これから夫は聖女様を愛する予定です

mokumoku

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1巻

1-2

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 レアセルは次こそは失敗しないように心を落ち着かせて会話に耳をそばだてた。 

「クスクス……婚約者なのに、放置されてるわ」 
「仕方がないのよ、殿下は他に心を寄せてる方がいるのでは? ……それって考えなくてもわかるわよね。あんなに仲睦なかむつまじいのですもの」 
「本人だけが知らないのかしら? ……殿下もご結婚相手がソフィア様ではないから、この先聖女様を愛するようになるのでは?」 

 レアセルは(やっぱり自分のことだ!)と思い、ゆっくりと会話をしていた二人の令嬢を振り返る。

「違うんです。今、私がこうして一人なのは放置されたのではなく……殿下が気を使ってくださったんだと思います。私が他の方とお話をしていたので……」

 急に話しかけられた令嬢たちが唖然あぜんとしているのをよそに、レアセルは話し続けた。

「それに私以外に殿下に好きな方がいるのは仕方がないことだと思うんです。だって無理矢理私と婚約させられてしまったから……でも確かに、私はお恥ずかしながら殿下の想い人を存じ上げないんです……それって知っていた方がいいのかしら? ご挨拶した方がいいと思います? どちらの女性かご存じですか? 教えていただけます?」

 もしバルディオスに想い合っている女性がいるなら……本人にご挨拶した方がいいのかもしれないと、レアセルは思ったのだ。それに、バルディオスがまるで悪い男かのように言われているのも申し訳なかった。


(私のことなんか好きになるわけがないのは仕方がないの……だって急に決められた縁もゆかりもない侯爵令嬢なんだもの……誰がそんな女性を好きになれるというのでしょう!)


「人間には相性というのがございますから……いくら努力しても難しいものは難しいですよね」

 レアセルは少しだけ悩ましげに頬に手を当てる。 

「お二方はどう思われますか?」 

 レアセルが扇子で顔を隠し、二人の返答をワクワクして待っていると…… 

「……レアセル様のことを申し上げていたわけでは」 
「ほほほ、誤解があるようで……大変失礼いたしました」 

 しばしの沈黙の後、二人の令嬢はそう頬を引きつらせいなくなってしまった。 

(え! 私のことではなかったの!? ……ああ……私って人付き合いが苦手なのかもしれません……)


 レアセルはこの短時間で二度も、楽しく談笑しているだけのご令嬢の間をおかしな空気にしてしまって……とても恥ずかしくなった。



「何をしている?」 

 落ち込んでいる中、声をかけられて振り返る。 
 そこにはバルディオスが両手に飲み物を持って立っていた。片方はレアセルの好きな果実のドリンクだ。レアセルはまさか自分に用意してくれたのかと口元が緩みそうになり、慌てて扇子で隠す。

(ま、待って……落ち着くのよレアセル……そんな幸せが簡単に舞い込むわけがないわ。殿下も果実がお好きなのかもしれない! それにどちらもお一人で飲まれるのかもしれないし……そうね、気付いていないふりをしましょう!)


「ご令嬢に話しかけられたと思ったのですが……人違いだったようで」

 レアセルはドリンクには触れずそう言って笑う。 
 しかし、レアセルの念力が通じたのか、バルディオスは「……飲むか」と言いながら果実の方をレアセルに渡した。 

「ありがとうございます、いただきます」 
(あら、うふふ……まさか本当に私のために? ……なーんて、ウソウソ! そんなわけないのはわかっているわ! たまたま偶然! 殿下からお飲み物をいただいちゃった! 幸せー!)


 レアセルはニッコリ笑ってそれを受け取ると口をつけた。 
 婚約者になってからというもの、「誰かに毒を盛られる可能性があるから気を付けろ」と実家の父に耳が痛くなるほど聞かされている。とはいえ、バルディオス自ら手渡してくれたものに毒が入っているか確認することなどできない。

(私はラッキーだから……それが気に入らない人もいる。もしかしたら殿下が毒を盛ることだってありえるかも……なにせ、私は邪魔だから)


 レアセルはそう思いながらバルディオスの横顔を見上げた。 

(それでもいい! 殿下に盛られた毒で死ぬなら本望かも……なんてね! さすがに死にたくないわ。死んだら殿下を見られなくなっちゃう!)


 レアセルは「美味しいですね」とドリンクの感想を言いつつ、こっそり舞踏会用にドレスアップしたのか、普段よりも華やかな格好のバルディオスを見つめた。


(あー……盛装姿も素敵! もっと目に焼き付けたいけど……隣にいるとあまりそれができないのよ! 近すぎるのも残念な点があるわ……遠くからガン見したい……!)


