらった彼の姿絵を眺めながらもだえていた。
 この後王城で行われる舞踏会に、レアセルはバルディオスのパートナーとして参加するのだ。 
 舞踏会であまり露骨にバルディオスを見つめるわけにはいかないので、出発前に自宅でバルディオスを補給しておこうという寸法だ。


(でも隣で空気を吸うことができるし……ふふ、私って本当にラッキーだわ! 生きててよかった) 

 レアセルは初めてバルディオスと行く舞踏会に浮かれていた。 
 舞踏会の開催が知らされたその日のうちに指定された色のドレスを注文し、ダンスのレッスンも始めたほどだ。 
 バルディオスはダンスが得意だ。レアセルのデビュタントの時、公爵令嬢ソフィアと共に、流れるような美しいダンスを踊っていたのが目に焼き付いている。


(きっと殿下は運動神経もよくていらっしゃるのだわ) 

 イケメンと美しい女性の対比は素晴らしいものだ……と興奮したのをレアセルは覚えている。 

(もしかしたら殿下とダンスを踊る機会に恵まれるかも……もともと軽いステップくらいなら踏めるけど、念のためレッスンをしておかなければ!)


 まさかバルディオスと本当に踊る機会があるなんて、そんな恐れ多いことはレアセルは思ってはいない。まあ、念には念を入れて……というだけだ。


 しかしそんな軽い気持ちで始めたレッスンは、思ったよりも大変だった。 

(私って、こんなに踊れなかったのね……) 

 レアセルはあまり運動神経がいい方ではない。完璧に踊れるようになるまで何度も何度も練習を繰り返し、足の皮が何回もめくれてしまった。 
 おまけに、バルディオスの婚約者になったことで小指をとられてしまったレアセルは、他の男性と組むことすらできない。そのため、レアセルはずっと一人で鏡に向かって練習するしかなかった。

(練習の結果、ワルツだけは完璧になったけど……まあ、私なんかが殿下と踊る機会はございませんから大丈夫よね……) 

 自分のダンスの腕に不安を感じつつも気を取り直したレアセルは、少しでも普段より美しく見えるように着飾り、馬車に乗り込んだ。


 緊張をやわらげるため、今日一日のシミュレーションをする。 

(まずは王宮の入り口で降ろしてもらって……殿下がいらっしゃるのを待つでしょ? 殿下が来たら習った通りに一緒に入場して……殿下に嫌な思いをさせないようにマナーに気を付ける……)


 ――しかしそのシミュレーションは、初めから意味のないものとなった。 
 なぜなら呑気のんきに馬車から降りたレアセルを、バルディオスはすでに待っていたからだ。 

(え? あわわわわ! お、王族をお待たせしてしまった!) 
「で、殿下。大変申し訳ございません……お待たせしていたとは」 

 レアセルは慌てて、深々と頭を下げた。 

「ふん……待っておらん、今来たのだ」 
「左様でございますか……しかし、今後もう少し早めの行動をいたします」

 レアセルはバルディオスの言葉にほっと胸をで下ろす。 

(よ、よかったわ……今度からはもっと早く出なければ! ちょっと準備に時間をかけすぎたかも……今度は準備をしながら姿絵を眺めて時間を短縮させましょう。効率アップです!)


 レアセルが脳内で反省会をしていると、バルディオスが「まだ時間がある、庭でも散歩するか」とつまらなそうに言った。 

「はい、夜のお庭を拝見したことはございませんので……ぜひ」 

 レアセルは嬉しくてたまらなかった。
 バルディオスと夜の庭を散歩できるなんて……! 

(あー! 楽しみ! 月夜に照らされる殿下はさぞ素敵なことでしょう! 幸せ幸せ! 私、生きててよかった!) 

 レアセルは内心興奮しているのを悟られないように、ゆっくりとバルディオスについていく。 
 後ろから見てもバルディオスはたくましく、筋肉のついた背中が月夜に照らされる様はそれはもう最高だった。 

(眼福眼福……) 

 月明かりに照らされた庭は夢のように幻想的だ。花々も昼間見る時と違う顔を見せていて、レアセルはそれにもうっとりした。 

(殿下と婚約しなければ、こんなことは経験できなかった) 

 レアセルは顔を上げると「夜の庭は日中とはまた違う印象で素敵でございますね」とバルディオスに言う。 

「……そうか」 

 バルディオスはただの時間つぶしだからか、かなり素っ気ない返事をレアセルにしたが、彼女は全然気にしていない。 

(あー夢みたい……!) 

