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少年
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しおりを挟む病室はとても静かで、暗かった。電気が点いていないせいだ。足を下ろすと、靴から土と砂がポロポロ落ちて、少し焦った。でも、仕方がない。拭う暇もなかったのだから。僕はそう思い直して、カーテンを少し開き、茜が中に入りやすいようにした。
茜が病室に入ってきたので、僕は窓を閉め、再びカーテンを掛けた。
僕と茜は、目の前で眠る人物の顔を何も言わずに見つめた。二人とも、見ているものは同じである筈だった。年端もいかない、いや、それを言ったら自分達だってそうだ。自分達と殆ど歳の変わらない少年が、頭に分厚く包帯を巻かれ、眉間に皺を寄せた険しい表情で眠っている。
茜が枕元に近づき、丸椅子を引き寄せ、掛けた。何故かその手は少年の手に触れていた。少年の手は表面がガサガサしていて、手のひらも荒れているように見えた。
茜が手を触りながら呟くように言う。
「すごいゴツゴツしてる……マメみたいなのが出来てる。操縦桿を握ってるとそうなるのかなあ。すごく小さいのに、しっかりした手……私とは全然違う」
僕は茜の隣に何も言わずに座った。丸椅子がなくて、隣のベッドに腰掛けた。
僕は何気なく言った。
「元気そう?」
茜が馬鹿を見る時の目で僕を見た。僕は肩をすくめて謝罪の意を示した。冗談のつもりだったのに。
茜はまた少年に目を戻して、言った。
「見つけた時は、頭から凄い血を流してたの……凄くよ。もうダメなんじゃないかって思うくらい……。そもそも、空飛ぶ機械が墜落して、命があったのは奇跡だと思うわ。……とにかく、昨日の今日で、すぐに目が覚める訳がないけど……今の所は、とりあえずは大丈夫そうね。ちゃんと処置されて良かった」
僕は頭に両手でもたれかかる姿勢をとりながら言った。
「ほら、来て良かっただろう?」
茜はちら、と僕の顔を見て、それから「ええ」と言った。
「とにかく、無事なのが分かって本当に良かった……」
「じゃあ、起こしてみようか」
「は?」
「え、だって折角来たんだから、話の一つや二つしないと勿体無いだろう? 窓まで破壊しておいて何もなしはないぜ」
「あなた、状況分かって言ってる? 彼は墜落したの。頭を怪我してるのよ。なのにすぐに意識が戻る訳ないでしょう? 何も考えてないんだから、これだから男は……」
僕は手を挙げる。
「性別は関係ないと思います。はい、足人君に一点が入りました。茜さんは減点ね。責めるなら僕の人間性とか倫理観にしてよ。自覚はあるんだから」
「悪かったわね。確かに性別は関係ない。足人は足人よ。やっぱり、どこまでいっても、足人なのよ。ほんと、それだけの話よね。ああ、もう意味わかんない。……大体、起きる訳がないじゃない。無理やり起こそうったって、そう簡単にいくもんじゃ……」
僕は顔を少年の上に近づける。何か、声のようなものが聞こえたのだ。
「聞いてる?」
僕は茜を手で遮る。そして静かにするように仕草で伝える。
「何か言ってる」
「何を」
「……」
僕はもう少し耳を彼の方に近づけてみた。殆ど触れるぐらいの距離に。か細い、苦しそうな声だ。呻くように、だが、何かを発している。外国語だろうか? もしそうならとても残念だ。僕はカザン連合語と共通語しか知らない。前住んでいた場所では共通語で話していた。
でも、暫く耳を傾けているうちに、意味が聞き取れるようになってきた。この国の言葉……いや、共通語で話している。
「……かれん……もうすこし………………ひだり……てを……あげ……るな……ひが……くれ…………」
僕は身を引いて、腕を組んだ。何を言っているのか考えるために。
でも、考えても分かる気配がしなかった。
せめてどこの国の所属かが分かればな……。
ねえ、と茜が言った。
茜が手に何かを持っていた。写真のようだ。近くには彼のものなのだろう、擦り切れた茶色の布の鞄が雑に置かれていて、茜はそこから抜き出したらしかった。
「それ、何? 誰が写ってるの?」
茜に見せてもらうと、その写真は傷だらけで砂で揉まれでもしたかのようにカサカサで、元は色付きだった筈の絵がすっかり褪せてしまっていた。
家族のような人たちが写っている。
ゴーグル飛行服を着た大きな若い男と、その手が置かれている大人の女性と、幼い、五、六歳ぐらいの少女。そしてその隣に立っている少し歳をとった女性。
皆、笑顔だ。
僕は茜から写真を受け取って、近くで更によく見てみる。そんなに昔の写真に見えない。というか、つい最近みたいに感じられる。つい最近、出発する前に皆で撮った記念写真であるかのような、そんな雰囲気がある。
「でも、この子が写ってないわ」
「そうだね」
僕は写真を下ろし、少年の顔を再び見下ろす。少年はどこからどう見ても子供で、僕らと歳も、背格好も殆ど変わらない。幼い顔立ちが色濃く残っていて、なのに、飛行服を着て、空を飛んでいた。
「服、脱がせて貰えなかったのね。可哀想に。こんな服じゃ寝にくいでしょうに」
そう言いながら茜が、彼の左手の袖の辺りに触れた時、少年の手が一瞬、ぴくりと動いたのを僕は見た。
嫌な予感がして、僕は茜に声をかけようとした。
でも、遅かった。
少年は突然起き上がり、茜の手首を掴んで胸元に引き寄せた後、どこから抜き出したのか、鈍く光るナイフを茜の顔に突きつけ、余裕のない表情を僕に向けてきた。僕は動くことができなかった。
そのままお互いに微動だにせず、ただただ時間だけが過ぎていった。
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