 うっとりしすぎて息が詰まったレアセルは見るのを諦めて、呼気を取り入れることに専念することにした。 
 その時、ソフィアが再びやってきて「殿下、手持ち無沙汰なのでは? 私と踊りませんか?」とバルディオスに声をかける。 

(え? これって殿下を遠くからジロジロ見るチャンスなのでは?) 

 レアセルは美しい二人のダンスの様子を思い浮かべ、目を潤ませた。 

「レアセル様? バルディオス様は緊張されている様子なので……私と一曲踊ることをお許しいただけますか?」 

 ソフィアはレアセルに一言断りを入れた。 

「はい」 
(私に決定権なんかないのに……気を使ってくれるなんて! 本当にソフィア様は優しい方だわ……もちろん問題ございません!)
「はい、もちろんです」 

 レアセルは感動してしまった。 

(やはり美しい人は心も美しいんだわ! こんな私にも優しくしてくださるなんて!) 
「ソフィア、今日は……」 
「ふふ、そうですよね? 楽しみにされてました?」

 ソフィアは何か言いかけたバルディオスの手を取り、ふわりと笑った。 

(殿下もソフィア様と踊るのを楽しみにしてらしたのね! あー! キュンキュンする!) 

 レアセルはそれを見て口元が緩んでしまい、慌てて扇子で隠す。 

(い、いけない……不気味……不気味な顔になっているに違いないわ) 

 挙動不審なレアセルを気にも留めず、バルディオスとソフィアは手を取り合い、ダンスフロアへ優雅に足を進める。フロアに二人が到着すると、人の波が割れ、彼らのために空間ができた。


(誰もが皆……お似合いの二人に釘付けでございますね!) 

 ――とレアセルだけは思っていたが……周りの注目はレアセルに集まっていた。 
 王太子の婚約者がないがしろにされているぞ、と。 

「かわいそうにね」

 そんな声が聞こえてきたので、レアセルは(ああ! また誤解されている!)と思って声の方を向いた。またも二人の令嬢がクスクス笑っている。

「違いますの。ソフィア様は格下の私に、わざわざ許可を取ってくださいました。なんてお優しい方なのでしょうか……私はお二人の仲睦なかむつまじい姿を見られて幸せに思っております」 

 レアセルはそう言ってにっこり笑う。 
 すると先ほどレアセルに表面上は同情していたであろう令嬢たちは目を逸らした。

「え、い、いえ……レアセル様の話では……」
「まあ? それは失礼いたしました。私ったら……自意識過剰で恥ずかしいわ。では、どなたのこと? そんな風に思われるなんて……助けて差し上げたいわ」


(ああ……またやってしまった! 私って本当に自意識過剰だわ! でも……こんな華やかなパーティーで同情されてしまうなんて、何かあったに違いないわ)

 レアセルはもしかしたら友だちになれるかもしれないと思って、その人物の詳細を尋ねた。

「い、いえ……大した人物では、あの、レアセル様とはお話するのも許されないような方なので……」 
(私と話をするのも許されない? そんな方がいらっしゃるの?)

 レアセルが不思議そうな顔をすると、二人の令嬢は慌てたようにその場からいなくなってしまった。

(ああ! まただわ! また! やってしまいましたわ!) 

 レアセルは羞恥で赤くなった頬を隠すために扇子を広げた。 

(恥ずかしい……消えてしまいたい……いいえ、この失敗は忘れましょう! ……そのためにほら、美しいものをでましょう) 

 レアセルは気を取り直すと、バルディオスとソフィアが踊る姿をうっとりと眺めた。 

(なんて素敵なのかしら……) 

 すると、またもひそひそと話す声が聞こえる。 

「ぷ……浮かれて殿下と同じ水色のドレスなんて着ちゃって」 
「ふふ、なのに結局は放置されて……気の毒、無理矢理色を揃えたんでしょうね」 
(……私のこと? ……じゃないのかしら? わからない……! このドレスの色は国から指示されたもので、別に合わせたわけじゃないんだけど……で、でも……私が無意識に合わせちゃったのかもしれない!)


 レアセルは頬がかっと熱くなるのを自覚してうつむいた。 
 確かにバルディオスはレアセルと同じような色のスーツを着ているし、ソフィアもこれまた似たような色のドレスを着ている。 

(キャー! やだ! た、確かに! なんで私のドレスと同じような色を殿下が着ているんだろうって不思議だったのよ! でも私は国に指示された色を選んだだけだし、なんならお揃いなんてラッキー! と思ったりしていたのだけれども……)

 下を向くと自分のまとうドレスが一層目に入って、レアセルはスカート部分をぎゅっと握りしめた。

(……は! もしかしてあの指示は私じゃなくて、ソフィア様宛てだったのでは!? それが間違って私にも伝わってしまったのかしら……!)