 しばらく庭を散策した後、「……そろそろ行くぞ」とバルディオスが声をかけてきた。 

「かしこまりました」 

 レアセルはウキウキと返事をして、バルディオスの後を追った。 
 庭を抜け、王宮につながる廊下を進むと大きな広間がある。廊下には剣をたずさえた騎士が何人も控えていて、いつも以上に厳重な警備が今日は特別な催しがあることをレアセルに再認識させた。 

(緊張してきちゃった……) 

 レアセルは柄にもなく硬くなる動きを誤魔化すため、前を行くバルディオスにバレないようにこっそり深呼吸をする。 
 扉の前でバルディオスが立ち止まり、レアセルに肘を差し出した。レアセルは戸惑い、バルディオスを見上げる。 

「……マナーを習わなかったのか」

 その様子を一瞥いちべつしたバルディオスが、呆れたようにそう言う。 
 レアセルはバルディオスがエスコートしてくれるのだと気付き、慌てて彼の腕に手を添えた。 

「すみません」 
(ゆ、夢みたい! 殿下に触っちゃった!) 

 レアセルの心臓はもう爆発寸前だった。興奮で荒くなりそうな息を鎮めるため、目を伏せる。 

(ありがとうございます! ああ……こんな日が来るなんて……! 生きててよかった! ありがとう世界!)

 レアセルが全てに感謝していると、広間の扉が開かれて美しい楽器の演奏と喧騒が聞こえてきた。
 途端に緊張が戻ってきて、思わずバルディオスの腕をキツく握りそうになるがこらえる。 

(私のものじゃない、私のものじゃない……あくまでも聖女様がいらっしゃるまでのつなぎの婚約者……) 

 自分の立場を見失いそうになってしまった、とレアセルは何度も心の中で繰り返す。心を落ち着かせ、隣に立つバルディオスに合わせてゆっくりとお辞儀をした。


 はたから見ればレアセルは非常に堂々とバルディオスの隣に立ち、ふわりとした雰囲気を見せる素敵な女性だったのだが……レアセル本人の心は非常にうるさいものだった。


(あー……嬉しい。最高……殿下にエスコートしてもらっちゃってるんですけど!? し・あ・わ・せ!)


 レアセルは誰にも悟られないようにこっそりと幸せを噛みしめながら広間へ歩みを進める。バルディオスと並んで歩く日が来るなんて……幸せすぎて倒れてしまいそうだ。



「殿下、お久しぶりでございます」 

 広間に入ってすぐ、ソフィアがバルディオスに話しかけてきた。 

(あー、素敵……いいツーショット……!) 

 レアセルはイケメンと美女のツーショットに興奮しながら、微笑みの裏でコソコソと二人を盗み見る。 

(ハアハア……最高……最高だわ。美男美女が会話している様はなんて素敵なのかしら……! 栄養が……目から栄養が入り込んでくるわ!)


「……あら? あの方……侯爵家よね?」 

 レアセルがソフィアとバルディオスを笑顔で眺めていると、背後から何やら話し声が聞こえた。

(……侯爵家? 私のことかしら……? 違う?) 
「公爵令嬢のソフィア様を差し置いて、王太子殿下の婚約者になったにしては……いまいちよね。予言の聖女の件だって、ソフィア様がお相手なら関係ないでしょうに。侯爵家の娘なんかと婚約したから運命が変わってしまったのでは?」


「ぷ……聞こえるわ」 
「本人に? 平気よ、名前を言っていないもの」 

 令嬢たちの会話を聞いて……レアセルは(これは私のことでございますね!)と思い、振り返る。
 そこには、クスクス笑い合う二人のご令嬢がいた。 

(ご、誤解されている……この二人の言い様では、まるでソフィア様が私に負けてしまったみたいだわ!) 
「違うんです……誤解です! あの、私……別に私だから選ばれたわけでもないんですの。ソフィア様の方が素晴らしいのは、皆様もおっしゃいますように明らかなのですけれど……私はただ、血が濃くならないように選ばれただけでございまして! 私である必要はなく、たまたま偶然、ラッキーでこの立場におりますゆえ……本当にお恥ずかしい話でございますが……あ、私のことではない、別の王太子殿下の婚約者になった侯爵令嬢のことだったら申し訳ございません。自意識過剰すぎますよね……」


 レアセルは一気にそこまで畳みかけるように話すと、扇子で顔を隠す。すると二人のご令嬢は「あら……おほほほ……」とその場から軽い愛想笑いをしながらいなくなってしまった。


(ああ……私が挙動不審だったせいで! ソフィア様は全然悪くないということがちゃんとわかってもいただけたかしら……? 次はもっと上手く伝えなくちゃ! おさらいしておきましょう!)


 レアセルは今の伝え方の何がいけなかったのか、うーん……と首をひねる。 
 その結果、あまり謙遜しすぎるのも……と思ったので(次からはソフィア様を持ち上げつつ、自分はこの立場になれて光栄だと伝えてみよう!)という結論に達した。


 前に向き直ると、いつの間にかバルディオスはいなくなってしまっていた。 
 けれど放置されているにもかかわらず、レアセルはにこにこと笑顔を崩さない。 

(こうして殿下とここまで来られただけでも幸せでございます!) 

 レアセルがご機嫌にそこでたたずんでいると……またしてもコソコソと話し声がする。 

(ああ……! まただわ……! でも落ち着いてレアセル。私のことではないかもしれないわ)

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