 今まで異様に浮かれていたから気付かなかった事実に、レアセルは気付いてしまった。

(だって……よく考えたら殿下が私なんかと同じ色を着るはずがないのよ……! なんで色を指定されたのか、と思っていたけど……身分が上の人と被らないためかと……で、でも! 確かに思いっきり殿下と色が被ってる!)


 レアセルは考えに考えた結果――自分のドレスに果実酒をぶっかけることにした。
 王太子の婚約者の突拍子もない行動は当たり前のように周囲に混乱を呼び、騒ぎを聞きつけた使用人たちが慌ててやってくる。 
 レアセルは彼女たちに流れるような速さで休憩室に押し込められた。彼女たちの迅速な対応のおかげで、レアセルのはしたない姿を目にした者は周囲にいた数人の他、ほとんどいないだろう。


「本当に申し訳ございません。よろめいてしまって……」 

 話を聞いて駆け付けた母に、レアセルはそう言った。 
 王宮の使用人から替えのドレスを受け取り、母と二人にしてもらいたいと伝えて下がってもらう。

「……なーにをやっているのですかー!」 

 母は鬼のような顔をすると、扇子でビシバシとレアセルを叩いた。 

「ち、違うのでございます! お母様! これには事情がございまして……!」 
「もー! こんなに大きなパーティーで! もー!」 

 レアセルの母はブツブツと文句を言いながらも、手早くレアセルの服を脱がせた。母は独身時代王宮で侍女をしていたので手際がいい。


「お母様、聞いてくださいまし……あの……私、ドレスの色を間違えてしまったみたいで」

 レアセルはコソコソと母に打ち明けた。 

「え? なんですって……?」 
「あの……たぶん、私はこの水色以外の色を着なさいと指定されたのではありませんか? みんなに笑われてしまって……」 

 レアセルは先ほどを思い出して、羞恥で顔を真っ赤に染めた。 

「ソフィア様が殿下と同じお色を着ていらしたので……あのドレスの色指定のご連絡はソフィア様にするのを間違えて、私に伝えてしまったんだと思いますの……」


 レアセルは顔から火が出そうだった。はたから見れば、自分は殿下と同じ色のドレスを用意して浮かれている、名ばかり婚約者の侯爵令嬢だったに違いない。

「そう考えると、とてもじゃありませんが……あの水色のドレスを着ている勇気は……その……ありませんでした」 

 そうしょんぼりとうつむくレアセルに、母はそれ以上何も言えなかった。 

(レアセルには荷が重すぎる……) 

 レアセルの母は、もともとこの婚約に反対していた。 
 しかし、侯爵家の嫁に過ぎない彼女には意見する権利すらない。 

(王族は公爵家の人間と結婚すればいいのに、なんで今回に限って侯爵家から婚約者を選出するのかしら……そしてそれが、なんだってうちの娘なのよ!)


 レアセルの母は、心根の優しい娘が王族のドロドロしたいさかいについていけるとは思えず、喉元まで出てきた「婚約なんてどうにかして破棄してしまいなさいな」というセリフを呑み込む。 

「ほら、手袋も替えましょう……色を合わせなくちゃ」 

 代わりにそう言うと、レアセルの手袋をそっと外した。 

(我が娘ながら美しい手だわ――ただ、左の小指がないけれど)

 レアセルの母は、レアセルの手袋の小指部分にせっせと布を詰め、彼女にはめた。 
 レアセルの小指は婚約が決まった時に、王族のしきたり通り、とられてしまった。 
 ――間違いなく王族の子を産んでもらわなければなりませんから――
 小指をとられた痛みに顔をゆがませて……額に汗をにじませたレアセルに向かい、彼女の処女膜を確認した医者は冷たくそう言った。 
 麻酔は子宮に溜まるので元気な子を産めなくなる、そんな本当か嘘かわからない理由でレアセルは麻酔なしで小指をとられた。 
 今、レアセルの小指は聖堂に保管されているはずだ。 
 一人王族の子を産めば返してもらえる……しかし、逆を言えば産まなければ一生返してもらえないのだ。 
 レアセルが自分の先がない小指を見て少し寂しそうな顔をしたのを、レアセルの母は見逃さなかった。 
 しかしレアセルはそんな様子に気付かれないようにするためか、「お母様、この手袋の色……すごく素敵」とニッコリ笑った。 
 レアセルの母は一瞬瞳を潤ませたが、「ふ……そう?」とレアセルに笑い返した。 

(レアセルは受け入れているのよ、泣き言も言わずに。私が泣いてどうするの)


「……辛くない? 大丈夫なの?」 
「え? はい、平気です。この手袋、ちょうど私にピッタリなサイズなので」 

 レアセルは母に向かいそう微笑んだが、母はそんなことを聞いたのではなかった。 
 しかし、ここでそれを追及する必要もない……レアセルの母は扇子でゆがんだ口元を隠す。 

「そう? 辛くなったらいつでも言いなさい……お母様は、そばにいるから」 

 レアセルの母は、色んな意味を込めてそう言った。 

「はい、お母様」 

 ニッコリ笑うレアセルに、母の意図は伝わっただろうか。 


「……どこに行っていた」 

 レアセルがコソコソと元の位置に戻ると……もうバルディオスとソフィアはダンスを終えてしまったようだ。不機嫌そうなバルディオスにレアセルは迎えられる。


(あー! 私の間が抜けているせいで貴重なダンスシーンを見逃してしまったわ……!) 

 レアセルは絶望に膝をつきたい気持ちをぐっと抑え、バルディオスの質問に答える。 

「私の不注意でドレスを汚してしまい、休憩室に……」 
「……」 

 バルディオスはレアセルを一瞥いちべつすると「ふん……」と鼻を鳴らした。 
 レアセルはそんなバルディオスの反応を見て、顔を真っ赤にしてうつむく。 

(……ああ! コイツやっと気付いて着替えたのか、の「ふん……」かしらこれは!) 

 バルディオスはそれっきりレアセルに興味もない様子でそっぽを向いている。 
 レアセルは猛烈に反省した。 
 自分はバルディオスの婚約者なのだ。自分が恥をかくことは、バルディオスにも恥をかかせているようなものではないか、と――

(次からは連絡を真に受けすぎず、その色にも見えるような別の色を用意することにしましょう……! あまり露骨に指示に従わないのも……よくないよね)


 人をあまり疑いたくはないが、ラッキーで婚約者になっただけの自分を面白く思わない人もいるだろう。 
 レアセルは自分の情けなさにトホホ……と扇子を広げると口元を隠した。 
 恥ずかしくて死にそうだ。 

(調子に乗ったつもりはなかったけれど……やっぱり浮かれてはいたんですよね……) 

 レアセルは幸せすぎる環境に、冷静でいられなかった自分を反省する。 
 すると――バルディオスにぶつかり、現実に戻されたレアセルは身を小さくした。 

(パーティーも終盤になって……人が多くなってきたみたい) 

 油断すると密着してしまうバルディオスからレアセルはさりげなく離れる。 
 多くなった人のせいで、バルディオスも押されてしまっているのだろう。 
 しかし……お揃いのドレスを勝手に着て浮かれ、さらにバルディオスに身を寄せていると思われてはたまらない。 

(お願い……! これ以上混まないで……! 私はわきまえてるタイプの名ばかり婚約者なんです……! 皆さん! 信じてくださいまし!)


 レアセルは必死に心の中で唱えた。 
 本当に本当に……レアセルは調子に乗ってなんかいないのだ。別にバルディオスに愛されようなんて、全然思ってはいないのだ。 
 それなのに……それなのに……それなのに……! 

(なんだか傲慢ごうまんさが出てしまったのかしら……? もしかしたら、私を嫌う人が王族側にいて……嘘のドレス情報を伝えたのかな……いやいや、もしそうだったとしても、違うとしても……考えていいことはないわ、でも……) 

 レアセルは誰かが自分に対して、悪意を持っているんじゃないかと疑心暗鬼になった。 

(……いいえ、違う。みんなから恨まれている可能性もある。……私はラッキーだもの)

 レアセルはそっと深呼吸をして、心を整えた。 

(品行方正でいなくちゃ。極力これ以上恨みを買わないようにして……私が王太子妃となった時に、国民の支持が多少あれば……たとえ予言通りに聖女様が来ても、夢みたいなひどい最期にはならないはずよ)

 レアセルが市井しせいを気にしているのはそのためだ。彼らの生活が気になる気持ちももちろんあるが、顔を出してボランティアなどをしておけば、ある程度市民からいい印象を持たれるだろう……そう思っていた。 

(イメージがよければ……処刑されたりはしないかもしれないわ) 

 いくら王族でも、国民から印象のよい王太子妃の首をねることはできまい。 
 だからレアセルは極力貴族からも、誰からも悪い印象を持たれたくなかった。 
 自分は後ろ盾も何もない……ただの侯爵令嬢だからだ。 
 眉根を寄せて考え込んでいたレアセルは、突然腰を引き寄せられて我に返った。

「……危ない」 

 レアセルが顔を上げると、バルディオスが眉をひそめていた。どうやらバルディオスがレアセルの腰を引いたようだ。 

「す、すみません……あの、ちょっとぼんやりしてしまって」 

 人波に押されて誰かにぶつかりそうになっていたのだろうか。
 バルディオスはイライラした表情でレアセルの方をチラリと一瞥いちべつすると「ふん」と鼻を鳴らす。 
 いつもならご褒美の塩対応も……今のレアセルにはなんだか申し訳ない。 

(なんだか喜んだら不謹慎なような……) 

 レアセルは、偽物の中身が詰まった左手の小指を意味もなく触った。バルディオスはレアセルがまたフラフラするのを心配しているのか、腰を抱いたまま前を見ている。


(いつもなら気絶するくらい喜ばしいことが起きているというのに……なんだか申し訳ないわ。私……そんなに人に迷惑をかけていたのかしら)


 レアセルは様々な方向から刺さる視線にコッソリため息をつく。

(……やってしまったことはもう仕方がない。次は絶対失敗しないようにしよう……!)

 レアセルが心の中で誓いを立てていると、バルディオスが前を向いたまま問いかけてきた。


「ワルツは踊ることができるのか」 

 フロアに流れる曲は、いつの間にかゆっくりとしたワルツ調になっている。 

「はい、ワルツなら少しだけ踊ることができます。でも、殿下はダンスがお上手でいらっしゃいますから……ワルツでは退屈ですよね」


「……ワルツもたまには悪くない」 
「初心に戻られることもあるのでございますね! 素敵でございます!」
(さすが次期王でいらっしゃいます、殿下……! なんて素晴らしいのでしょう! 殿下バンザーイ!) 

 レアセルはバルディオスの向上心の高さに思わず涙ぐみそうになったので慌てて扇子を広げる。 

「……俺はワルツも踊る」 
「そうでいらっしゃるのですね。殿下はいつも難易度の高いダンスをソフィア様と息がぴったりで踊ってらっしゃるから、てっきり……お二人のダンスはまるで美しい神々のダンスのようでした」

 レアセルは先ほどの二人のダンスを思い浮かべ、頬を染めた。 

「……君は踊らんのか」 
「はい、私はあまりダンスが得意ではなくて……それに、小指がございませんから」 

 レアセルは左手を自分の顔の横に持ってくると笑った。 

「……」 

 バルディオスに呆れたような沈黙を返され、レアセルは申し訳なくなった。うつむいて、手袋の上から本来小指があるであろう所をふにふにと押す。


(おかしなことを言ってしまったかしら……あー! でも、また一つ殿下のことを知っちゃった!殿下ってたまにはワルツを踊ることもあるのね……! いつか踊るとこを見られるかしら……⁉)


「……暑いな」 

 レアセルがバルディオスの新情報に内心もだえていると、バルディオスは首元を緩めた。 

「暑いですか……?」 

 レアセルはさほど暑さを感じていなかったので同意しなかったのだが、バルディオスは「ああ……」と呟いたきり、そっぽを向いている。


(この角度も素敵……!) 

 レアセルはぼんやりとバルディオスに見惚みとれ……妙に彼の顔が赤いことに気付く。 

「左様でございますか、ではお庭に涼みに出られてはいかがでしょうか? それともバルコニーになさいますか?」 

 レアセルは扇子をパタパタとあおいでバルディオスに風を送り、そう提案した。 

(いつも殿下はあまり顔色が……いいえ、表情すら変わらないけど、珍しいこともあるのね。……私、レア殿下に遭遇してる……! こんなラッキー、なかなかないわ!)


「それとも、冷たいお飲み物を取ってまいりましょうか?」

 庭に行く気分ではなかったのだろうか、動く気配のないバルディオスにレアセルは尋ねた。 

「いや、いい」 

 バルディオスは飲み物を取りに行こうとするレアセルを制し、「ふん」と鼻を鳴らした。 

(ああ! 顔を真っ赤にしてらっしゃるわ!) 

 珍しいバルディオスに興奮しているレアセルを尻目に、バルディオスは無言で歩き出す。 
 レアセルはそれを見送ろうと、扇子をあおいでいた手を止める。 

「……」 

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